2015.01.16 Fri
現在公開中のロウ・イエ監督最新作『二重生活』をめぐって「文革」を研究テーマとする社会学者・福岡愛子さんとWAN映画欄コーディネーターの川口恵子が語り尽くす対談、後編です。今回は中国映画をより深く理解するための貴重なサイト情報や書籍もご紹介いただきました。ぜひ、最後までお目通しください。
福岡:川口さんはロウ・イエ(婁燁)作品を初めてご覧になったのが前作『パリ、ただよう花』だそうですね。あれは、ロウ・イエ監督が、2006年に『天安門、恋人たち』を撮って中国での映画製作を5年間禁止されている間にほぼ全編パリロケで製作した、いわば異例の作品ですが、川口さんの評を拝読して見直しました。今回のネット対談を前に、他の作品もご覧になりましたか? 何か印象に残っていることがあれば教えてください。
『二人の人魚』と『スプリング・フィーバー』
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川口:今回『ふたりの人魚』(2000)と『スプリング・フィーバー』(2008)をDVDでようやく見ることができました。『ふたりの人魚』を見て特にそう思ったのだけど、この監督は物語を語る話法が天才的ですね。モノローグでひっぱっていきつつ、途中から視点人物が変わり、観客を迷宮的世界に入りこませる――このあたり『二重生活』に通じるものがあります。物語が入れ子状になっていて、目の前に広がる世界を構成している「からくり」が次々壊されてはまた新たな世界が紡ぎ出されていく――虚実の境い目が曖昧になっていく展開がスリリングでした。それでいて抒情的。上海という街を川から眺め、そこに生きる人々を映し出す冒頭のドキュメンタリー的シークエンスも素晴らしかった。
福岡:そうそう、ロウ・イエ作品を通じて強く印象に残るのが川と水、あるいは雨、それも叩きつけるようなどしゃぶり。ちなみに『ふたりの人魚』は、中国語の原題も英語タイトルも端的に「蘇州河」です。その中で、これまで使い古されてきたかつての魔都・上海のイメージや、改革開放の先端を行くおしゃれな都市の表象を覆したのが、蘇州河沿岸のすさんだ風景でした。船上で生活する謎めいた女性と、彼女が語る物語の中の少女が主人公なのですが、彼女たちの生も死も蘇州河とともにある。日本の観客にとっては、それを一人二役(とは言いきれない微妙な設定なんですけど)で演じた周迅という女優の鮮烈デビュー作でもありました。孤独な少女を乗せて走る「運び屋」の青年のバイクを追うカメラや、蘇州河を行く船上からの風景描写など、「流れ」「漂う」感覚が強烈でしたね。そして、語り手となっているカメラマンの男性は、重要な役どころでありながら一度も登場しない。男性のまなざしがとらえた女性の美しさは、単なる被写体であることを超えて魅力的なのに、主体であるはずの男性は不在。少女が恋する「運び屋」の青年の方も、少女を探し求める一途さだけが目立つ弱々しい存在です。存在感ある魅力的な女性vs女性依存的なさえない男性という対照性も、ロウ・イエ作品の多くに共通する特徴の一つのように思います。
川口:すさんだ都市風景の中を漂う女性を描くのは『パリ、ただよう花』のヒロインとも通じますね。それで思い出したのですが、『ふたりの人魚』の冒頭シークエンスの最後に映し出される「蓮の花」を覚えていますか? 私はあの川の水の淀みと、そこに浮かぶ小さな白い蓮の花が忘れられない。蘇州河の水が澱のように溜まっているところに、かろうじてひっかかって揺らいでいるのです。
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福岡:「蓮の花」といえば、『スプリング・フィーバー』のオープニングにも水槽に浮かぶ蓮の花のショットがあります。とても印象深い、叙情的なオープニングですよね。 『スプリング・フィーバー』は、中国語で《春風沈酔的夜晩》というタイトルなのですが、これは明らかに郁達夫の小説《春風沈酔的晩上》からきてるんでしょうね。郁達夫は、中国文学に疎い私も名前くらいは知っている1920~30年代の詩人・作家です。日本の降伏直後に謎の死を遂げた人物ですし、映画の中で彼の詩も引用されてたと思うので、映画と小説との関係についても語れたらいいのですが、残念ながら私には無理だわ。
今回はいよいよ『二重生活』が一般公開されて私たちもロウ・イエ監督にお会いする機会があったりしたので、その時のホットな話題を取り入れることにしましょう。関係者の話では、監督が好きな日本の女優は桃井かおりだそうでしたよね。風景の中を漂うロウ・イエ作品のヒロインたちにも、通じるものがあるでしょうか。
