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『紙の月』女性観客のファンタジーと欲望が解放される瞬間に向けて 川口恵子

2015.09.04 Fri

紙の月 Blu-ray スタンダード・エディション

販売元:ポニーキャニオン( )

定価:¥ 5,076 ( 中古価格 ¥ 2,736 より )

Amazon価格:¥ 3,200

時間:126 分

1 枚組 ( Blu-ray )

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欲望と快楽のスイッチ

「最も美しい横領犯」のキャッチコピーが際立つポスター。万札をまとい凛と見つめ返すまなざし。先輩行員の手をふりほどき走り出す瞬間が効果的な予告編。日本アカデミー主演女優賞受賞の話題――などなど、最初から最後まで、女優・宮沢りえの器量が映画を輝かせる。彼女が演じるのは、商社勤務の夫と二人暮らしの主婦。銀行の契約社員・梅澤梨花だ。銀行と家庭の往復で、平凡な毎日を送っている。当然ながら、心は虚ろ。ある日、偶然出会った年下の大学生・平林光太(大竹しのぶの息子・池松壮亮)の熱い視線を浴びたことから、彼女の中で何かが変わる。欲望と快楽のスイッチが入ってしまうのだ。ささやかな変身願望は次第に肥大化。〈セレブ妻〉を装っての光太への学費援助は、やがて自身の虚構化に。そうして嘘の自分を保つために、横領行為をエスカレートさせてゆく――

と書くと、俗悪なストーリー展開に見えるが、画面は、なぜか不思議にクリーン。

バブル崩壊直後の1994年が舞台。バブル再来のごときホテルの室内で梨花と光太がじゃれあうシークエンスが、リズミカルな編集で見せる。彼らは、やがて終わりがくると知りつつ、虚偽に支えられた〈快楽〉を〈幸福〉と信じるフリをしている。「にせものだって綺麗ならいいじゃない?」銀行の外周りを担当する顧客の痴呆老女が洩らす言葉が、皮相な時代風潮をズバリ言い当てる。もちろんいつかホントの終わりは来るのだが―

解き放たれる共同幻想

出口のない現実をつきつけられた時、梨花のとったアクションに、一瞬、唖然としつつ、感動を覚えた。それを言葉化できないかと適切な表現を探しあぐねてきたが、ようやく、あるフェミニスト映画理論家の言葉にゆきついた。

「映画で私たちが対象物にされてしまうことに対抗するためには、私たち女性の共同幻想が解き放たれなくてはならない。女性映画は、欲望の作業(the working through)を具現化するものでなくてはならない。この作業は必ずや娯楽映画に関わるものだ。」

    ――クレア・ジョンストン「カウンター・シネマとしての女性映画」 (1976)(斉藤綾子訳) (註1)

映画の魅力は、ファンタジーの解放と欲望の代行的実現にある、と一観客として思っているのだが、それが、ヒロインの行動をとおして実現することは、邦画の場合、これまで稀だった。けれど、梨花のアクションは、一瞬、そうではない邦画の方向性を示したと思う。しかもジョンストンが推奨するように、娯楽性の高い映画の中で、きわめて映画的な手法で。 

女性観客の心を満たす邦画がこれからも作られることを願う。

紙の月 (ハルキ文庫)

著者/訳者:角田 光代

出版社:角川春樹事務所( 2014-09-13 )

定価:¥ 637

Amazon価格:¥ 637

文庫 ( ページ )

ISBN-10 : 4758438455

ISBN-13 : 9784758438452

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「私をここから連れ出して」

原作は、女性の差異と同一性を物語化するのが巧みな角田光代の同名小説。

映画版にのみ登場する二人の女子行員(大島優子演じる窓口担当の若手女子行員、小林聡美演じるベテラン女子行員)の対比が巧み。

周囲の人物たちの言葉からヒロイン像があぶりだされる原作の手法とは異なり、映画版では、ヒロイン自身が物語を生きる。

「私をここから連れ出して」――原作では他力本願的な欲望を、実現に向かわせるのは、彼女自身のアクションだ。

 

 

 

註1 テレサ・ド・ローレティス著、斉藤綾子訳「女性映画再考――美学とフェミニスト理論」(岩本憲児・武田潔・斉藤綾子編『新映画理論集成』①歴史/人種/ジェンダー 所収) に引用されているジョンストンの言葉。原文は以下のとおり。『欲望の作業」については斉藤氏による訳註を参照されたい。

“In order to counter our objectification in cinema, our collective fantasies must be released: women’s cinema must embody the working through of desire: such an objective demands the use of entertainment film.” Clare Johnston (1976) “Women’s Cinema as Countercinema” in: Nicholls, B. (ed.) Movies and Methods, Berkeley, University of California Press.

映画『紙の月』公式HPはこちら








カテゴリー:新作映画評・エッセイ / DVD紹介 / 映画を語る

タグ:非婚・結婚・離婚 / セクシュアリティ / 映画 / 川口恵子 / 日本映画 / 女性映画 / フェミニスト映画理論