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ウェブ座談会 映画『8月の家族たち』を語る(前編)

2014.05.24 Sat

特別企画   『8月の家族たち』

ウィメンズ・アクション・ネットワーク(WAN)の女たちが、公開中の旬の映画を語るウェブ座談会。ジェンダー・女性表象など、独自の視点から新作映画/DVDを紹介するWAN映画欄(C-WAN)担当者たちが自ら企画・立案・実施しました。オンライン・チャットのコメント機能を利用して、皆が自由にコメントを寄せ合います。

記念すべき第一回作品として取り上げたのは、この春話題のアメリカ映画『8月の家族たち』。前・後編二回に分けてお送りします。まず最初に登場するのは、3人の評者たち。これまでC-WANで映画評を執筆してきたスタッフです。後編では、他のC-WANスタッフも参入し、前編を読んだ感想や気になったことを伝えます。


▶座談会後編はこちら

※一部、映画の内容に言及している箇所がありますのでご注意ください。

座談会(前編)開催日時:2014年5月11日(日)20:00~21:00

参加者:C-WANチーフ:川口 恵子、サブチーフ:宮本 明子、メンバー:仁生 

 AUGUST: OSAGE COUNTY

  ――『8月の家族たち』の母親像、「母と娘」の関係をめぐって

宮本 きょう(2014年5月11日)はちょうど「母の日」ということで、まずはこの映画に登場する母親、メリル・ストリープ演じるヴァイオレット(写真上)の印象からうかがってみたいと思います。もう、強い女性ですね。台風の目のような。つぎは彼女の口からどんな言葉がとびだすのかと、釘づけになります。一方で、彼女は脆さもかかえている。目が離せない。その意味で、とても魅力的な人物です。みなさんはどう感じられましたか?

仁生 う〜ん。私は自分の母親もかなりコントローラー・タイプだったので、(ヴァイオレットほど強くはないですが)ちょっと見ていて辛い部分がありました。やはりこういう母親というのは息苦しいと言いますか。

川口 私は、母親像というよりも、ここに描かれた「娘と母」の関係にアメリカ映画『プレシャス』と同じ潔さを感じました。より正確にいえば、娘が母と決別するその態度にですが。『プレシャス』では、家庭内暴力をうけてきたスラムに住む黒人の娘が、字を覚えて気持ちを表現することを覚え、つまりは教育を受けて、最後に、ソーシャル・ワーカーの協力のもとに母親と対峙し、母の元から去るところが、大変にアメリカ的なのです。日本的結末だと、どうしても「和解」がまっているでしょう? それが『プレシャス』にも本作にもない。最後は本当の孤独です。娘に去られたヴァイオレットもやっぱり自立している。けれど孤独はもちろん彼女をうちのめす。夫を見殺しにして生きぬいたがゆえのヴァイオレットの孤独。そこにある意味、しびれました。悪女のすごみがあります。最後はネイティヴの女性のふところのもとでしか、彼女は安らげないわけですが。

宮本 ヴァイオレットや一家の行く末をみている、そのネイティヴの女性の存在も印象的でした。娘と母という視点からだと、私は、長女が帰ってきたときのヴァイオレットのふるまいに、不思議と心奪われました。それまでさんざん暴言をはいていた母親が、一瞬、おだやかな顔に戻るような瞬間がある。そこに、反発しつつも、どこかこの娘をよりどころとしている、彼女のもろさをみたようにも思えました。

AUGUST: OSAGE COUNTY

仁生 そうですね。母親と長女は共依存の関係なんでしょうね。

川口 ただ、ヴァイオレットと長女バーバラの間にはやはり決定的な違いがあり、二人ともそれを自覚している。長女は、教育を受け、文学的な「父の娘」であり、また、大学講師らしき夫をもち、「無学」な母親とは異なります。

 (写真左:長女バーバラと母ヴァイオレット)

仁生 父親と母親の教育の差という観点は、あまり考えてみませんでしたが、確かに言われてみるとそうですね。ヴァイオレットはそれに対するコンプレックスとひがみのようなものあるのでしょうか。そう考えると、彼女が夫に対して高圧的な態度を取ったのは、それの裏返しだったのかもしれませんね。