ロウ・イエにとっての日本の70年代
川口:70年代の日本映画をけっこうご覧になっていると関係者から聞いてなるほどと思いました。あの頃の日本よりはるかに急速な勢いで都市化・近代化が進む中国だけど、どこか70年代の日本と中国の今は共通している部分があるんじゃないかしら。少なくとも映画に関していえば、今の日本映画にはない「渇望感」が70年代の日本映画にはありました。60年代の学生運動の挫折を経て、ある種の欠落感・失望感を抱えながらも、まだ60年代的な熱の余韻を漂わせている。何かを求めて永遠に彷徨い続ける感じですね。そんな「満たされなさ」をひきずっているのがあの頃の桃井かおりだったと私は個人的に思っています。それが、ロウ・イエ監督のヒロインたちからも感じられる。虚無を抱えながら彷徨う。そこに今の日本の若者たちも共感するのではないかしら。
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福岡:中国との関係で70年代の日本映画といえば、なんといっても『君よ憤怒の河を渉れ』ですね。60年代の学生運動後に日本で作られた映画が、文革後の中国で熱愛された。1965年生まれのロウ・イエは、十代で見たことになりますが、その後も全国でくり返し上映され話題にされた作品です 。ロウ・イエが同世代の監督と共同で撮った第一作『デッド・エンド 最後の恋人』では、主人公のティーンエイジャーの初デートの場面で、映画館から流れてくるのが『君よ憤怒の河を渉れ』のテーマ曲でした。
川口:タイトルから想像するだけですが、その『デッド・エンド 最後の恋人』の延長線上に『天安門、 恋人たち』があるとすれば、ロウ・イエを含む「第六世代」の監督は、中国映画史的に、「天安門以後」の監督たちと位置づけることができるでしょうか? その彼らといわゆる「第五世代」の監督たちの政治的スタンス はどう異なるのでしょうか?
中国の「第五世代」「第六世代」
福岡:そういう位置づけは可能でしょうね。彼ら「第六世代」ですと、文革期に紅衛兵だった「第五世代」と比べて、「文革後」の意味が全然違うと思います。「第五世代」の場合は、文革後に北京電影学院が再開されてすぐ入学した同期が、その後十数年して監督になるや、こぞって文革の時代を描いた映画を世に出します※。それぞれの監督の個人史上の意味からすれば、自分たちの青春に決着をつける作品だったと言えるでしょう。
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川口:では、「第五世代」は「文革以後」の監督たち、「第六世代」は「天安門以後」の監督たちと理解してもいいでしょうか ?単純すぎますか?
福岡:確かにロウ・イエら「第六世代」の場合、物心ついた頃には紅衛兵運動は終ってますから、改革開放や1989年の天安門事件の影響の方が大きいでしょうね。
「六四」天安門事件は、共産党一党支配の強化による思想的締めつけと、市場経済導入による自由化、という二つの面をもたらしました。そういえば「第五世代」の文革映画も、天安門事件後の抑圧的な空気を打ち破って、共産党支配への疑問や諷刺を込めた骨太な作品だったからこそ、世界の注目を集めたといえるし、改革開放の結果、国際資本と国際市場の恩恵にあずかれたからこそ可能になった大作だったわけです。つまり「文革後」映画であり「天安門後」作品でもあった、ということを最近になって、中国映画の大家・刈間文俊先生の講演に触発されて再確認しました。
川口:二つの世代は、明確に区切られているわけではなく、連続性があるわけですね。
福岡:そうだと思います。そもそも、「第五世代」という呼び方は、「文革後」の映画監督を、中国映画史の連続線上に位置づけるもので、彼らの画期的な斬新さを見逃す恐れがあります。文革後の中国映画には、それまでの作品とは全く異なり、中国共産党のプロパガンダとしての映画表象を解体する革新性があった。そのことを認識しながらも、この対談では便宜上「第五世代」「第六世代」という表現を用いてますが、両者はともに中国映画史上の「新世代」であって、文革以前の監督たちとの違いの方が断然大きいわけです。
先ほど川口さんがおっしゃった70年代の日本と今の中国との相似でいえば、キーワードは「高度経済成長」でしょうか。その先が見えてきた感じや負の面も露わになった、という意味も含めて。
それにしてもさすがロウ・イエですね。好みの女優は中国で一番人気だった中野良子じゃなくて、桃井かおりとはね。それと関連して、ロウ・イエ作品の中で気になる女優さんとかいますか?
