2015.07.25 Sat
『ゆっくり東京女子マラソン』
作:干刈あがた(福武書店、1984年; 『干刈あがたの世界〈2〉』河出書房新社、1998年所収;朝日文庫、2000年)
ドラマ放映:『風に向かってマイウエイ』1984年11月12日、TBS系列
脚本:小山内美江子・大久保昌一良
主演:倍賞美津子・音無美紀子・宮本信子・香野百合子
このエッセイ企画は、第1回に書いたように「テレビドラマのストーリーを追いながら、日本の働く女性たちを取り巻く制度や職場環境、女性たち自身の意識」の変遷を考えるためにスタートした。1990年代から現在まで、過去に放映されたドラマを中心に、ときにコミックや映画も取り上げている。登場人物のセリフやその人物を取り巻く職場の内外での人間関係を手がかりに、女性が働く現実が時代とともに変化してきた軌跡をたどる作業をしてきたつもりである。
1年を4期に分けたクールごとに並ぶ新ドラマのラインナップを追っていると、働く女性を主人公にしたドラマはあいかわらず多い。今放映中のクールでも、第12回で取り上げた『花咲舞が黙ってない』の続編のほか、『エイジハラスメント』『37.5℃の涙』『美女と男子』など、それなりに興味深い切り口の作品がそろっている。だがドラマ評ではなく、取り上げたいテーマあっての連載なので、そろそろネタも尽きてきた。ということで、今回が最終回。
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最後に取り上げる『ゆっくり東京女子マラソン』は、私自身が自分の生き方を考えるときの原点ともなった小説である。1984年に単行本が刊行された直後にドラマ化され、たまたまそのドラマを見て面白いと思ったことから干刈あがたの作品を読み始めた。その当時まだ20代になったばかりで、結婚はおろか就職もどうなるかわからなかった私にとって、20歳年上の作家が描く女性たちの日常は、自分とは無縁で想像もつかないような世界のはずだった。なのに、そこに出てくる30代女性の思いや行動に不思議なくらい共感を覚え、引きずり込まれるようにして読んだのを今も鮮明に覚えている。
この小説の主な登場人物は、小学校4年生の子どもを持つ母親たち4人。それぞれ事情を抱えながらも、PTAのクラス委員を引き受けることになった。同級生の子の母親がノイローゼで自殺したり、生徒からも保護者からも信頼を集めていた担任が妊娠後、ドクターストップがかかって休職することになったり、後任の教師が退職間近で意欲が感じられないと保護者の中からクレームがついたり、とさまざまな「事件」を乗り越える中で、関係を深めていく。
心臓弁膜症を患い、娘が成長するまで命を長らえられるようにと願いながら身体をいたわって暮らしている佐久間満子。同居する姑の厳しい教えにしたがって家庭中心の日々を送りつつ、次に始まりそうな介護生活の予感に身構える大里洋子。離婚したことを周囲にどう伝えたらいいのか悩みながら、息子には弱い子の味方になれと教え、毅然と生きようとする結城明子。共働きで子育てを続けてきたが、3人目の子の妊娠を機に仕事を辞めた吉野ミドリは、女の子ながら野球が大好きな娘を全面的にサポートしている。保護者として互いにかかわりを持つことになった女性たちが、実はそれぞれに家庭の事情を抱えているという構図だけを見ると、第17回で紹介したドラマ『名前をなくした女神』(2011年放映)や、ほぼ同じ設定を踏襲している『マザー・ゲーム』(2015年放映)とあまり変わらないようでもある。だが、この小説に出てくる母親たちにとっての関心事は、夫や義父母、子どもたちとの関係や周囲の母親との軋轢・友情ばかりではない。自分の人生を女性としてどう生きるか、という問題をそれぞれの日常の中で問いかける姿勢が、20代の私にも強い印象を残したのだと思う。
たとえば音楽誌の編集をしていたミドリは、夫の協力が得られない状態で必死に育ててきた娘が5歳になったとき、2人目の子の妊娠を知る。仕事を続けるべきかどうか迷うミドリに夫がかけた言葉は、「君の気持ち次第だよ。」2人の子を抱えて仕事を続ける自信があるならそうすればいいし、なければ仕事か子どもかどちらかをあきらめろという夫に、ミドリは強く反発する。「妊娠したことを失敗だと思ったり、子供の日常を憎みながら続ける女の仕事って何だろう。男は仕事だからの一言ですむのに、女はなぜ負い目を感じなければならないのかしら。両方の子供だし、両方とも仕事してるのに。」そのときは働き続ける選択をしたミドリだが、3度目の妊娠がわかったときに退職を決意した。