2014.10.26 Sun
『続・最後から二番目の恋』
放映:2014年4月~6月、フジテレビ系列
脚本:岡田惠和、主演:小泉今日子、中井貴一
公式サイト:http://www.fujitv.co.jp/nibanmeno_koi/index.html
「女性が輝く」ってどういうこと?と思ってしまう今日この頃。今年10月には「すべての女性が輝く社会づくり本部」が設置され(本部長は内閣総理大臣)、政策パッケージも公表された。政府の定義によれば、「女性が輝く社会」とは、職場でも家庭・地域でも、女性が「個性と能力を十分に発揮し、輝くことができる社会」を指す。とすると、今回取り上げるドラマ『続・最後から二番目の恋』の主人公、吉野千明などは、職場で個性と能力を十分に発揮し、申し分なく輝いている存在である。
2012年1月~3月に放映された前作『最後から二番目の恋』は、テレビ局の敏腕プロデューサー、吉野千明(小泉今日子)が、仕事での行き詰まりをきっかけに、鎌倉に移り住むところから始まった。引っ越し先の隣家の住人は、鎌倉市役所観光課長である長倉和平(中井貴一)をはじめとする個性的な面々で、千明がそのお隣りさんたちとの間に疑似家族的な関係を育んでいく日常がテンポよく描かれていた。
続編では、千明はドラマ制作部の副部長に出世しているが、おかげでドラマ制作の現場から離れ、デスクワーク中心の毎日を送っている。実は、アシスタント・プロデューサーだった部下の武田(坂本真)がプロデューサーとなって現場を仕切っている様子が内心うらやましくて仕方ない。「若手を育てるのが今の私の仕事だからね」と明るく言いつつ、用もないのにスタッフたちの周りをうろつくかと思えば、ガラスの壁で隔てられた管理職用のスペースでは「副部長、副部長って…誰だってなれるっつうの。5人もいるんだから、副部長」などと一人で毒づいている。
喧嘩っ早い千明の飲み友達でもある隣人の和平は、観光推進課長に加えて、病気休職した同僚の代わりに秘書課長も兼務することになり、亡夫の地盤を継いで当選した新市長の伊佐山良子(柴田理恵)に振り回される日々。前作に続き、千明と和平の間に繰り広げられる丁々発止のやりとりは健在だが、私が注目したいのは、やはり毎回出てくる女子会のシーンである。
千明の同世代の友人、啓子(森口博子)と祥子(渡辺真起子)は、それぞれ出版業界、音楽業界で活躍する独身女性で、何かと三人で集まっては、シャンパン片手に仕事と人生を語り合う。服装といい、毎回食べたり飲んだりしている店の高級感といい、見るからに華やかな3人であり、そろって副部長に昇進もしている。が、出世を手放しで喜ぶ気分ではない。とりわけ千明は「好きなドラマ作れなくなったしさ。ハンコばっか押してるうちにさ、定年が来るよ、定年が」などとふてくされるのである。同時に、キャリアばかりでなく人生の終盤のあり方を意識し始めることで、家族を持つという選択をしてこなかった事実に対し、一抹の後悔や老後の生活への不安をにじませもする。50代を目前にした今だからこそ、家族で食卓を囲むという光景が「これからどれだけ頑張っても、もう手に入れられないもの」であり、「行きたくても行けない世界」を象徴すると感じられるようになってしまったからだ。
このトーン自体は、前作から引き継がれているものである。が、その後主人公たちがさらに年を重ね、一定の昇進も遂げ、その昇進ゆえに、真正面から取り組んできた仕事との向き合い方に修正を余儀なくされ…といった状況の中で、「私は一体、何を得たんだろう。そして、何を失ったんだろう」という問いを改めて胸に抱くことになる。