桃井かおり的アンニュイの魅力
川口:『二重生活』で妻役を演じたハオ・レイですね。 彼女が随所で見せる虚無的な表情が好きです。彼女によく似た女優さんが『スプリング・フィーバー』にも登場して同性愛の男二人と車で旅をする。ヌーヴェル・ヴァーグの映画みたいに都会的だけど、醒めてる。そのアンニュイな感じは『二重生活』の本妻役と共通してます。今の日本の女優にはない虚無感・退廃を漂わせているところが好きです。何も信じていない。ただ乾いた都市の中を彷徨っている。その感じは『スプリング・フィーバー』で最後にどこか別の街で生き直す男――今回、『二重生活』で夫役を演じたチン・ハオにもありますね。あの映画のラストで、大きな花の入れ墨を胸いっぱいに彫るシーンがあったけど、今回、それを削った跡みたいなのが見えて痛々しかった。本当に彫ったのじゃないかと思うくらい(笑)。存在の不確かな感じがロウ・イエ監督の登場人物たちの魅力だと私は感じてます。何かが決定的に失われている感じ。それで花の入れ墨をほったりする。
福岡:この対談の前編で、ロウ・イエ作品の中の男性表象について、意外とリアリティがあるという話をしました。女性表象と対の関係にあるのではないか、とも。監督自身も、今の中国には『二重生活』の夫みたいな男は多い、と述べているようです。それだけでなく、彼が欲望のままに生き、それがとどまるところを知らない、決して満たされることはない、という点も強調している。ますます孤独は深まるわけですね。監督の女性観・男性観の問題というより、この対談の前編で川口さんがおっしゃった、現代社会への冷徹なまなざしと消費文化への批判が込められていたのか、とあらためて思いました。叙情的・文学的な趣味もさることながら、社会的問題意識の強さを感じます。監督自身、中国でも社会学者の興味を引く作品だと言ってました(これは私が拙い中国語で直接話した数少ない内容のひとつ)。
川口:新宿K’s Cinemaで行われた社会学者・宮台真司さんと監督の対談も「欲望」をめぐるものでしたね。少々男性目線なのが気になりましたが(笑)。ところで、福岡さんは「緑茶女とフェニックス男 」って中国語の表現を聞いたことありますか?
