2015.05.15 Fri
発達障害かも知れない子どもと育つということ。30
社会関係の作りかたが難しい子は、どうやったら「きちんとした人間関係」がつくれるのか、そのつくりかたを特訓したりする。しかし、子どもの訓練をみていて、こちらのほうがびっくりすることがある。
例えば、自分はドッジボールをしたいのに、他の子はサッカーをしたいと言っているとき。「私はドッジボールをやりたいんだけど」というのはよろしくない。皆がサッカーをやりたいと言っているのだから、その気持ちはぐっとこらえて、「今日はサッカーをやろうか」と考えるのが正しい、らしい。
そうかも知れない。でも、「どうしてもドッジボールをやりたいんだよぉ!」と泣きわめくのでなければ、「ドッジボールをしたいんだけど」と交渉するくらいはありなんじゃない? 今回はサッカーだったとしても、「ドッジボールをやりたい子もいるんだ」って思ってもらうくらいは悪いことじゃないんじゃないの?と思うのだけど、いちおうサッカーに賛同するのが正解らしい。小さい子ならそうかも知れない。思わず自己主張が強くなってしまう子たちでもあるから。
「ふーん。僕はドッジボールをやりたいから、他の子とやってくるね」と言って他の子と遊びに行く。いいんじゃないの、お互いに平和に済むよね、わたしならそうするな、と思っていたら、これもまた×らしい。えっ? そうなの? 他のお母さんたちに聞いてみると、「うーん、まぁ小学生だし…」と私の反応のほうに驚いた様子。
そうだったのか。私の周囲には、「他の子探すよ」といってどこかに行ってしまうタイプの人たちばっかりだ。日頃、お母さんたちと付き合うとき、 なんとなくペースがずれるというか、相手が一緒に行動しようとしてくれているっぽいのに、微妙にペースがずれてしまうのって、そういうことだったのか。多分、私もまた、「世間の常識」を知らないのかも。
「正しい人間関係」を知らなくても生きていけるので、そんなに熱心に、人間関係のありかたを学ばなくてもいいんじゃないの、と思いつつ、子どもには教えるという矛盾について、ちょっと考えさせられる。
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シリーズ「発達障害かもしれない子どもと育つということ。」は、毎月15日にアップ予定です。
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カテゴリー:発達障害かも知れない子供と育つということ / 連続エッセイ
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