宮本 仁生さんの「裏返し」という点、私も気になります。この映画ではかなりいろいろな「謎」が隠されていて、それが魅力でもあるわけですが、すべてが説明されるわけではない。ヴァイオレットの傍若無人なふるまいのうちにも、先に川口さんが挙げてくださったような、さまざまな孤独だったり、葛藤だったりがねじれて表出しているように思えます。

仁生 ヴァイオレットとバーバラは、お互いがお互いをそれなりに認めているんだけれども、お互いに嫉妬もしている。母親は、田舎の家を捨てて「都会」に出て自由に暮らしているように見える長女に、娘は、自分が持ちきれなかった夫や家族への支配力をいまだ持っているように見える母親に。それは結局、幻想なのですが。でもあまりにも近い2人なので、相手を否定すると自分自身を否定しているかのような思いがあって、怒鳴り合っても完全には切り捨てられない、というジレンマを感じました。

宮本 ところで、アメリカでも、長女というのは、次女や三女よりも、親や家への責任をやはり感じるものといえるでしょうか?

仁生 長女と次女、三女の差というのは、やはりあるのではないでしょうか。でもこの家族の中では、実際に実家の近くに残って何かと親の面倒をみているのは次女のアイヴィーですよね。この映画を観たカナダ人とアメリカ人の知人は、北米においてもやはり、子どもが複数いると、誰が実家に残って親の面倒を見るのかという問題は必ず持ち上がり、アイヴィーの中には「家」にとらわれて自分の人生を生きられていないというルサンチマンがあるはずだ、と言っていました。だから、長女であるバーバラの中には、アイヴィーに対する負い目のようなものがやはりあると思います。この3人姉妹の間の関係というのも、非常に興味深いところだと思います。

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川口 家族間の絆はかえって強いように見えました。広大な土地を開墾し、隣といってもはるか遠くに隣の家があるような農村から発展したアメリカ社会は、伝統的に「家族」がとても大切な社会的単位になっており、家族間の結びつきが強いのです。けれど、時代が移り、都市化と生活スタイルの変化によって、結びつきが失われている――というのは日本と同様ですね。

 (写真左:左から三女、母、次女、長女)

――舞台、オクラホマをめぐって

川口 この映画を語る上ではやはりアメリカの風土、特にオクラホマ州という地域の特殊性が欠かせないと思います。そして、ポスト・フェミニズム。たしかオバマ大統領が登場した当時の演説の中にも出てきて、オッと思わされた「ダストボール」と呼ばれる砂嵐地帯があることで有名で、干ばつの被害が多発する。それゆえ農業国であるアメリカにおいてもかつては貧農が多かったことで知られています。スタインベックの『怒りの葡萄』は1930年代の大不況で、「オーキー」と呼ばれ蔑まれていたオクラホマの貧農たちが移住農民となってカリフォルニアをめざす物語を書いたものですが、そこにも、大変に強く頼もしい「マー」(母親)が出てきます。私はヴァイオレットはある意味、この「マー」の末裔、だと思っています。

仁生 なるほど。オクラホマという土地の地域性もかなり関係しているんですね。

川口 ただ、肝っ玉母さん「マー」には希望がありました。『怒りの葡萄』はジョン・フォード監督が映画化しているのですが、ラストでは、マーの怒ったような力強い声「あたしらはしぶとい。あたしら民衆は生き残る。奴ら(搾取する金持ち側)に消されやするもんか、負けるものかね。生き続けるんですよ、パー(父さん)、あたしらは民衆なんだから」が聞こえ、彼らの古ぼけたトラックは、どこかに向かおうとしていました。でも、ヴァイオレットはどこにも行けない。古い家ごと滅びるのでしょう。