福岡:いえ、知りません。とっさに、『緑茶』と『ソング・オブ・フェニックス』という中国映画を思い出しましたけど(笑)。
川口:ミュージシャンの曽我部恵一さんとの対談中に監督が紹介した表現です。『二重生活』に登場する女子大生の話が出た時、「彼女のような子たちを中国では『緑茶女』と呼ぶんですよって。
福岡:え、そうだったんですか。となると、ロウ・イエと同世代のチャン・ユエン(張元)が監督した映画『緑茶』も、そのタイトルからして相当意味シンだということですね。『緑茶』のヒロインは、カフェで男と逢って緑茶占いをする女です。
川口:監督によれば「見た目は清楚で飾り気がない」けど、「裏では複数の男たちを喜ばせているから」緑茶にたとえられているとのことです。一方、主人公のヨンチャオのように、妻や愛人の力を利用しつつ悠々自適に暮らしている男は「フェニックス男」ですって。
中国映画とイケメン
福岡:へぇ~。『緑茶』また見直さなきゃ。先ほど、ロウ・イエ×宮台対談が「男目線」だという御指摘がありましたけど、私たちも「女目線」で男優の品定めでもしますか? そうなると、中国映画のイケメン不在論から説き起こさなくてはいけない。普通、社会史的な意味での映画史に欠かせないのが「銀幕のスター」の変遷ですよね。ところが、私が中国語圏映画を見始めたのは1980年代後半の台湾映画からなんですが、その当時も、その後大陸の作品に関心が拡がってからも、憧れのスター的な存在は全く見出せませんでした。実に禁欲的な映画鑑賞が10年も続いたわけです。胸ときめくかわりに、脳天に一撃くらうような、あるいは心揺さぶられるような、猥雑で無骨な作品群が印象的でした。その後ウォン・カーウァイ(王家衛)監督の香港映画を見るようになって、がぜんミーハー的な映画館通いに転じます。
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川口:私は1980年代後半、パリで映画三昧の日々から帰国後、出産して子育てしながら派遣の仕事と映画の仕事の両方をこなしていた頃、夫の就職がきまって地方に移らざるを得なくなって、「映画の仕事」から遠ざかったことに悶々としていた時、香港映画に出会いました。バブルの熱まだ冷めやらぬ頃で、世の中の景気感と香港映画のパワーがマッチしていた気がします。静岡市内から浜松の小さな映画館まで香港映画オールナイトを見に行ったり、レンタル・ビデオが普及し始めたのでチョウ・ユンファ主演の『男たちの挽歌』シリーズにのめりこんだり。チョウ・ユンファには「銀幕のスター」感がありましたよ。日活映画の影響も感じられて懐かしい感じでした。昨年末に閉館した新宿ミラノ座で『グリーン・デスティニー』彼が初日舞台挨拶に登壇した時(2000年11月3日)も駆けつけました。日本で収容人数の大きい映画館に満員のファンがつめかけて、スターってこういう人をいうんだなって。豪華ハリウッド・スター(笑)の記者会見も何回か行きましたが、スター・オーラという点ではユンファのほうが勝ってる気がしました。ウォン・カーウァイの映画『恋する惑星』『欲望の翼』『花様年華』に出てくるトニー・レオンも独特の哀愁が漂っていて好きでした。大陸の映画は遅れて見始めましたが、大陸の映画には確かに「いい男」がいなかった。あの頃の中国映画には豪奢さのかけらもなくて、まだ土臭かったですし。「イケメン」なんて不埒な存在(笑)、許されなかったんじゃないかしら。
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福岡:私の友人で香港映画から入った人は、根っからのイケメンハンター。その後大陸や台湾・韓国の映画やドラマも見るようになって、イケメン出現率と民主化レベルとの相関関係を唱えるに至りました。今では仲間内で一目おかれるアジアイケメン研究家です。この問題は、スターを生み出す制度と民衆の好みの裏にある価値変化という二つの媒介項に注目する必要があると思うんですが、私自身はまだまだ勉強不足です。
アジアのイケメンスターがブームになり始めた頃、ある男性映画評論家が「ハリウッドスターだと手が届かないけど、アジアの男なら」ってことなんじゃないか、みたいな遠慮がちな書き方してたの読んだ記憶があります。違う!単に手近なところで間に合わせようってわけじゃない、と思いましたよ。
川口:いわゆる「イケメン」って最近のハリウッドでもうけないですよね。スターに求められる基準が違ってきた。正統派美男子がハリウッド・スターになれたのは1950年代まででしょう。第一、「いい男」=イケメンじゃないし。いい映画にイケメンはいらないし。イケメンじゃ映画はひっぱれないのです。あ、ここまでいうと見解の相違でケンカになるかも(笑)。このへんで、福岡さんの見てきた中国語圏の映画の流れについて語っていただきましょう。
