エッセイ

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セクハラ問題の本質(ドラマの中の働く女たち・11) 中谷文美

2014.07.25 Fri

『スタンドアップ』(原題 North Country)
監督:ニキ・カーロ、主演:シャーリーズ・セロン
配給:ワーナーブラザース
2005年/アメリカ/カラー/英語/124分

 6月18日に起きた、東京都議会での「セクハラ・ヤジ」事件。一般質問で登壇した塩村文夏議員に対し、「自分が早く結婚したらいいじゃないか」、「産めないのか」といったヤジが飛んだことが問題となった例の一件である。海外メディアではもっぱら性差別的(sexist)発言・暴言として報道され、国内でも、「セクハラ」という軽いものではなく、れっきとした女性差別だという指摘があちこちで出た。

 男性から女性に向けられた心ないヤジは、たしかに差別意識の表れといえるだろう。だが「働く女」の問題として考えるなら、これが都議会という塩村議員の「職場」で、ふつうに職務をまっとうしようとしていた最中に起きたという事実こそが重い。議場でヤジに同調する声や笑いが起きたこと、その時点では塩村議員も苦笑して受け流そうとしたこと――通常、セクハラは特定の上司と部下の間で起きるものと思われがちだが、いつもそういう形を取るとは限らない。むしろ、今回の事件で露呈したような構図こそが、個別のセクハラにつながる温床ともいうべき背景ではないだろうか。

 そのことに最初に気づかせてくれたのが、今回紹介する『スタンドアップ』である。セクハラ問題は、ドラマの中でもよく取り上げられてはいるが、この映画以上に雄弁で、かつ問題点を鮮やかに描きだした作品を私は知らない。ということで、テレビドラマから脱線して、今回は映画評としたい。

 失業中の夫から度重なる暴力を受けた末に実家に戻った主人公、ジョージー・エイムズ(シャーリーズ・セロン)は、シングルマザーとして2人の子どもを育てていける働き口を求め、地元の鉱山会社に就職する。ジョージーに仕事を紹介した女友達、グローリー(フランシス・マクドーマンド)の誘い文句は、「お父さんくらい稼げるわよ」だった。実際、鉱山で長年働き、そこでの仕事を生きがいとしてきたジョージーの父ハンク(リチャード・ジェンキンス)は誇りを傷つけられ、「レズビアンになりたいのか」「女が増えたことで事故が多くなっている」と反対する。

 この父と同じように、鉱山の男性労働者たちは、自分たちの職場への女性の参入に危機感を覚え、敵意をむき出しにする者たちもいた。経営側も、最高裁の裁定に従う形で、しぶしぶ女性を雇い入れているにすぎなかった。女性は入社前に妊娠しているかどうか身体検査を受けなければならず、ジョージーは出勤初日に男性上司から、「医者から聞いたよ、なかなかいい体してるんだってな」と声をかけられる。一瞬、動揺を見せた彼女は、上司に「ジョークだよ。なにより大事なのはジョークだ」といなされる。そんなことは序の口で、女性たちは日常的にさまざまな攻撃にさらされていた。身体を触るところからレイプ未遂に至るような個人対個人の深刻なハラスメントに加え、性的ジョーク、女性更衣室への性的落書き、ペニスの模型を弁当箱に入れるといった行為が執拗に繰り返される。上司に訴えても、もともとここは女の職場ではないのだから、そこに入り込んできた以上、じっと我慢して働けと言われるだけだ。

 大半の男性にとって、男らしい男であることと一人前の働き手であることは、問題なく一致する。しかし女性の場合は、女性であると同時に労働者であることが許されない。なぜなら、女性は「本来」男性の庇護の対象であり、男性の稼いだ糧によって養うべき存在とされているからだ。ジョージーの父親も、自分が養い、守る対象であるべき娘が、自らの誇りの源泉である鉱山で一人前に働こうとする事実に耐えられなかった。そして聖域を侵犯する女性に敵意を向け、ともに働く労働者として認めないことによって、男性労働者の団結は保たれることになる。

 鉱山は、この女性たちにとっても、生活の糧を得るための大切な職場である。にもかかわらず、一瞬たりともまともな労働者として扱われることなく、徹底的に性的な存在とみなされ続けることで、最初はジョークで切り返していた彼女たちの自尊感情は深い傷を負っていく。セクハラ問題の本質は、まさにここにあると思う。職場のセクハラにおいて、身体を触る、執拗にデートに誘うといった行為は、その相手となった女性にとって不快なものである。だが、被害者の側にとってそれが本当に耐え難いのは、同僚の1人としてではなく、常に女性として見られていること、つまり職場の異分子扱いされていることを思い知らされる瞬間だからだ。

 映画『スタンドアップ』は、1988年に和解が成立した全米初のセクハラ集団訴訟(class action)をめぐる実話をもとに製作された。映画の中でも、ジョージーはエスカレートしていくハラスメントに耐えかね、「女性みんなの問題」だとして会社の上層部に直訴するが、相手にされないばかりか、かえって事態は深刻化する。さらに、下手に騒いで職を失いたくない女性の同僚たちからも疎外されてしまう。まもなく、昔のボーイフレンドで数々のセクハラの首謀者でもあった男性から暴行を受けたジョージーは、辞職して裁判に踏み切った。原告を複数集めて集団訴訟をめざそうとするが、ほかの女性たちは口をつぐんだまま。だが、鉱山は男の職場だと繰り返す夫の男尊女卑的な発言に反発して、貞淑な妻だったジョージーの母親(シシー・スペイセク)までが家を飛び出すにいたる。

standup

 組合員総会の場で、満場の男たちからの粗暴で卑猥なヤジを一身に受けつつ、ジョージーはマイクに向かってこう言う。「私はただみんなと同じように働きたいだけ。給料をもらい、子どもを養う。土曜日にはバーでビールを一杯飲めたらいいなって。後ろに座ってる女たちもみんな同じはずよ。」ここでさらなるヤジが娘の発言を封じようとするのを見て、父は初めて仲間の男たちに反論し、娘をかばう側に立つ。その発言に、大きなブーイングと、同時に少数の男性からの拍手が起こった。女たちをからかい、馬鹿にし、性的攻撃の対象にし続けることで維持されているように見えた「男たちの絆」は、一部の男性たちに対しても抑圧的に働いていたのである。

 翻って日本では、かつて小泉元首相が田中真紀子外相(当時)の更迭に際して、「涙は女性の最大の武器」と発言したときも物議をかもした。ヤジではないが、根本的な構図は都議会の一件と変わらない。閣僚や議員としての職務を忠実に果たそうとしている存在に、その職務と無関係の部分で「お前は女だ」というレッテルを公然と貼ることは、侮辱だからである。そうした発言が繰り返されること、そしてそのような発言の不適切性をそのときその場で指摘する声が上がりにくいことも、政治の現場が男女双方に開かれたものとなっていないことを意味している。

 東京都の塩村議員に対して、その場で反論すればよかったのにという声も上がっていたが、それができない、あるいはさせないのがセクハラのセクハラたる所以である。少数派として置かれた組織で、ただ誇りを持って働こうとしても一人前扱いされず、すきあらば足をすくわれるような環境が、今なお多くの「働く女」にとっての現場なのだ。

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カテゴリー:ドラマの中の働く女たち

タグ:働く女性 / セクハラ / 中谷文美 / スタンドアップ / 塩村議員