原発ゼロの道 エッセイ

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大間原発裁判、来春にも実質審理か  野村保子

2014.12.31 Wed

 12月25日、函館市の大間原発建設差し止め裁判の第3回目の口頭弁論が東京地裁で開かれた。現在の裁判の争点は、函館市には裁判の請求権がないとする「原告不適格」を主張する国と電源開発、原発事故による自治体崩壊の現実を福島の例を挙げ反論する函館市の主張である。増田稔裁判長は原告適格の有無の判断を留保すると述べたうえで、次回期日(2015年3月19日)には実質審理に入るつもりとの見通しを示した。国と電源開発には市の請求を認めるかどうかの判断と被告としての具体的な主張を準備するように、函館市側には審理での論点を整理し書面で提出することを指示した。

 行政訴訟の常として、原告適格が問題にされてきたこれまでの裁判の歴史からいえば、裁判長が実質審理に入る準備をせよと判断したことは朗報である。裁判後に開かれた記者会見で、弁護団のひとり河合弘之弁護士は、「門前払いの可能性が低くなった。一歩裁判が進んだ」と述べる。しかし12月16日電源開発が規制委員会に適合性審査の申請をしたことを受けて海渡雄一弁護士は、「国は適合性審査の判断が出るまでは準備書面を書けない事態に陥るのでは」と指摘した。入口は通過したが、楽観を許さない事態であることは衆目の一致するところである。

 福島原発事故後に起こした初めての裁判、そして全国で初めての地方自治体が原発凍結を求めた裁判の意義を、国も裁判所も改めて意識してほしい。福島原発事故の原因糾明と処理の難しさは、事故後3年半経っても殆ど進展せず、福島原発は今も汚染水が垂れ流しの状態であるのを観れば一目瞭然である。12万人を超える避難者が今も故郷を失っている事態を、裁判所も国も原発に関わる人々も謙虚に受け止めて欲しい。

 これまでの多くの原発裁判は負け続けた歴史がある。しかし昨年の大飯原発差止訴訟での判決は、国富(国の富)は人がその地で生きること、命の尊さを何より優先させるべきものと断じた。福島原発事故の後、原発の恐ろしさを十二分に意識した判決だった。大間原発は従前の原発の何十倍、何万倍も危険なフルMOX原発である。法律に照らして判断するのが裁判所であるなら、市民の命を預かる地方自治体の首長が市民を守るために起こした裁判の意義を今一度確認してほしい。

 4回目を迎える函館市裁判の行方を注視するのは、全国の市民であってほしい。なぜなら大間原発で使われるMOX燃料のなかにあるプルトニウムは、全国の原発で産まれた使用済み核燃料から取り出されたプルトニウムであるから。あなたの使ってきた電気のゴミから産まれたプルトニウムを処理するために、大間原発が建てられるのです。誰もが当事者であることを意識しなければ、日本の原発を止められない。

 次回期日は、第4回口頭弁論
 2015年3月19日 東京地裁 午後3時 傍聴券配布は午後2時半

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カテゴリー:脱原発に向けた動き / 投稿エッセイ

タグ:脱原発 / 原発 / 福島 / 野村保子

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