2015.07.10 Fri
「乳房再建」への想い
なんの自覚症状もないまま、「乳がん」がわかり、私は右乳房を摘出した。早い段階で手術できたことはありがたかっが、退院後、気持ちは沈む一方で、普通に生活ができなくなってしまった。電話にも出る気になれず、メールの返信すらできない。食べることも面倒になった。日中はいつもただ独りで、ほとんどの時間を何もせずにやり過ごした。
もう、主治医に相談するしかない・・・。私はすがるような気持ちで、外来での診察の際、主治医に現状を打ち明けた。
「わけもなく、涙が流れてしかたがないんです…」と、目線を床に落としながら、遠慮がちに切実な気持ちを訴えた。すると
「それなら薬を飲んでください」と、主治医はさらりと答え、パソコンの画面に向かった。
その横顔を見つめながら、私は胸の内を打ち明けたことを後悔した。多忙な医師は、乳房を失った患者の気持ちに寄り添う時間の余裕などないのだ。
私は、主治医を信頼し手術を受けたが、それ以上のものを求めるのは無理なのである。自分ががんになって、この国には、おそらく、ほとんどの医療機関で、患者の心までサポートする医療体制ができていない現実を、私はまざまざと知ることになった。
それなら、自分の気持ちをどうすればいいのか、誰に相談すればいいだろうか…。何の答えも出せないまま、私は主治医から処方された「抗鬱剤」を真面目に飲むしかなかった。
ところが、この薬は私にはまったく逆効果で、服用する度に気分が悪くなってしまい、食欲はますます減退するばかりだった。それでも、無理をして、三日間は飲み続けたが、症状は改善する気配すらなく、とうとう、飲むのを諦めてしまった。
「抗鬱剤」は、私にとっては、何の効果もなかったのだ。このままでは、生きているのか死んでいるのかわからない。暗い顔をして、ただ毎日を過ごしていては、夫と子ども(当時は小学校六年生)にもさらに迷惑をかけてしまう…。
優秀な乳腺専門医による検診を受けてきたおかげで、「乳がん」を見つけてもらった。そして、手術の手腕に長けた医師に、きれいに病巣を摘出してもらった。そうして助けてもらった命なのだ。まだきっと私がやらなければならないことがあるはずだ、とも思った。そのためにも、私はなんとしてでも、新しい乳房をつくりたかった。もとのように乳房がふたつあるからだになれれば、気力と自信が取り戻せるのではないか。
自分らしく生きていくためにも乳房をつくることを何よりも最優先しよう…。そのために、時間と労力を使おう。今、行動に移さなければ、私の人生はダメになってしまう。その危機感が私の背中を押した。
からだのあちこちから、自分の組織を移植できる「乳房再建」があるなんて・・・
新しい乳房をつくるには基本的には、2通りのやり方がある。ここでは医学用語として認知されている「乳房再建」といういい方をするが、人工物による再建と、自家組織を用いた再建だ。人工物による再建は、乳房があった場所に「インプラント」と呼ばれる材料を入れ、ほんものの乳房そっくりの膨らみを形成する。
「インプラント」とは、病気やけがなどによって、失われた身体の一部分を、機能や形を回復させるために、人体に埋め込む人工材料を指す。「乳房再建」や豊胸手術のために用いられる「インプラント」の多くは、シリコンで作られているが、人体の形状に合わせてさまざまな材質や種類がある。
自家組織による再建は、その名の通り、自分のからだの一部を移植して、乳房らしい膨らみをつくるやり方だ。いずれの方法を選んだとしても、形成された膨らみのうえに、乳輪と乳頭を付ければ、新しい乳房が完成する。
「乳房再建」を希望している私に、主治医がすすめたのは人工物による再建だった。私は、手術後の痕に体液が溜まり続ける後遺症もあり、それが原因で胸の圧迫感と不眠に苦しんだ。このような患者は珍しいらしく、そのうえ鬱病の症状が出た私に対して、
「あなたのような敏感な人は、インプラントによる人工乳房が、むいています」と、主治医は確信した表情で断言した。
信頼している医師の言葉を、そのまま私は素直に受け取った。そして書いてもらった紹介状をもって、さっそく「人工乳房」を専門とする医師に会いに行った。
主治医が「いい腕を持っている」と高く評価していた女性医師は、近県の某公立病院に勤務していた。診察を受けるために、私はいつもより丁寧に化粧をし、洋服を選んだ。好印象を与えて、こんなに元気そうなら、すぐにでも手術ができると、私のことを、そう思ってもらいたかったからだ。
彼女は、私の胸の状態を診察し、どのような段取りで人工乳房をつくる手術をするのかを実に丁寧に説明してくれた。押し付けがましくなく、そして誠意のある話し方に、この医師に、このまま再建手術をお願いしようと、気持ちが固まりつつあったとき、
「最近では、自家組織を使った乳房再建も、お腹から脂肪を採って行うだけではなく、からだのいろいろなところから、持ってこられるようになりましたけどね」と、彼女がふと口にした。
そんな方法もあるのだ…。知識に乏しく、自分のからだの組織を利用して、乳房がつくれるなど、想像すらしたこともなかった私は、驚きを隠せなかった。もっと自分で調べてから手術を決めなければ、きっと後悔する・・・。そんな直感があった。
ここで人工乳房の再建手術を受けるかどうか、もう一度、落ち着いて考える時間が欲しいと、この医師にお願いし、急いで家路についた。
私は自宅に戻ると着替えもせず、パソコンの前にしがみついた。まずインターネットで情報をかき集めよう…。しかし、夜中までかかって検索しても、私が欲しくてたまらない情報は出てこない。知りたいのは、腹部以外のところから、組織を移植してできる「乳房再建」のことなのに、どうしても見つからない。どこに行けば情報が手に入るのかと、思いあぐねたまま数日が過ぎた。
そして、そのまま数日が過ぎたころ、一通の新刊本の案内メールが届いた。それが自家組織を使った「乳房再建」を行っているS医師の本だと知り、私は目を疑った。メールの送り主は、いつも本を購入しているサイトからだ。自分が「乳がん」になってから、関連する書籍を手当たり次第に買いあさっていたため、私が購入確率の高いユーザーと見なされたのだろう。個人の嗜好(思考ともいえる!!)が、企業のデータによって分析され、利用されるのは決してありがたくはないが、こういうこともあるのだと、私は妙に納得した。
いずれにせよ、このタイミングで、「乳房再建」の新刊本の案内が来たことに、まるで救いの手が差し伸べられたような気がした。
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