エッセイ

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フェミニストの明るい闘病記・忘れた頃の番外編その2 海老原暁子

2015.01.18 Sun

 再々再発治療の2クール目。昨年9月10日に入院して、5日連続投与の抗がん剤の1日目を終了したあたりから何だか具合が悪くなってきた。そもそも今回の治療は、1クールが終わったあと通常なら2週間程度で抜けるはずの副作用が1ヶ月たってもまだ続いている中での波乱のスタートなのであった。吐き気と頭痛と手足のしびれとめまいが、ずーっと続いたまま2クール目に突入するという経験はさすがに初めてである。腎臓の機能具合を示すクレアチニンの数値が高いままなのが気になっていたが、主治医によると、腎機能が低下しているため抗がん剤が濾過できず、いつまでも身体の中をぐるぐるまわっているから副作用が収まらないのではないか、との看たて。そんなあ!

40度・・・

40度・・・

 翌日、いきなり高熱が出た。39度から始まり、日中は40度を突破。水枕と氷嚢はすぐに生暖かくなっちゃって、あたしゃもうゆでだこ状態の意識朦朧。

 高熱の原因を突き止めるために再度血液検査が行われた。さてさて、今回の入院から、わたしは鎖骨下に埋め込んだCVポートという羽の生えたUFOみたいな受け皿を使って点滴をすることになっており、針をぷすっと皮膚直下の円盤に刺すだけて静脈に薬剤が注入できることを楽しみに待っていた。腕の静脈はもう点滴に絶えられないほど弱ってしまっているからだ。ところが、この救い主のCVポートが高熱の原因、つまり感染源なのではないかという疑いが出て来たため、せっかくのポートがお預けに。無理して腕にルートをとることになったが、ベテラン看護師が息を詰めて「入った!」と叫ぶ大仕事。それが1日しかもたないのだ。翌日には薬液が漏れて腕がぱんぱんに腫れ上がり、取り直しになる。もう泣きたくなりました。

 そんなこんなしているうちに、何だか腸の調子が悪くなって来た・・・2010年秋の根治術で10箇所以上切り貼りしたかわいそうなわたしの腸さん、そろそろ限界のようで、吻合した部分が拘縮して伸び縮みできなくなってしまっているのだとか。伸び縮みしないのでは腸の役割は果たせない。スカトロ劇場さながらの注腸検査を経て、ついにわたしは小腸バイパスと人工肛門造設の手術を受けることになってしまったのであった。拘縮した複数箇所をすっとばして小腸に迂回路を作り、排便に耐えられなくなった直腸を無視して、横行結腸の一部を体外に引っ張り出し、そこから排便するという荒技である。50半ばとはいえまだ乙女心の残るわたくし、お腹の真ん中に肛門が引っ越してくるなんて涙なしでは語れない悲劇だが、それしか生きる方法がないのなら四の五の言っている暇はない。腸閉塞状態から3週間の絶食を経ての手術は、体力が持つかどうかのぎりぎりのところで行われた。お陰で予後が悪く、いつまでたっても体力は回復せずに激しい痛みが続く有様で、今度ばかりはわたしも本当に参ってしまった。あまりの痛みに眠れず、寝返りを打ちたくとも身体をわずかでも動かそうとすれば激痛に貫かれて思わずうめき声が出てしまう。涙が自然にあふれてきて、泣きながら苦しむ夜が幾晩続いたことか。

 それでも術後3週間でかろうじて口から食事が摂れるようになり、がりがりに痩せてしまった身体に人工肛門が貼り付いているあちゃーの図にも慣れ、クリスマス直前に何とか自宅に戻ることができた。リンパ浮腫が両足に出て、歩行は困難。我が家は階段だらけの三層構造につき、お風呂に入って寝室に戻ろうとしたらアルプスの救助犬みたいに口にくわえたバスケットに汚れ物を入れて、四つん這いで階段を上がっていく有様である。ああ自己戯画化が好きでよかった、、、

孫ぐるま

孫ぐるま

 退院直前に主治医から緩和病棟、つまりホスピスに予約を入れるように指示され、医療コーディネイターからは介護保険と身体障害者手帳交付の申請をするように言われて、さすがに鈍感なわたしも「ああ、わたしはいよいよ末期がん患者なんだ」と自覚させられた次第。まだ死ぬ気はないのだが、統計的にはもう余命1年程度にカウントされているようである。いよいよわたしの闘病もラストステージに入ったようだ。がんそのものよりも、生きるための周辺の条件がどんどん悪くなって追いつめられている感がある。腎臓しかり、消化器しかり。身体というのは本当に複合的で総合的な機関なのだと痛感する。バランスよく機能しなければ意味がない。たとえ心臓が完璧に元気でも腎臓がまるでだめだったら人は生きていけないのだ。

 それでもわたしはまだ当分生きるつもりでいる。治療費を捻出するために、使える制度は何でも使おうと、障害年金の認定も申請した。最初はうまくいかなかったが、社会保険労務士の助けを借りて私学共済事業団から年金を受給することができるようになった。こういう時、フルタイムで働いてきたことの恩恵を感じると同時に、非正規雇用の労働者との間の不公平に申し訳ない思いにとらわれる。

 申し訳ないといえば、感染源の特定のために連日のように血液培養の採血が行われていたころ、エボラ出血熱が大きく報じられて、ここでもわたしはなんだかお尻がむずむずするような思いを味わった。病室とも言えない掘建て小屋の寝台に横たわって、点滴もろくに受けられず絶望の中で死んで行くアフリカの人たちに比べてこの自分はどうだ。最高に清潔で最高に居心地の良い病室で、看護師さんがわたし一人の採血のために何組もの手袋を使い捨てるのをただ見ている・・格差、という言葉の残酷さが身に沁みたのであった。

 退院すると介護認定の手続きが待っていた。自力で歩けない上に人工肛門がついたことで自動的に身体障害者と認定されたわたしは、要介護状態にあるとみなされるらしい。自分が自分でなくなっていくようで少々戸惑いがあるが、すべては現実に起こっていることなので受け入れざるを得ない。

 退院直前に、いつもお世話になるベテランの看護師さんが、「こんなに急激に病状が進む患者さんも珍しいけど、山本さんよくついてきてるな、ってみんなで感心してるんです」と口にした。病状が進んだ先に待っているのは何か、多くの癌患者に接して来た思慮深い看護師である彼女が、あえてこれをわたしに告げたことには意味があると思わざるを得ない。それは、わたしは遠からずさらに病気が進んで死ぬのだよ、変な期待はするだけ辛いよ、というメッセージに他ならない。正気を保つために現実を見ろ、ということなのだ。わたしは一瞬傷ついたあとに、彼女に深く感謝したのだった。惑わず、残された日々を懸命に生きよう、自分のため、夫と子供たちのため、そしてできれば野良猫とホームレスのために。

 「フェミニストの明るい闘病記」のこれまでの記事は、こちらからどうぞ。

 編集部より:著者の海老原暁子さんは、2015年3月23日、永眠されました。読む人に勇気と生きる喜びを伝え続けてくださったこれまでの記事の数々に感謝し、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

もんちゃん、リラックス

もんちゃん、リラックス

カテゴリー:フェミニストの明るい闘病記

タグ:海老原暁子 / 病気 / 闘病記

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