仁生 そうですね。この映画は、母親と長女の関係の他にも、いろいろな人間関係があり、大きく分けると、母親と長女は家族を支配する側で、あとの人々は彼女らに支配される側という関係と言えると思いますが、結局、「弱い人々」は自由を求めて家から離れていってしまう。結局、自分に強いこだわりを持つヴァイオレットはそこから動けず、取り残されるところが逆説的かもしれません。

宮本 そうですね 彼女は外にでることもできない、その土地から離れることもできない、移動できないのですよね。宮本 私も、「弱い人々」が家から離れていく、あの映画の結末は象徴的だとおもいます。

川口  「アメリカの夢」が消えて久しい時代ならではの物語だと思います。

――カメラワーク、演劇から映画へ

 

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川口  「弱い人々」といえば、この映画の中の犠牲者は三人、次女と彼女がひそかにつきあっている従兄弟(カンバーバッチ演じるリトル・チャーリー)、そして彼の父親、妻にチャーリーと呼ばれ蔑まれ、こけにされ続けてきたチャールズですよね。あの父親を演じた俳優がすごくよかった。私はディナー場面の席上、彼が立ち上がり、外に出て煙草を吸う場面がとても印象に残っています。そこが映画の中で、ほとんど唯一といっていい、「映画的」と思ったカメラワークでした。ほかはほとんどすべて舞台のように長い台詞のやりとりが続きますが、この場面だけは、外に出た彼をカメラがすっととらえる。屋内の食卓風景と屋外に出た彼の姿が、奥行きのあるパンフォーカスで同じ一つの画面内にとらえられる。観客が、外に出た彼の心境に共感するように誘導するうまいカメラワークだったと思います。

そして、たしかワシントンポストだったと思いますがアメリカの映画評で、平原を走る父の死体を確認しにいった帰り道に走る平原のカメラワークがほめられていました。それを、クローストロフォービック、閉所恐怖症的だと言っていたのが印象的でした。平原なのにどこにも行けない。車は走っているけれど、どこに向かって行っているかがわからない。そんな不安感を感じさせる異様に長いシークエンスでした。映画版『怒りの葡萄』では、大砂塵と銀行の搾取によって土地を失った一家が、移住農民としてオクラホマ・シティからニューメキシコ、アリゾナを経て国道66号をコロラド川まで行きます。コロラド川を超えると、「乳と蜜」の国、「夢のカリフォルニア」が待っているというわけです。もちろん、その夢は無残に破れ去るのですが。しかし、『8月の家族たち』では、平原はあっても、進むべき「先」がない。あの延々と続くドライブ・シークエンスは、象徴的だったと思います。

宮本 アメリカでの評価も気になります。もとは演劇であったものを今回、映画化したということで、そうした面も注目されていたでしょうね。

川口 演劇は大変評価されています。舞台は3時間もので、それから一時間削ったのが映画版ですが、どうも、舞台の場面をひとつひとつ順にとりあげているような芸のなさが、英米の批評家から批判されています。舞台では、ガランとした大きな家の骨組みだけがあって、その中で、それぞれの家族間のドラマが同時進行しているそうです。なので、観客は眼を離せない。ところが映画はそれができないですよね。時間の流れに即して描かざるをえない。私は、この映画がいまひとつ共感をよべないのは、やはり演出の問題だと思います。具体的にいうと、中心となる視点人物がいないのです。これは演劇を映画にそのまま移しかえようとしたせい、でしょう。一般的な映画だと必ず中心となる人物に共感させるようなカメラワークがありますが、それがない。全員がフラットな感じで描かれている。だから、誰に感情移入していいかわからない感じの作りになっています。それはそれで芝居を観にいけない人のために作られた側面もあるのかもしれませんが。

仁生 演劇のほうは知らないのですが、映画は映画で、主演2人の演技力で十分迫力があったと思います。感情移入はできませんが(笑)。そういえば、ラストシーンの解釈は、よくわからなかったのですが、結局、バーバラも実家を捨てて出て行く→再出発する、ということなのでしょうか?