中国映画この30年
福岡:かれこれ30年近く中国語圏の映画を見てきましたが、この間に台湾~中国大陸~香港(そしてもちろん韓国)で、それぞれの戦後史の中でも前例のない全く新しい映画のうねりが次々と起こってくるのを実感しました。80年代から90年代にかけては中華電影が世界の映画祭を席巻するかのような時期もありました。ところが中国大陸では、2001年にWTOに加盟して以来、ハリウッドの豪華作品が話題をさらうようになり(ほんと、ダフ屋まで出る騒ぎでした)、国産映画は振るわなくなっていきます。私が北京に行くようになったのもその頃からですが、まだネットの映画情報などない時代ですから、映画探しには苦労しました。やっと本当に上映中の中国映画を見つけても、観客が私一人しかいないことも何度かあって、映写技師がわざわざ出てきて次の回に来てもらえないか、なんて言われたり。国家図書館での文献調査の合間にやっと行ったので、なんとかお願いしておひとりさまで見せてもらいました。
やがて「第五世代」といわれた中国の大物監督が、ハリウッドばりの超大作を手がけるようになります。東京のミニシアターで中国映画を見続けてきた従来のファンには不評でしたが、宣伝費もはずんで日本全土での認知度も上がりました。その一方で、「第六世代」監督などの低予算映画も、若い人たちの間にじわじわとファンを拡げているようですね。日本でも、中国映画だからというより、それぞれの作品のテーマや雰囲気が好きだったり、スタイリッシュで都会的な、あるいはドキュメンタリー的な映像に惹かれたり、自然に受け入れられてる気がします。そしてまた国策映画といえども、今や市場経済に耐え、消費者の目にかなう作品でなければなりませんから、実に多様です。その中のごく一部とはいえ、選りすぐられた作品が日本に紹介され続けているのはほんとに有難いです。
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この対談は、『二重生活』絶賛路線で進められてきましたが、宣伝文句になってる<メロドラマ・ミステリー>という意味では、もっと魅惑的なメロドラマもあったし、もっと複雑なミステリーもあります。先ほど思いついた『緑茶』(2002/2006)では、人気女優ヴィッキー・チャオ(趙薇)が女性の側の二重性でジャン・ウェン(姜文)演じる女好きオヤジを翻弄する役柄で〔一人二役かどうかは、「緑茶女」の意味を知ってしまった今となってはますます謎〕、魅力全開でした。目下公開中の『薄氷の殺人』(2014/2015)などは、最初から最後まで凍てつく寒さとはりつめた緊迫感で、一瞬たりとも気の抜けない作品。どんでん返しの量と質においてもウワテかもしれない。それでもやっぱり優劣つけがたく『二重生活』に惹かれるのは、全篇を覆う空気とでもいいますか、これは映画館の暗闇の中で感じるしかないものです。ネット対談では語りきれない。それに加えて、後からDVDでくり返し見て味わう楽しみというのもあるわけで、ロウ・イエの『パープル・バタフライ』(2003/2005)は、チャン・ツィイー(章子怡)×仲村トオルという二大スターの起用にもかかわらず深みのない映画だなぁと思ってたのに、自宅でプレイバックしながら見て初めて、細部まで練られたなかなかのシナリオだということに気づいたりしました。
川口:大きな視点から国家や社会を撮っていた第五世代の巨匠とは違って、第六世代の監督たちの作品は、小品ながらより洗練された形で社会を描いているのが魅力ですね。ミステリーやサスペンスといった既成のジャンルをうまく用いているのも特徴的です。そこに抜群の映画のセンスが感じられる。そうした映画的センスを養うにはいい映画をたくさん見ることが大事で、映画史の知識も必要だと思います。そうして初めて映画の動向が見えてくる。私自身は、第五世代の巨匠や第六世代の監督たちを輩出した北京電影学院の教育内容にすごく関心があります。ロウ・イエ監督も脚本を手掛ける盟友のメイ・フォンも通ったようですし。どのような映画教育なのか、知りたいです。
中国映画入門指南
