エッセイ

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子どもの成長 秋月ななみ

2015.03.19 Thu

                             発達障害かも知れない子どもと育つということ。28

 今日はびっくりするようなことが起こった。なんと娘が自分一人で起きて自分でパンを食べ、むしろ私を起こしに来て(実際には布団のなかで起きていたのだが)、自分で着替えて、「早くしなさい!」と怒られなくても、遅刻しないで行ったのである。しかも、忘れ物もしていない。奇跡、奇跡だ。初めてのことである。やればできるんじゃないか。

 おかげで、私も同じことを言い続けなくても済んだし(「着替えなさい」「着替えなさい」「間に合わなくなるんじゃないの?」)、自己嫌悪にもならずに済んだし、何よりも「遅刻だよ!」と怒鳴っても遅刻する娘を担任がどう思うかも考え込まずに済んだし、自分の気持ちを建て直す必要もなく、自分が仕事に出かける用意ができた。多分、「普通の子」は、毎日こういう風に出ていくんだろうなぁ、と思うと、「普通の子の子育てって、なんて楽なんだ!」と感動した。多分他のところで大変なことはあるのだろうけれど、でも「今迄みたいな大変な思いをしないでも子どもを学校に通わさせられる」人が地球上に存在しているといことを初めて知って、なんだか猛烈に羨ましかったのである。

 「公立の小学校が大変で」とこぼしたら、「そんな話は聞いたことがない」「そういうことをいうあなたみたいな人が、お受験を煽るのよ」と怒られてびっくりしたことがあるが(「私立に行ったからといって、問題がなくなるなんて思っていませんよ」と言いたかったが、言わなかった)、そういう人の子どもは、学校に通って本当に問題が起こらないから、問題が起こっている人の存在がわからないのだなぁと、改めて気が付いた。そうか。本気で「ちゃんとやっている公立小学校のことを批判するモンスターペアレントがいる!」と思っていたのか、ということに気が付いて、脱力する思いである。こちらが学校に何と言われたのか、本当に教えて差し上げたいわ、と思ったが、多分そういう人の子どもは、問題を起こさないので、そんなことを言われるなんていう状況自体が想像つかないのだろう。というか、「それは学校の問題じゃなくて、問題を起こすあなたの子どもの問題」と思っているんだろうなぁと思ったら、またやりきれなくなった。

 せっかくちゃんと学校に行ったのに、褒められるどころか、「やってくれるとこんなに楽なんだから、明日からもやってもらいたい」と内心期待されている娘。よく考えれば可哀想である。褒めてあげたいところだが、多分明日はできないだろう。ハードルを上げてしまうと、それこそ可哀想だから、まぐれだと思っているくらいのほうがいいのだろうと思う。経験上、続きはしない。でもいつの間にかできるようになっているんじゃないか、という風に思う。いつかできなかった日を、懐かしく思い出すのかなぁ? あまり想像はできないけれど。

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シリーズ「発達障害かもしれない子どもと育つということ。」は、毎月15日にアップ予定です。

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カテゴリー:発達障害かも知れない子供と育つということ / 連続エッセイ

タグ:発達障害 / 子育て・教育 / 秋月ななみ