宮本 仁生さんのおっしゃる「結末」、わたしもずっと考えていました。長女はあのあと、家に戻ってくるだろうと…というのは虫のよい考えかもしれませんが。そう考えてしまう、考えたい自分がいました。ただ、あの二人はどうしてもいっしょにいることはできない、離れるしかない。そうでしか生きていけない人たちだと思います。

仁生 結局は、バーバラも、母親との関係、そして父親との関係でも、実は自分で自分を縛っていたということに気づき、立ち去ろうとした。でも、やっぱり戻ってしまった…という可能性もあるかも。

AUGUST: OSAGE COUNTY川口 あの結末は、実は、長女バーバラが、母親を問い詰める中で、ある決定的に残酷な真実に気づいてしまったことから生まれたものです。そこを、多くの人は、聞き逃し、とらえそこねているのではないでしょうか。二人の会話も弾丸的に早口だし、ある種、言葉と言葉の間に隠されたような形で潜んでいる真実ですから。単に、母親を見捨てたわけではない。母親の下したある決断に、彼女は、モラル違反を見て取ったのです。そこを見逃すと、この最後の娘の行動は、「共依存」からの脱却といった文脈でのみ語られることになってしまいます。モラルの問題はアメリカの作品にとって重要です。母の犯したモラル侵犯は、バーバラにとって赦しがたいものだった。彼女もまた、ある意味、非寛容な人間なのですね。そして彼女は立ち去る。母もまた娘が立ち去ることを受け入れる。その決定的な乖離を描いたところに潔さを私は感じるのですが…。甘い結末はいやですね。「救済」はない、というのがこの映画のダークな結末ではないでしょうか。

ヴァイオレットも自分の母親から暴力をうけていたと語る場面がありましたね。暴力の連鎖、近親相姦、あらゆるタブーが、ここには描かれています。それは、ある種、アメリカのスモールタウンの負の側面でもあると思います。私は昔はやった『ツインピークス』というTVドラマを思い出しました。どこにでもありそうな架空のスモールタウンを舞台にした、とんでもない人間関係のドラマです。

(写真上:長女バーバラと母ヴァイオレット)

仁生 『ツインピークス』もモンスター的な人ばかりが出てくるドラマでしたね!

川口 ヴァイオレットの怪物性についていえば、彼女は、ある意味、イギリスの女性作家メアリー・フランケンシュタインが造りだした怪物――小説『フランケンシュタイン』に登場する、創造主に愛されない、名前すらつけられていない怪物――を思い出させます。愛の欠落が怪物を作るのです…。

――トラウマが書かせたドラマ

 

仁生 「ラストでは、娘と母親は決定的な決裂をし、相手を失うことを潔く受け入れる」という川口さんのかっこいい解釈ですが、私がひそかに思っているところでは、実は2人ともそれほど潔くなかったかもしれませんよ(笑)。映画のエンディングもあえて解釈の余地を残すような演出になっていて、結局、強いはずの2人も家族という血縁・地縁のしがらみを捨てきれなかった、というかっこ悪い結末もあるのでは————それが「和解」や「救済」なのかは別の話だと思いますが。ヴァイオレットは、最後は自分が嫌悪していたネイティブ・アメリカンの家政婦に慰めを求めるわけで、やはりどんなに強い人間でも絶対的な孤独には耐えられなんじゃないかと。もちろん、ヴァイオレットには、かっこいい悪役に徹していただきたいところではありますけれど。

宮本 私も映画を見終わってから、あの映画の結末について考えていました。見る人によってさまざまな解釈ができる結末のように思えます。川口さんが提示してくださった、モラル侵犯が決定的な母―娘の決別となったという点は、とても納得できました。決定的な「真実」をつきつけられた次女、そして長女もまた、皆が母親をふりはらうかのように疾走してゆくさまが、とくに結末ではっきり示されていますね。彼女たちがこれからどう生きていくのか、気になります。

さて、そこで彼女たちの身に起こったこと、これから起こることを考えるわけですが、この映画ではほんとうにたくさんの俳優が登場します。最後に、お二人がこの映画でとくに気になった登場人物といえばだれでしょうか?

