2015.03.20 Fri
米寿を迎えた熊本の叔母が白内障の手術を受けることになった。
ともに暮らしている母は91歳。身の回りのことはできるけど、1泊入院とはいえ、夜、母がひとりで家にいるのはちょっと心配と、私が京都から熊本へ数日間、行くことにした。
病院は自宅近くの古い眼科医院。九州各地から患者がやってくる有名な病院だ。もうずいぶん昔に亡くなった大叔母・松おばさんも、そこで33歳のとき、緑内障の手術を受けた。大正時代のことだ。弟(私の祖父)の放蕩が過ぎて身上を潰し、そのストレスから眼を患ったという。それでも松おばさんは気丈に、自らの才覚で家業を再興し、94歳まで元気に生きた。私の大好きな人だった。
手術当日、母をつれて病院へいく。モニター室で手術を見せてくれるという。バイオレンス映画も見られないほど怖がりの私と違って、母は、お転婆で度胸のいい人。子どもの頃、男の子を泣かして帰ってきては泣かされた男の子の親が文句をいいにきたという。今でいうモンスターペアレントだ。好奇心いっぱいの母は手術のモニターを「見てみたい、面白そう」という。
10分で終わる予定が、水晶体を支えている糸が弱って、少しずつ糸を切っては結びを繰り返し、結局、1時間半かかった。「あっ、注射しなはった。糸で縫いつけとんなはる」と母は平気で見ている。ところが翌日、病室に叔母を見舞って「手術はいつするの?」と尋ねる始末。昨日のことを、もうすっかり忘れてしまったらしい。
どんな手術も家族の同意書が必要。家族または親族、保護義務者、法定代理人が書く。すべて家族主義。これからどんどん増える「おひとりさま」は一体どうしたらいいの? 親しい友人のサインではだめなんだろうか。
叔母も「おひとりさま」。同意書の「続柄」欄に「姪」と書いた。「姪の字はわかるけど、オイってどう書くの?」「甥は、生まれるに男と書くよ」。さすが、母は昔の人、漢字は忘れない。「姉や妹は女へんなのに、なんで兄や弟は男へんがつかないのかな?」「そうね、女はつけ足しみたいで、ほんと、おかしかねぇ」と答える。
退院が予定より数日延びた。翌日、どうしても京都へ帰らないといけない仕事がある。困ったなと思う。心配してきてくれた従姉妹が「仕事帰りに夜、おばさんの家に泊まりにいくよ」といってくれてホッとひと安心。ありがたくお願いすることにした。
母のために数日分のおかずをつくりおきする。お風呂や身の回りのことはできるが、消耗品の補てんの在り処を聞くと要領をえない。カレンダーに添えた薬も直前に声をかけないと飲み忘れる。それでも日記は「今日は何したかな?」と毎日、つけているようだ。
日常生活は簡単なようでなかなか大変。でもその日常が母たちには一番大事。住み慣れた家で叔母と二人の生活を、できるだけ長く続けられるようにと願う。そしてそのうち、二人を京都に呼ぼう。いつでも迎えられる準備は、もうできているのだけど。
帰りのお土産に山陽新幹線で「くまモン」の黒糖ドーナツ棒を買う。そして3月、ひな祭りも過ぎ、北野天満宮の梅も見頃となった。春はもうすぐ。その後、叔母の経過もいいようだ。
若い頃は「歳をとったら時間がたっぷりあっていいなあ」と思っていた。でもそんなに暇でもないらしい。
松田道雄さんが昔、コラムに書いていた。「老いてくると日々忙しい。頭の中を、くるくる回る走馬灯のように、あれもこれもと考えが駆けめぐる。だが体は思うようについていかない。なにかと気ぜわしい。若い人が思うほど老人は暇じゃない」と。
1970年代後半、安楽死法制化反対運動を立ち上げ、松田道雄さんに呼びかけ人になっていただいた。お近くに住んでおられて、お願いにあがると快く承知してくださった。その頃、奥さまが病後、体にマヒが残り、毎日、お風呂でリハビリを先生自ら手伝っておられた。そして奥さまの看取りも。1998年、ご自身も京町家のご自宅でひっそりと亡くなられた。
30年近く前、拙著『関係を生きる女(わたし)』(批評社・1988)をおもちすると「今、書いている『私は女性にしか期待しない』(岩波新書・1990)の一章に、この本を引用したいから」と、すぐに書かれた生原稿を「これでよろしいですか?」と速達で送ってくださり、感激したことがある。達筆の大きな文字が原稿用紙に踊っていた。
40年前、千葉にいた頃、数学者の遠山啓先生の「水道方式」を学びたくて東京の代々木上原まで講演会に出かけたことがある。まだ小さい子を夫に預けて。終わって電話すると電話口の向こうでワーワー泣く子の声がして「早く帰ってこい!」と夫に怒鳴られたことを思い出す。その数年後に遠山先生は亡くなられた。今の私と同年齢くらいだったと思う。
懐かしい方々が、もうこの世にはいらっしゃらない。あちらでゆっくり過ごされていることだろう。
先日、4月に控えた私の白内障の手術の説明を受けた。若くてカッコいい先生に。さて次は私の番だ。当日はイケメン先生に全部、お任せすることにしよう。
加齢と道づれ、私も母たちも、ほんと大変だなあ。
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