エッセイ

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シカゴ・スクール・レギンス騒動  勝海志のぶ(シカゴ在住)

2014.04.01 Tue

 シカゴ郊外にあるエバンストンは、名門ノースウエスタン大学があることで知られています。人口およそ7万5000人で、人口270万人ほどのシカゴ市の中心からは電車で1時間以上もかかります。この街のあるミドル・スクール(アメリカでは一般的に、日本の小学校高学年から中学生が通う5から8学年)で、“レギンス”が物議を醸しています。校長先生が生徒の親たちに手紙を書き、事態の収拾を図る努力をしておりますが、混乱は続いているようです。

 レギンスを履いて何が悪いのか—–この学校の騒動は、服装規範の根底に潜むジェンダーバイアスを浮かび上がらせました。ことの発端は、レギンスだけを履いていた何人かの女子生徒が、先生から「これからは、ぴったりとしたレギンスやヨガ用のパンツは履いてきてはいけません」と注意されたことに始まります。

 そもそもこの学校の規則では、
「半ズボン、ワンピースやスカートを着るときは、腰より長く膝丈のものを着用すること。短パンおよび短めのスカートとレギンスは認められない」と明記されていました。また「ノースリーブのシャツを着用の場合は、腕を(シャツやカーディガンなどで)覆っている状態であれば許可する。ゆったりとしたノースリーブは下にTシャツなどを着ること」と書かれています。

 学校では「身体の線を強調せず肌を出さない」というのは、今さら問題にすることではないのかもしれません。とはいえ、これだけレギンスが普及している時代に、まさか“学校にふさわしくない”などというレッテルをはられていたと知らなかった、あるいは失念していた親や子どもがいても驚かないでしょう。

 この一件の後、親たちの間から、女子生徒にだけこうしたルールが押し付けられるのは、筋が通らないし、不公平だとクレームが出されました。中には、(レギンスだけを履いてくるのは)“レイプ・カルチャーを助長することになる”という意見まで出てきた始末。

 新聞に掲載されていた親たちの言い分は、こうです。
「レギンスを着ていたことが理由で、家に帰されたり体操着に着替えさせられたりする子どもが出てきたら、それは子どもにとって“デメリット”でしょう。しかも、私たちの娘たちに恥をかかせていることになりますよ。だって、娘たちに身体的変化を恥じるように強制していることになるんですから」
「先生たちは女子生徒の服装を心配するより、女子の前で男子生徒がどのようにふるまうかに気を遣うべきです。このレギンス事件は、子どもたちに服装のルールをどう伝えるべきか―――問題提起をしたんです。学校を含め、公共の場での言動にTPOはありますから、躾けは必要です。しかし、それは『男子生徒が“刺激を受けすぎる”服装はしないように』と女子生徒に言う方法ではないはずです。そう言ってしまえば、事が簡単に済ませられるんですよ」

 後者の意見の持ち主は、別の学区で高校の教師をしている父親です。彼の娘は“レギンスを履かないように”とは躾けられていないそうです。
 
 こうした議論を踏まえ、校長先生より譲歩案が提示されました。
「レギンスは着用可能ですが、上から膝丈ほどのシャツ、半ズボンやスカートを履くこと」
 また、この学校では、新たに服装のルールを見直すことになりました。

 この記事を読み、フェミニストのサンドラ・バートキーの一節が蘇りました。
「女性の姿態は男性の視線によって善悪が下される。(服装などを含む女性の容姿が適切かどうかという)男性の視線は見えないが、確実に我々の社会を取り巻いている。男性の視線を意識しながら女性が自己規制をするのは、男性社会への服従だ」

 女性の身体というのは誰のものか—–。女性の身体が商品化されていることが現実である以上、常に“性的な対象”であり、“自分らしく、奔放でありたい”と願っても、障碍が立ちはだかります。小さな街で起こったレギンス事件は、女性の身体に対する保守的な思考が、アメリカ社会にも根深く巣くっていることが露呈した一件でもありました。

カテゴリー:投稿エッセイ

タグ:ファッション / 勝海志のぶ / シカゴ / ジェンダー・バイアス / ダブルスタンダード