2015.05.28 Thu
道徳が教科になって、そして検定教科書を使い、子どもたちを評価することになります。5段階評価ではないけれども、言葉によって評価することになります。
そのことについて2015年5月18日、参議院の決算委員会で質問をしました。
学習指導要領には次のようにあります。家族愛、家庭生活の充実のところです。
小学校3年生、4年生のところで、「父母、祖父母を敬愛し、家族みんなで協力しあって楽しい家庭をつくること」とあります。
言葉は違いますが、1年生、2年生にも、5年生、6年生のところにも同じような中身が書いてあります。
「父母、祖父母を敬愛し」とありますが、問題がある家庭だって存在しています。子どもたちを取り囲む大人たちは、すべて善人たちばかりではありません。DVがある家庭もあるかもしれませんし、性暴力だって実は隠れた問題として存在しています。家庭の中に虐待があるかもしれません。
楽しい家庭を作ることは大事ですけれども、楽しい家庭を作ることは、子どもの責任ではなく、親や社会の責任です。子どもは親を選べないし、自分を囲む環境も選ぶことができません。親のことが大好きでも、ここはどうだろうかと疑問に思うことだってもちろんあるでしょう。「父母や祖父母を敬愛し」とあっても、それができないことだってあります。
できないことをしろと子どもたちに命ずることが極めて酷ではないでしょうか。例外があることを教えなければなりません。
現在ある「わたしたちの道徳」という本を4冊読みました。小学校1年生・2年生用、小学校3生・4年生用、小学校5年生・6年生用、中学生用の4冊です。
これらの中に、ひとり親家庭、障がい者、性的マイノリティ、貧困などの状況にある子どもの設定や配慮が見られません。少数者への視点が欠けているのではないでしょうか。
「家族の幸せを求めて」「家族に見守られて成長してきた私」という項目があり、「家族っていいなと思うのはどのような時でしょう」と家族について記述させる箇所がそれぞれあります。
子どもたちは、家族の中で、悩んでいたり、苦しんでいたり、居場所がないと思っていたとしても、なかなかその事実は書けないのではないでしょうか。
成績の評価の対象ですから、親に感謝をしている、自分のこういうところを反省しているといった、良い子らしさを子どもたちが書いてしまう危険性もあります。
これらの本の記述を読みながら、私は、自民党日本国憲法改正草案の24条を思い出しました。憲法24条は、家族、婚姻等に関する基本原則を定めたものです。
自民党日本国憲法改正草案は新たな一行を規定しています。
「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」
憲法は、国家権力を縛るものなのに、この自民党日本国憲法改正草案は、「家族は、互いに助け合わなければならない」と国民が、義務を課される形になっています。
自分の自然な気持ちの発露として、祖父母や、父母を敬愛し、大事に思うことは、素晴らしいことです。しかし、それを「敬愛し」と、道徳で教える込むことはどうなのでしょうか。
勤労や奉仕を通して社会に貢献する、学校や仲間に誇りを持つ、などの項目や記述があります。
でも、全体的に、国や社会や職場や学校や家族に問題があるという視点はきわめて希薄です。
感謝の気持ちを持って、規則や決まりを守るということも大事かもしれませんが、問題が存在するときに、それをどうやって変えていくのかという視点も大事です。規則や決まりに問題があったり、現実に合わないときに、それを変えていくということも子どもたちに教える必要があります。
道徳の名のもとに、現状に合わせる子どもたち、現場を批判的に見ない子どもたちをつくることになるのではないでしょうか。
しかし、現実に問題があれば、子どもたちはそれを感じたり、考えたりします。現実と、表面的に教えることに乖離があれば、子どもたちはそのことに気がつくでしょう。
教育は、子どもたち一人一人をエンパワーメントし、子どもが、自分の頭で考え、自分の言葉を持ち、自分で行動し、変える力を持つことを応援していくことではないでしょうか。
(参議院議員)
カテゴリー:投稿エッセイ