エッセイ

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完璧な専業主夫は必要か(ドラマの中の働く女たち・8) 中谷文美

2014.04.25 Fri

『誰よりもママを愛す』
放映:2006年7月~9月、TBS系列
脚本:遊川和彦、主演:田村正和

 今回は、ドラマの中で「妻/母役割」を果たす男性たちにスポットを当ててみたい。夫婦の役割が逆転している設定のドラマは、『アットホーム・ダッド』(2004年4月~6月、フジテレビ系列放映、主演:阿部寛)、『百年の恋』(2003年11月~12月、NHK放映、主演:筒井道隆)など少なくない。ここで取り上げるのは、田村正和が主夫を演じるということで話題になったドラマ『誰よりもママを愛す』である。

 小学5年生の男の子、嘉門薫(長島弘宣)には年の離れた姉と兄がいる。姉の雪(内田有紀)は短気で喧嘩っ早いのが災いして、派遣先を次々に首になり、転職を繰り返している。気がやさしく優柔不断な兄の明(玉山鉄二)は美容師をしている。そして正義感あふれる社会派弁護士の母、千代(伊藤蘭)は、「ふつうの家の父親みたいに」あまり家におらず、「頑固おやじのように」容赦なく子どもたちを叱る。そして専業主夫の父、一豊(田村正和)は、かつて銀行員だった。弁護士をめざしていた千代と知り合って結婚したのち、家事・育児と司法試験の勉強に疲れ果てた妻の姿を見かねて、25年前に銀行を辞めた。

 以来、一豊は家事の一切を引き受け、成人した娘のアイロンかけまでしてやっている。妻の好物のハンバーグを作るために、高級牛肉をタイムセールで買いこんだりもする。仕事で遅くなるという千代からの電話に、せっかくハンバーグを作って待っているのにと抗議するが、妻は「ごめん、忙しいから切るね。帰り、いつになるかわからないから、先に寝てて」とつれない。だが一豊は、子どもの目から見ても「ママを幸せにすることだけが生きがいの、日本一の愛妻家」なのである。妻を褒められると、面倒なことを押し付けられても、つい引き受けてしまう。この家族のそれぞれが結ぶ人間関係が描かれるほか、家族の日常にマンションの隣人、津波こずえ(小林聡美)が何かとからむ形で物語は進行する。

 主夫である一豊は、日々かいがいしく立ち働き、家族に尽くすことを楽しんでいる様子。他方、妻の千代は、まさに「ふつうの家の父親」の典型のような振る舞いをする。たとえば、夜遅く帰るなり、「食事はいらない、ビールちょうだい」、と居間のソファに倒れ込み、上着もストッキングもそのへんに脱ぎ捨て、ビールを飲みながら、夫が録画したテレビのニュースを見はじめるが、夫が話しかけるのをよそに寝入ってしまう。夫は妻の脱ぎ散らかした服をたたみ、ソファでだらしなく眠る妻に毛布をかけてやる、といった具合である。それでも嬉々として主夫役割を果たす一豊にとっての唯一の不満は、仕事に没頭している上に体調も思わしくないらしい妻が、帰ってきても「自分の言いたいことだけ言って、顔も見ないでさっさと寝ちゃう」ことらしい。

 そんな妻が乳がんの告知を受け、夫や子どもたちに言い出せないでいるうちに、自宅で倒れてしまう。気を失い、病院に運ばれた千代が夢の中で見たのは、自分が専業主婦で夫がスーツ姿の会社員、雪はいそいそと家事の手伝いをし、明は男っぽく粗野に振る舞い、末っ子の薫は優等生然としているという、現実とはまったく逆の家族の姿だった。

 その夢について千代はこう語る――「夢の中では、あたしが主婦やってて、パパが働いてるの。みんなすごく幸せそうだった。そのとき思ったの。パパに甘えて、うちのことを全部任せたのは、間違いじゃなかったのかなって。パパに甘えっぱなしで、苦労ばっかりかけて、私はみんなに何にもしてないし。母親としても妻としても、最低よ、私は」。妻の述懐に対し、一豊は、「誰がなんと言おうと、俺は今世界で一番ハッピーだからね。ママは大好きな仕事をがんばってくれればいいんだから。子どもたちにがんばってる姿、見せてくれればいいんだから」と反論する。