これまで「つねに全速力で走って」「一生懸命頑張って生きてきたつもり」の千明自身は、紆余曲折ありながらも、この状況にいたるまでの自分の選択を肯定している。今どきの若い女性のふるまいに違和感を覚えるという話から、「昔のほうが品とか節度とか、そういうものがあったんじゃないかな」と漏らした和平に猛然と反論もする。「おっさんたちはね、昔を美化しすぎだと思うんですよね。だって、昭和の男たちがみんな高倉健だったわけじゃないでしょう。ゼッタイ昔より今がいいと思いますし、今より未来のほうがゼッタイにいいと思いますよ。そういうふうに大人が少なくとも思ってないと、この国はダメになるでしょ。わかるでしょ、それ」。ただその一方で、早くに両親を亡くし、3人の弟妹を庇護してきた和平とその家族の、ときに面倒な、だが愚直なまでに温かい関係を目の当たりにして、自分が選んでこなかった「不自由」に思いを馳せたりもするのである。
千明と女友達2人を除くと、このドラマに登場する女たちは、見た目それほど華やかでもなければ、わかりやすいカッコよさもない。だが、それぞれが置かれた場でもがきながら、少しずつ前に進んでいく感じが描かれている。たとえば和平の妹、万里子(内田有紀)は、極端な人見知りで情緒不安定な傾向も持つが、千明の働きかけで、ドラマの脚本家として成長していく。ただ、大きな仕事に抜擢されるも、それは自分のやりたいことではないと感じ、今までのチームの一員にとどまることを選ぼうとする。
その姉の典子(飯島直子)は、専業主婦でありながら、自分の家に居場所が感じられず、実家に入り浸っている存在。夫のプチ家出をきっかけに、千明の職場でベビーシッターを引き受けたことから、仕事で初めて褒められる経験をし、保育士をめざすことを決意する。
和平の上司となった市長の伊佐山は、「やっぱり、あの女じゃダメか、死んだ旦那の市長が良かったけど、女房だっただけの女に市長なんて無理だ」と周囲が思いたがっていると考え、だからこそ失敗はしたくないと思い詰めている。ゆえに頑なな言動も多いが、始球式で下手に投げたほうがいいのか、びしっと決めたほうがいいのか悩んだり、PR写真のための掃除であっても、始めたからには掃除を最後までやらせてほしいと言ったり、地味な頑張りを見せている。
最終回の、千明の自宅を使ってのドラマ撮影のシーンで、部長が下した急な設定変更に現場が騒然となっているとき、「あいつらほんと馬鹿ですよね。現場のことなんかなんにも考えちゃいない」と憤るディレクターに「どう思います?」と問われて、和平はこんなことを口にする。「たしかに理不尽だなとは思います。ただあの、私50過ぎていま、市役所でね、2つの課長を兼務させていただいてるんですけど、やっとわかったことがあるんです。人が働く場所は、どんな場所も現場なんだって。ふざけんじゃねえ、やってらんない、上の奴らなんて現場のことなんて何もわかっちゃいないって、皆さんそう思われると思うんですよ。私もそう思ってましたよ。でも、こうやってみなさんが朝早くから準備をして撮影をする場所も現場なら、その無茶苦茶なことを言ってくる…部長さんがいる場所も、現場なんです。それは社長も、市長も同じなんですよ」。
「家庭の主婦なんかも同じなのかもしれませんね」とも言うこのときの和平は、キラキラしているわけではないが、いぶし銀のような鈍い輝きを放っている。それぞれの現場で、迷いながらも目の前の仕事に取り組む人は、女も男も、ひっそりと輝いているんじゃないだろうか。ていうか、そもそも「見るからに活躍している」状態でなければ、輝いているとはみなされないんだろうか。
企業だろうと政界だろうと、リーダーシップを発揮し、カッコよく仕事をしていく女性がいま以上に増えるといいなと私も思う。だが、家族を持たない選択をしなければ、あるいはオヤジ化しなければ「お金と自由」(と地位?)は手に入らないと思うしかないような社会は、やっぱりおかしい。「マタニティー・ハラスメント」なんて珍奇な言葉が早々に死語になってくれなければ、「女性が輝く社会づくり」というスローガンもむなしく響くだけである。
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