エッセイ

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大阪市「特別教室」への隔離の思想と発達障害 秋月ななみ

2014.06.16 Mon

                     発達障害かもしれない子どもと育つこと。19

 大阪市の教育委員会は、問題のある生徒を「特別教室」に「隔離」することを提案したという(「問題児童らを隔離、「特別教室」で指導へ 大阪市教委案」朝日新聞201469日)。橋下徹大阪市長はこれを「承諾」し、実施が決定された(「問題児童らの特別教室新設 大阪市教委が正式表明」朝日新聞201469日)。橋下市長の言い分としては、「(問題行動によって)まじめにやろうとする生徒らが馬鹿を見ることはあってはならない」。大森不二雄・教育委員長(首都大学東京教授)は「深刻な問題行動を起こす子どもにしっかりとした指導とケアが必要だ」と説明し、「(一部の問題行動によって)学習する権利が十分に守られていない。きちんとケアしたい」とのこと。正直言うとゾッとした。

「隔離」の対象となるのは、校内暴力、非行、著しい授業妨害などが想定されており、具体的には、市教委が昨年9月に策定した問題行動の5段階の分類のうち、「レベル4」(激しい暴力など)と「レベル5」(極めて激しい暴力など)に該当する場合であるというから、相当の「問題のある生徒」を想定しているということがわかる。もちろん、そんな生徒を一カ所に集めて友達づくりを推奨してネットワークを作る手助けをしたら、問題行動は悪化するのではないか、そんな学生を指導する力量のある先生がどれだけいて、この教室に来てくれるのかといった人材確保の問題、そもそも「問題を起こしている生徒が、真面目に『特別教室』なんかに来るの?」と素人でも思いつく疑問がてんこ盛りである。大阪市の民間校長制度は不祥事のオンパレードの末に縮小、ほぼ廃止になっていっているのだから、おそらくこの制度もそうなるのではないかと想像する。

しかしなによりも気になるのは、「問題児童」への「指導とケア」という名前を取りながら、このような「まじめにやろうとする生徒」への迷惑が語られ、その学習権を守れといわんばかりの「排除」が、大っぴらに語られていることにある。ネットでみても、この方針に賛成意見を表明しているひとも多く、驚いた。

「気になる子ども」を抱えている親としては、「落ち着きのない子がいると迷惑」という言説に接することが多いので、まず最初にこのニュースには、我が子を「排除される側」に重ね合わせてぎょっとした。もちろん、本当に落ち着かない教室が多分にあるのはわかっている。なによりも本音をいえば、そのような子どもがいることがとくに発達障害の子どもにも多大な影響を与えるので(つまりは、「健常」の子どもよりもつられやすい)、「困るなぁ」と思う側にいることも、多々あるのである。

ただこのような「迷惑」が、「特別支援学級があるんだから行けばいいのに」という言説に簡単にスライドしがちなことにもまた、旨を痛めているのである。そして大阪市の「特別教室」みられるような発想が強化されることによって、「迷惑をかける子は排除していいのだ」という思想がますます蔓延していかないのかと危惧を覚える。

もちろん誤解しないで欲しいのだが、特別支援学級での指導とケアを否定しているのではない。特別支援学級があってよかったと思う。ただ本人の利便性からではなく、「周囲への迷惑」という視点からのみ考えられ、それが「排除」の思想に繋がるなどということはあってはならないことだと思うのだ。特別支援学級や学校を選択した保護者の口から、「周囲の叱責に耐えかねての選択」というようなことを聞くと、胸がつぶれる思いである(もちろん繰り返すが、その選択自体が間違っているという訳では決してない)。「排除」の思想が、強固にならないことを切に祈るばかりである。

また「他の児童の迷惑になるから投薬を」と勧められることがあるという話はよく聞いていたが、うちの娘もとうとうとうとう投薬を勧められるという経験をした。あるお稽古事で娘はものすごく落ち着きがない。先生のかかわりの塩梅が多少アンバランスだと親は思うのだが(問題行動は無視して場の選択権が先生にあることをきちんと示せば問題なく行くのだが、娘の意向を尊重してくれすぎ)、「薬を飲んだら?」といわれてショックを受けた。先生にも苦労させてしまっていて申し訳なくは思うのだが、薬を勧める前にとれる方策はまだまだたくさんあるように思った。辞める自由のあるお稽古事だからよいが、これが教室だったらショックはいかばかりかと思った。

「発達障害」の存在があきらかになって、理解が進むのはよいことだと思う。しかし発達障害が、「そういうひとは別のコースに行ってください」、「迷惑をかけないで」という排除の思想に繋がってしまうとしたら、それもまた問題ではないか。大阪市の選択は、たんに大阪市の教室の枠を超えて、日本社会全体に大きな影響を及ぼすのではないかと思うと(実際の制度は上手くいかないだろうと予想するのだが)、無関心ではいられない。

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シリーズ「発達障害かもしれない子どもと育つということ。」は、毎月15日にアップ予定です。

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参考:「問題児童らを隔離、「特別教室」で指導へ 大阪市教委案」朝日新聞201469日より

大阪市教委

 

カテゴリー:発達障害かも知れない子供と育つということ / 連続エッセイ

タグ:発達障害 / 子育て・教育 / 秋月ななみ