 ここで描かれているのは、仕事一辺倒の夫と、愛する家族を支える役割に専心する妻の性別が単純に入れ替わっただけの構図にすぎない。ただし、自分のために主夫となった一豊の献身を当然視しているように見えた千代が、実は忸怩たる思いを内に抱えていたということが明らかになるのが上記のシーンである。この点が、逆転した性別役割ゆえのジレンマといえる。妻に自分や家族の世話を任せっぱなしにして、仕事に打ち込む夫たちは、千代ほどの罪悪感を覚えたりはしないだろうからだ。

 そのこととは別に、私が疑問を感じるのは、担い手が妻であれ夫であれ、家族の中の1人が、なぜここまで手を抜かない家事を一手に引き受けることになるのかという部分である。

 『誰よりもママを愛す』とほぼ同時期に放映されていた『家族~妻の不在・夫の存在』(2006年10月~12月、テレビ朝日系列放映、脚本:清水有生、主演:竹野内豊)では、妻の突然の家出と自分自身の失業が重なり、幼稚園児の子どもを育てながら求職活動をする状況に追い込まれた男性が主人公となっている。この場合、家事・育児と仕事の両立が必要となるのだが、それでも高い家事水準をいかに保つかが試金石となっていた。たとえば、急に父親と二人暮らしになった息子は、毎日パジャマが洗濯されていなければいやだと駄々をこね、お弁当にはタコさんウインナーや卵焼きを入れてほしいと言う。だが、にわか作りの兼業主夫は、幼稚園の他の子どもたちからからかわれるような、見栄えの悪い弁当しか作ってやることができない。男性の窮状を見かねて家事の指南役となるのは、妻に先立たれた近所の年上の男性であり、その家の台所で、料理の基礎から教えてもらうことになる。

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 この展開自体は興味深かったが、ドラマの公式サイトでは、いわゆる「キャラ弁」の作り方を紹介するコーナーが設けられており、家事・育児を担当するにあたって子どもが喜ぶ弁当作りがいかに大事な関門であるかが強調されていた。妻の家出を知り、「無理ですって、先輩に子育てなんて」と言い切る後輩の男性からも、幼稚園の弁当は大変らしいですよという言葉がかけられる。

 これまで「家族のために」常に仕事を優先してきた主人公は、結婚退職前は建築家だったという妻にも一切相談せず、独断で新築の一戸建て住宅を購入してしまうほどの無神経な夫である。しかし妻に去られた後、周囲の人々の助けを借りながら、日常を大事にしつつ子どもと向き合うことで、父親としての自覚を獲得していく。そういう点では、弁当作りをふくむ日々の家事の積み重ねが意味を持つこともわかる。だが見方を変えれば、「専業主婦をやってわかったのよ。私にとって仕事がどんなに大切かって」と言う妻が、家を出るまでの間、完璧な主婦であろうとしたこと、あるいはそうせざるを得なかったことが、結果として家族の営みから夫を遠ざけたことにもつながったのではないだろうか。

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 男性でありながら完璧に主夫業をこなす一豊は、子どもが成長する姿や近所の何気ない風景など、「25年前に仕事を辞めていなかったら見ることがなかった世界」が見られる今の生き方を選ばせてくれた妻に感謝していると語ったが、妻の千代にも、その世界を見たいという思いがないとは言えない。つまり、誰かが完璧な主婦/主夫となって他の家族の生活を全面的に支えるよりも、家族みんなでできることをシェアしつつ、仕事の世界も子育て・地域の世界も共に味わえる方が、よりハッピーな状態であるように私には思える。

 「ドラマの中の働く女たち」は、毎月25日に連載予定です。これまでの記事は、こちらからどうぞ。








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タグ:ドラマ / 働く女 / 中谷文美 / 主婦 / 主夫