2015.09.23 Wed
〈豊かな国アメリカ〉神話が映画・テレビ等、商業的マスメディアを通して世界に喧伝された1950年代当時、社会の片隅に生きる一人の若い独身女性が、仕事の傍ら、NYやシカゴの路上写真を撮り始めた。彼女の名はヴィヴィアン・マイヤー(1926-2009)。職業、乳母/子守。英語圏では〈ナニー〉と呼ばれ、住み込みや通いで富裕層の子どもの養育を担う。両親の離婚により母方の故国フランスとアメリカを行き来して育った彼女の場合は、1951年、単身アメリカに帰国。NY郊外、サウサンプトンで住み込みナニーとして働き始めた。52年、念願のローライフレックスを購入。街の光景や人々にカメラを向け始める。そして時にはショーウィンドーの中の自分にも。休日、お洒落して街に出かけるナニーは、メアリー・ポピンズだけではないのだ―――
(写真:©Vivian Maier_Maloof Collection)
セルフポートレートに見るカメラを手にした彼女の姿は毅然として美しい。大柄な彼女が、若さならではの自信に満ちた歩みで、ブルジョワ家庭の子どもたちを引き連れ歩いたさまが想像できる。そして彼女はもっとも手のかかる年齢の子どもたちの世話をしながら、〈撮る〉という行為を何十年も続けたのだ。 生前、一度も〈作品〉として写真を公表することなく。
1956年から移り住んだシカゴ、ノースショアでの孤独な晩年、彼女は夢想することがあったろうか?倉庫に預けた大量のフィルムやネガが、いつか〈陽の目〉を見て、自分が〈女性写真家〉として認知される日がくることを。そうだとしたら、彼女の写真が〈発見〉されたことは祝福すべきことに違いない。彼女の写真にはそれだけの価値があるのだから。
映画の中に挿入された彼女の写真は、どれも息をのむほどみずみずしく、アメリカ大都市近郊の空気、日常、時代の息吹を伝えてくる。商業メディアを通して知る一枚岩的な<豊かな国アメリカ>像とは別次元のアメリカの一コマを切り取り、差し出してくる。記録写真としても価値は高いだろう。
ただ、そのために彼女が生前、守ってきた〈プライベート〉な部分までも〈映画〉として全世界に配給され、多種多様に発展した映像ソーシャル・メディアによってまき散らされ、〈公表〉されるとしたら? 彼女は〈女性写真家〉として写真史に名を残すことを自らの意志で選んだろうか?
ヴィヴィアン・マイヤー〈発見〉と映画製作の経緯を意気揚々と語る若者―本作の共同監督ジョン・マルーフ―の早口で大きな声に始まる本作は、いくつもの違和感を見る者に抱かせる作品だ。その違和感を言葉化するのは難しいが、少なくとも、女性の立場から見れば〈問題作〉ではないか。本作が、写真家としての彼女の<伝説>や<神話>作りの一環となっていることを含めて。
一体、それは、誰のためなのか?
本作から、彼女自身の<声>は、聞こえてこない。
ただ、本作に引用された彼女の写真だけは、〈撮影者〉としての彼女のまなざしを裏書している。彼女は、たしかに、そこに存在しているのだ。しかし、それらの写真の所有権は、もはや彼女には属さない。これらの写真は、〈ジョン・マルーフ・コレクション〉のコピーライト付きで、今後も〈保存〉され、〈公開〉され、世界中で展覧会が行われる。
〈作品〉は誰のものか、誰のために〈死後の名声〉は作られるのか、〈女とアート〉の関係、〈作品〉を世に送り出す経済構造、メディア・ツールのジェンダー・年齢格差とそれがもたらす経済的不均衡等について、さまざまに問題提起的な視点を喚起する〈問題作〉といえるだろう。
10/10(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー
監督・脚本:ジョン・マルーフ、チャーリー・シスケル/製作総指揮:ジェフ・ガーリン/プロデューサー:ジョン・マルーフ、チャーリー・シスケル/音楽:J・ラルフ/撮影:ジョン・マルーフ/編集:アーロン・ウィッケンデン
2013年/アメリカ映画/83分/原題:Finding Vivian Maier
提供:ニューセレクト 配給:アルバトロス・フィルム
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カテゴリー:新作映画評・エッセイ / 映画を語る
タグ:仕事・雇用 / 映画 / ドキュメンタリー / 女とアート / 女性の労働 / 川口恵子 / アメリカ映画 / 育児労働