AUGUST: OSAGE COUNTY

 仁生 男性像については、私は「弱さ」を体現していたリトル・チャールズが印象的でした。彼とアイヴィーの関係をヴァイオレットが知ってい たのに、最後の最後に、爆弾のように真実を伝えるというのが、彼女の本当に残酷なところだとすごく感じました。アイヴィーに「あんたのためだ」と言ってま したが……

 (写真左:従兄弟リトル・チャールズと次女アイヴィー)

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宮本 リトル・チャールズはカンバーバッチが演じていましたね。

川口 オレゴン州で発行されている『ポートランド・オレゴニアン』紙という新聞では、カンバーバッチの内気な演技が過剰すぎてコミカル、と書かれてました。彼も、うまい役者さんなので。アメリカじゃ本当に生きてけないタイプの男性像になっていましたね。それから、彼の父親を演じた俳優がすごく気になりました。クリス・クーパー。いい役者ですよ!

(写真右:父役のクリス・クーパーと息子役のカンバーバッチ)

 AUGUST: OSAGE COUNTY宮本 長女の「父親」を演じているサム・シェパード(写真右)もすてきでしたね。映画冒頭で、暴言を吐く妻のことばを静かに受け止めている彼の背中が印象的です…。

川口  サム・シェパードはいつみても素敵ですね(笑)。早々にいなくなってしまうけれどすごく心に残る。

ところで、葬儀の後、皆で会食するフューネラル・ディナー場面は、二転三転しますよね! みどころです。ここでアノコトを言いだすか、と思えば、アレはそもそも根本から崩されているみたいな、オチがいくつも仕掛けられていましたね。

 

AUGUST: OSAGE COUNTY宮本 圧巻でした。トラウマというのか、どの人物も突かれたくない痛みをかかえている。それが、見ているこちら側にもひりひりと伝わってきて。

 川口 結局、この作品は、劇作家自身のトラウマが書かせたドラマといえるのではないでしょうか。彼はこの作品を書いた後、ようやく結婚する気になったとNYタイムズ紙に語っています。長年、すごく内にこもっていたらしい。10歳で経験した祖父の死が彼の心にトラウマとなってずっと残っていたんですね。カンバーバッチはある意味、劇作家のもっともセンシティヴなところを体現しているのかもしれません。長女のモデルは、劇作家トレイシー・レッツ自身の母親で、50代で自伝的な作品を書き作家になりました。ヴァイオレットは、原作者の母方の祖母がモデルです。

(写真上: 葬儀後の会食/フューネラル・ディナー場面)

宮本 なるほど そうだったのですね。劇作家自身のトラウマということでいえば、冒頭で川口さんが提示してくださった、自分の気持ちを表現する手段を得たことによって「母」の元を去る、アメリカの「娘」の話を思い出します。その意味ではトレイシー・レッツ自身も、語ることばを手にして、過去のトラウマから一定の距離を保てたのかもしれませんね。

映画では、互いがことばを投げつけるように、これでもか、と舌戦を繰り広げます。ことばがなかなか成就しない。結末に至るその葛藤のなかには、これまでみてきたように、「母と娘」という物語をはじめ、スモールタウンの負の側面、「暴力」の連鎖など、複数のキーワードがみとめられました。私自身、きょうは多くの視点を多くいただけました。みなさま、ありがとうございました。

構成・文責:宮本 明子

参加者紹介: 

川口 恵子 50代、大学講師。 映画研究・批評。 社会人となった一男一女の母でもあります。この数年、映画巡礼の旅にはまっています。

仁生 碧 「映画の中の女たち」のコーナーを担当。年間50~60本映画を観ます。監督の美意識が感じられるような作品が好きです。

宮本 明子 今年からこのサイトの映画欄にかかわるように。映画はもちろん、映画館に入るとき、出るときのふとした時間がすきです。

 

このつづきは近日公開、「座談会後編」 で――

 

『8月の家族たち』公式HPはこちら

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2014年4月18日よりTOHOシネマズ シャンテほかロードショー

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カテゴリー:新作映画評・エッセイ / 特集・シリーズ

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