福岡:そうそう北京電影学院は、優秀な映画人を輩出して中国映画界に不動の地位を占めるエリート大学ですが、最近はその系列とは無縁の人材の活躍も注目されます。特筆したいのは「八〇後」と言われる80年代生まれの二人の作家です。グオ・ジンミン(郭敬明)の『小時代 Tiny Times』 シリーズと、ハン・ハン(韓寒)の初監督作品『後会無期』は、ともに自作の人気小説をベースにした話題作。『小時代』は三作目しか見てませんが、あり得ないことだらけのラブ・コメディで、韓流アイドルみたいなかわいい男の子と女の子がいっぱい出て、上映館は超満員。それとは対照的に『後会無期』は、荒涼とした風景の続くロードムービーなのに(私は断然こちらの方にメロメロでした)、興行成績も好調でした。こんな現状も含め、中国映画に少しでも興味を持っていただいた方の御参考までに、私と同じ時期に中国映画を体験してきた人たちの中国映画評を、最後に紹介させてください。一人は中国映画好き高じて中国語をマスターし北京に移り住んだ元フリーライターの井上俊彦さん。彼が、自ら北京市内の映画館で見たばかりの作品について、映画館情報や中国の観客たちの反応をまじえて紹介しているネット上のコラムです。
●井上俊彦さんのコラムはこちら
もう一人は、日本の新聞社で現役記者時代から中国語映画にはまった紀平重成さん。こちらもネット上のコラムで、退職後はますます幅広く東南アジアやインドや中東なども含め、多様なアジア映画を紹介しています。監督インタビューやロケ地巡りレポートなども必見です。
●紀平重成さんのコラムはこちら
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そして三人目は、私と同年代の小林美惠子さんで、国籍問わず多種多様な映画を毎月大量に見続け、しかもその評を「映画日記」に書き残して、10年前からは雑誌『トーキングヘッズ』(アトリエサード)に映画コラムを連載し出したという女性です。ちょうどそれが『中国語圏映画、この10年』として出版されたばかりなんです。全100本の中国語映画を巧みな章立てでさばき、しかも、渾身の索引つき。どこから読んでもどこまで読んでも面白い、中国映画好きによる中国映画好きのための本です。
中国映画の魅力は、いい年した大人たちの人生を変えちゃったんですよ。
著者/訳者:藤井 省三
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ISBN-10 : 4022569484
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中国にも映画にも全く素人だったその大人たちが、夢中で読んだのが中国文学者の藤井省三さんの著書でした。藤井先生自身、中国映画好きの一人として、ご専門も生かした映画の読み解き方を明かしてくれています。
著者/訳者:藤井 省三
出版社:岩波書店( 2002-07-25 )
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川口:DVDからインターネット配信までされる世の中になって、「映画を見る」という行為から歴史性・社会性が失われつつある今、こんな風に「人生」をかけて映画を見てきた人たちの手による指南書はますます希少価値がありますね。良きガイドと共に、映画の真価に触れる機会を多くの方たちに持っていただきたいと思います。福岡さん、長時間(!)ウェブ対談、ありがとうございました。私自身、とても勉強になりました。
福岡:こちらこそ、楽しい機会を与えていただき、ありがとうございました。ロウ・イエ監督が、鋭い問題意識と不屈の創作意欲で中国の今を切り取った映画は、それを見ること自体が歴史的遭遇の機会になるわけですから、まずはリアルタイムに映画館で見たいですね。DVD鑑賞は、家庭での気楽な楽しみというのが最大の魅力だけど、その作品を自ら歴史化する機会にもなり得ると思うと、それはそれで楽しみも深まる。とかなんとか言って、これだけ大量に見てると、本当に記憶に残るのはそれぞれの作品のある一場面だけだったりするんですが。それでもやっぱり見続けるし語り続ける。また楽しみにしてます。
川口:そう、私も今、なぜか、蘇州河の淀みに浮かぶ一輪の白い花のイメージを思い返しています。『ふたりの人魚』に出てくる蓮の花です。『スプリング・フィーバー』でも水槽の中で水中花のように妖しく人工的に浮かんでいましたね。映画って本当に摩訶不思議なものですね。またおしゃべりできるのを楽しみにしています。
※ いわゆる「第五世代」監督が1990年代初期に撮った文革期を描く作品の『タイトル』(製作年/日本公開年)は、以下のとおり。
ティエン・チュアンチュアン(田壮壮)『青い凧』(1993/1994)
チェン・カイコー(陳凱歌)『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993/1994)
チャン・イーモウ(張芸謀)『活きる』(1994/2002)
その後も、チャン・イーモウは『サンザシの樹の下で』(2010/2011)や『帰来』(2014/2015年公開予定)などで、文革の時代を描き続けている。
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