2014.09.10 Wed
バルセロナでは年々、自転車で街中を走っているひとたちが目立ってきた。
ずいぶん前のことになるが、ふと思い出したことがある。1990年代、自転車に乗るひとは珍しかった。この頃、知り合いの男性がバルセロナ工科大学で建築を学んでいて、研究室を訪ねたことがあった。自転車で通っている彼は、研究室の中まで、愛用の自転車を運び込んだ。
それから、彼が書きためた設計図を見せてもらうために、自宅を訪ねたが、彼はアパートの通路に自転車を停めるときには、日本では見たことがないような、極太のチェーンで車輪をぐるぐる巻きにした。「これぐらいしないとダメなんだ。すぐに、誰かに持っていかれちゃうからね」
そうか。自転車はすぐ盗まれてしまうから、バルセロナのひとたちは自転車に乗らないんだと、妙に納得したことをよく覚えている。
今では、市内のあちこちに“BICING”と書かれた駐輪場がある。バルセロナにレンタル自転車が導入されたのは、今から7年ほど前だ。行政が導入したもので、駐輪場には、鍵がかかった、ポップな自転車がきれいに並んでいる。
自転車にはGPS機能もつけられ、そう簡単には盗まれない工夫がされているから、盗難防止策はばっちりだ。ただし、これはバルセロナの住民だけが使えるもので、しかも事前に登録しなければ、使うことはできない(有料)。いわば、住民への公共サービスの一環であり、観光都市バルセロナの景観の保全とイメージアップを図る目的もあるはずだ。
自動車による交通渋滞の緩和にもなるばかりか、個人が自転車を持てば、おそらくスペイン人はあちこちに好き勝手に?駐輪してしまうだろうから、放っておくと街は不法駐輪車で溢れ、トラブルの原因にもなりかねないからだ。さらに自転車に乗るひとが増えれば、大気汚染の軽減にもなる。市民にしてみれば、必要に応じて、簡単に自転車が借りられ、都合のよい駐輪場に返せばよいのだから、実に便利なのだ。環境にも優しいこうした暮らし方は、日本にとってのエコモデルにもなりえるだろう。
バルセロナは人口160万人を抱える大都市だ。地下鉄やバスなどの交通網が発達しているが、海と小高い山に挟まれているだけに、自転車があれば、自由にあちこち行けて、公共交通機関では味わえない、街の景色と風を堪能できる。
そしてこの街は、ヨーロッパの他の国やアメリカ、最近ではアジアから多くの人たちが観光に押し寄せる。この街を訪れた観光客が、自転車で爽快に街を走る住民を見て、自分たちも乗りたいと思うのは自然だ。
そうしたニーズが高まったことで、近年、観光客向けに自転車を貸し出すショップができてきた。特に若い観光客たちに人気で、市内のあちこちを自転車で駆け抜けている姿をよく見かける。たいていは2~3人連れで、いかにもリゾートウエアに身を包んでいるからすぐわかる。
バルセロネータの海沿いなら、道路も整備され、交通量も少ない。地中海から海風に吹かれれば、さぞかし気分がいいはずだ。市内観光を楽しむための移動手段としても大いに利用できる。
ただ、この自転車、道幅の広い道路や新市街ではさほど問題ないのだが、旧市街でこれをやられると、実に危なっかしい。細い道から、自転車が飛び出してきて、ヒヤリとした経験をしたひとも多いはずだ。しかもファーストフードを頬張りながら、大騒ぎしている姿はいただけない。それに中世の趣きが残る旧市街で、急いで自転車を走らせるのは似合わないのだ。あそこは走る場所ではなく、石畳をゆったりと歩くのがふさわしい。でなければ、蓄積された重厚な時間を感じることができないだろう。
ちなみに観光客用のレンタル自転車はおおよそ20ユーロくらい(1ユーロ=約140円)からだから、決して安くはない。バルセロナには網の目のように地下鉄やバスが走っているし、安い回数券もある。それらをうまく利用し、場所によってはタクシーに乗ったほうが、結局は安上がりだ。私の感覚では、公共交通料金は日本の半額以下、タクシー代はほぼ4割程度は安いと思う。
タクシーの運転手さんは、観光客に慣れているし、わかりやすい英語を話すひとも増えてきた。仕事をしながら、英会語力をアップさせているうえに、
「英語ぐらいできなきゃね。いつでもここに電話してくれれば、できるかぎり、急いで駆けつけるよ」
とさっと、自分の名刺を手渡す、商売熱心な若い運転手さんもいる。正直なところ、彼らは自分の生活のリズムを最優先するので、食事や休憩もそこそこにしてまで、客のために飛んで来てくれるとは思えないが、スペイン人らしくない?と思うほど、その営業努力には感心してしまう。
観光客なのだから、わずかな期間しか滞在しないとしても、その間に、指名をしてもらえれば、確実に売り上げアップにつながるからだ。市内はかなりの台数のタクシーが走っているが、不景気だけにタクシー同士の生存競争もますます厳しくなっているのだろう。
年配の運転手さんには、地方の都市から仕事を求めてバルセロナに移り住み、もう何十年もキャリアがあるというひとたちも多い。
私は運転手さんと話をするのが好きで、ついあれこれと質問してしまうクセがある。不機嫌な人(たまにはいる)以外は、故郷や家族の話題に触れれば、一気に親しくなれるからだ。家族をとても大切にするスペイン人は、生まれて育った環境や身内のことを話し出すと、次から次へと話が飛び出して止まらない。運転手さんの故郷が、かつて自分が旅行したことがある地方だと、たまらなく懐かしいし、知らない街なら、地方の暮らしぶりを想像することもできる。
バルセロナで自転車に乗るのも便利だけれど、話好きな運転手さんと、「あそのこのBARはぼったくり」だの、「○○○人(=外国人観光客)は格好の金ズルになっている」だの、街の裏話を聞くのは興味深々だ。観光都市の表の顔と違って、したたかにたくましく生きている彼らの本音から、今のバルセロナの姿が見えるのだ。
女性の運転手さんもちらほら見かけるようになった。昨年、私はアナという女性の運転手さんにお世話になった。彼女は日本の書に興味があるということで、私は自分のスマホに入れている写真を見せ、話がはずんだ。お互いにフェイスブックをやっていることがわかり、
「私の方から、今日、仕事が終わったら、友達リクエストを送っておくからね」
と彼女。しかし、待てど暮らせど、リクエストは来ない。アナだけでは、残念ながら、私の方からはリクエストすることができない。フルネームを聞いていなかったのだ。スペイン女性にはアナがいっぱい。石を投げれば、アナとテレサにあたってしまうほど、ポピュラーな名前なのだ。
きっと、この日も一所懸命に働いただろう彼女。仕事帰りには、BARで友だちと楽しく一杯やっただろうなあ。明るく楽しい女性だったから、私との出会いも、面白可笑しく酒のつまみぐらいにはしてくれたかもしれない。
カテゴリー:スペインエッセイ