そして「そのかわり長期戦で育児をするの。女の子は自分の能力を生かすことに負い目を感じない女になるように、男の子はそういう女を理解して共に生きる男になるように」と宣言する。皮肉か?と問う夫にはこう答えた。「皮肉じゃないわ。男性中心の世の中のシステムを変えるために、次代に希望を托すって前向きの態度よ。」シングルマザーの明子も、ほかには男子しかいない野球チームで必死に球を追うミドリの娘、カオルの姿を見ながらこういう。「女の本当の気持ちがわかってくれる男がいればいいなあと思うの。でも私は自分が男にはなれないから、息子たちをそういうふうに育てようとしているけど。」
時間の経過からいえば、この彼女たちの子どもは、今はもうとっくに小中学生か、それより大きい子の親になっているはず。ミドリや明子の「長期戦の育児」は成功したのだろうか。この小説が発表された1980年代半ばと現在とで、何が変わり、何が変わっていないのか。エピソードや会話の中で出てくるような、夫が夜半になって急に客を連れて来るとか、結婚してから一度も外で友達と食事をしたことがないとか、女が一人で喫茶店に入れないとかいった話は、2015年の今はほぼないだろう。だが、仕事と育児の両立に悩む妻に「君の気持ち次第だよ」とのたまうような夫はまだ結構いそうな感じ。再就職したいという妻に「僕や子どもに迷惑をかけないならいいよ」という輩もいまだにいるらしいし。
結婚しても働き続ける女性が約7割、出産しても働き続ける女性は第1子で約3割となり、第3子出産後も仕事を続ける女性は12.8%まで減ってしまう(内閣府『男女共同参画白書』平成25年版)。女性に対して、結婚・出産後も仕事を続けてもらったほうがいいと考える男性の割合は1997年から2010年の間にほぼ倍増しているが、現実に両立を果たすのはむずかしいということか。
だが、就職活動に臨んでいる女子学生たちの大半が、結婚や出産で辞めることを大前提として、あるいは結婚・出産を完全に断念して会社探しをしているとは思えない。にもかかわらず、「自分の能力を生かすことに負い目を感じることなく」、自然体で働きながら家庭生活も維持できるような状況が実現していない今の日本では、あいかわらず仕事か家庭かという二択が女性たち(だけ)につきつけられている。他方で、不安定な働き方を強いられる女性や男性もまた急増し、生活に追われる中で、そもそも結婚や出産が贅沢な選択肢となったり、働きながらじっくりと子育てに向き合う余裕が持てない現実もある。そもそも『ゆっくり東京女子マラソン』に登場する子どもたちは、いわゆる「ロストジェネレーション」、つまり就職超氷河期を経験している世代にあたるので、非正規率も高いはず。
1980年代に20代だった私は「長期戦の子育て」という発想に共感したし、今もそれはあっていい戦略だという気はする。自分自身の子育て期にも、働いている・いないにかかわらず、底力がありイキイキしている同世代の女性にたくさん出会った。だが、女性が働くことをめぐって地殻変動を起こすには何をすればいいのか、改めて考える時期にきていると思う。
職場の変化としてもっとも大きいのは、男=基幹業務、女=補助業務という単純な区分けが通用しにくくなったということだろう。男性の中にも派遣社員がいたり、女性にも昇進を遂げていく人、フリーランスで専門職に就く人、派遣社員として事務を担う人がいたりと、さまざまなちがいが生まれている。それなのに、標準とされる働き方については、いまだに昭和的男性、つまり家庭で家事を全面的に引き受けてくれる存在がいることを前提にしたスタイルを中心にする発想を引きずっているような気がしてならない。いろんな理由でそこから逸脱するしかない働き手は、女だろうと男だろうと、後ろめたい思いをするか、昇進をあきらめるか、不安定な雇用条件を飲まざるを得ない状態に置かれてしまう。この状態を変えようとするなら、一方で、そういう「モデル労働者」を支える主婦がいなくなり(つまり女性たちが結婚・出産後もとにかく仕事を続ける)、他方で、働きながらもきちんと家庭生活が送れるような働き方を標準とする方向に向かうしかないんじゃないだろうか。その意味では、今の政府が謳いあげる「すべての女性が輝く社会づくり」もどうやらあさっての方向を向いている。
「ドラマの中の働く女たち」は今回で終了します。これまでの記事は、こちらからどうぞ。
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