エッセイ

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「家みたいな会社」が懐かしい?(ドラマの中の働く女たち・7) 中谷文美

2014.03.25 Tue

『OLにっぽん』

放映:2008年10月~12月、日本テレビ系列
脚本:中園ミホ、主演:観月ありさ
公式ウェブサイト:http://www.ntv.co.jp/ol-nippon/

 ある商事会社が経営コスト削減の秘策として、業務の一部を人件費の安い中国の会社に委託するという海外アウトソーシングの導入に踏み切った。人事部、経理部に続いて、総務課の業務もアウトソーシングの対象となり、その準備として業務のマニュアル化に携わる中国からの研修生2人が総務課にやってきた。ミス総務として上司の信頼も厚い神崎島子(観月ありさ)が、その2人のマニュアル作りを指導することになる。

 呑み込みが早く、仕事に熱心に取り組む2人の中国人研修生は、日本の会社のOLが毎日きちんと化粧をし、服装にも気を使った姿で働くことや「寿退社」という慣行があることなどにいちいち驚きを見せる。こうした中国と日本の文化的背景や職場慣行の違いから起こる摩擦を解消し、アウトソーシングをスムーズに進めるための仲介役を果たすことになっているのが、業務委託先から派遣されたマネージャーの小旗健太(阿部サダヲ)である。だが日本人の緊張感のない働きぶりに対して批判的な言動を繰り返す小旗は、「会社の顔」としての総務の仕事に愛着を持つ島子をはじめ、総務課の面々とことごとく対立する。

 結婚後も仕事ひと筋で、「会社は仲良しクラブではない」と言い切る総務部長、富士田弥生(浅野ゆう子)から、リストラ候補を選定する命令を受けた島子は、総務課のメンバー1人ひとりの人生と向き合った結果、誰も選ぶことができず、課長の朝比奈(東幹久)からのプロポーズを受け入れて、自らをリストラする決意をする…。

OLnippon ヒットした『ハケンの品格』に続き、オリジナル脚本にこだわりを見せる<お仕事ドラマ>の名手、中園ミホの作品にしては紋切り型の表現が目につくが、一見荒唐無稽な設定は、絵空事ではない。2007年にNHKが放映したドキュメンタリー(NHKスペシャル「人事も経理も中国へ」、2007年9月3日放映)では、中園がこのドラマの着想を得たと思われる海外アウトソーシングの実態が具体的に描かれていた。

 ある通販会社の大手では、顧客からの注文や商品に関する苦情などの入力処理に始まり、人事や経理の業務の4~5割をすでに中国の会社に委託していたが、それまで手つかずだった総務の業務についても外注に踏み切る決断をする。特定の部署に割り振れない、種々雑多の業務を引き受け、臨機応変の対応をこなしてきた総務担当者は、中国人に任せられる仕事はないと会社の決定に抵抗を示すが、圧倒的なコストの差を数字で突きつけられ、マニュアル化の可能な業務の選別と引き継ぎ作業にとりかからざるを得ない。仕事を求めて人が移動してきた時代を経て、今では「人を求めて、仕事が動く」のである。

 だがドラマのほうでは、アウトソーシングをめぐる問題そのものに光が当てられるというよりも、この問題が浮上することで平凡な職場の日常に揺さぶりがかけられ、さらに異なる価値観を持つ中国人研修生の存在を通じて、働くことの意味があぶり出されていくプロセスが描かれる。

 結婚と同時に退職し、「奥さんになる」という同僚女性にお祝いの言葉をかける社員たちを見て、「日本人はおめでたいよ。いっぱいお給料くれるのに、誰も引き留めないほうがおかしいよ」「それ(結婚退職)は危ないよ。一人の男に全部頼るなんて。今はラブラブでも、浮気されるかもしれないよ。離婚したら、どうするの」と反応したり、先輩社員一人ひとりの好みを覚えてコーヒーを配る新人OLに「メイドさんみたい」「(いやなら)プライド持てば、断れるよ」と言ってのけたりする中国人研修生たちは、同時に、新人時代から世話になったかつての上司の左遷先に「残業代も出ないのに」手伝いに通う島子の姿から、会社に身を置くことのなかには「マニュアル化できない」要素も含まれていることに共感を覚えるようになる。

 他方、アウトソーシングのあおりを受けて閑職に回された男性は、同期の島子と入社当時を振り返り、「よかったな、あのころは」「そうだね、みんな家族みたいで」「同じ釜の飯食ってる仲間って感じがしたよな」と懐かしむ。2人が尊敬する元部長も、定年退職を前に、「会社はみんなの家みたいなものだった」「無駄も緩みもなしに、成果だけ上げろったって無理な話だ」と語る。島子自身、ドラマの終盤で会社を辞め、起業を決断するのだが、それは昔のような、「家庭的で温かい、家みたいな会社」を作るためだった。

 つまり、グローバル化の荒波をかぶる前――古き良き時代の日本の会社を象徴するのは、家族になぞらえられるような職場の人間関係なのである。だが前にも書いたように、職場が家のようなものだとすれば、そこで働く女性は、対等な同僚ではなく、男性社員を支える「奥さん」の役を事実上割り当てられていた。このドラマの中でも、「寿退社」をする女性が主婦役割に専念することを「メイドさんと同じ」と評する中国人研修生は、職場でお茶くみをする女性に対しても、同じく「メイドさんみたい」という言葉をかける。その意味では、てきぱきと立ち働き、総務課でのこまごました自分の仕事に誇りを持つ島子は、職場の主婦としての能力に長けているだけのようにも見えてくる。

 基幹業務に就く男性と補助業務に専念する女性という、性別に沿ったわかりやすい分業で成り立っていた職場に、正社員ばかりでなく派遣社員や嘱託社員、パート、アルバイトといった複雑な雇用関係が持ち込まれ、さらには研修生が加わり、その先に国境を超えたところで顔も見えない相手によって管理業務が遂行されるという大きな変化を思えば、かつての職場のあり方を懐かしむ人が少なからずいることは想像できる。しかし、巷で話題となっているマタニティ・ハラスメント(妊娠や出産を理由とした解雇や不利な取り扱い)の例を挙げるまでもなく、女性が女性であるという理由によって働きづらさを経験する状態がいまだ解消されていない以上、性別に基づく分業の上に成り立っていた「にっぽんの会社」は完全に過去のものとはいえず、よってノスタルジアを抱くべき対象でもないような気がするのだが。

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カテゴリー:ドラマの中の働く女たち

タグ:ドラマ / 非正規労働 / 働く女性 / 中谷文美