上野研究室

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『脱原発社会を創る30人の提言』 ちづこのブログNo.12

2011.08.03 Wed

『月刊うえの』と言われるぐらい、このところ新刊が次々にでていますが、そのうちのひとつを、ご紹介。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.『脱原発社会を創る30人の提言』(コモンズ、2011年)が出ました。

30人とは、以下のひとびと。

池澤夏樹、坂本龍一、池上彰、日比野克彦、上野千鶴子、大石芳野、小出裕章、後藤政志、飯田哲也、田中優、篠原孝、保坂展人、吉原毅、宇都宮健児、秋山豊寛、藤田和芳、纐纈あや、上田紀行、仙川環、崎山比早子、大島堅一、斎藤貴雄、星寛治、明峰哲夫、中村尚司、瀬川至朗、高橋巌、菅野正寿、鈴木耕、渥美京子。

順不同。順番は50音順でもありません。なぜだかこの順番で表紙に載っているのをそのまま記載しました。

コモンズは良心的な出版活動を続けてきた小出版社。名前のとおり、コモンズ(共有地)を用いて、知のコモンズ(共有知)をめざそうとしています。編者の名前はありませんが、版元のコモンズ代表の大江正章さんが、これまで食と環境、自治と地域にかかわった出版活動のなかから培ってきた著者とのネットワークがまるごと生きています。大手の出版社が「原発に関する発言○○人」と出すラインナップとは、ひと味違います。初版5千部はただちに売れて、再版したそうです。

版元のお許しを得て、わたしの「提言」のなかから冒頭部分を。全文引用はかんべんしてください、との版元からのご依頼があって、公開はここまで。あとは本を買って読んでくださいね。

 

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3.11と8.15—民主主義と自治への道 上野千鶴子(社会学者)

 

東日本大地震は、未曾有の天災だった。洗い流された人々の暮らしの痕跡、瓦礫の山、呆然自失と悲嘆・・・だが、それよりももっと、気を滅入らせるものがあった。福島の原発事故が人災だったことである。

人災とはひとびとの愚かさと思考停止が招き寄せた災禍、という意味である。

その意味で、3.11は8.15に似ている。

「やっぱり」「思ったとおりだった」「こんなものがうまくいくわけがないと思っていた」「だから、言ったでしょ」・・・最後のせりふは、そのまま米谷ふみ子さんが3.11以後に刊行した本(『だから、言ったでしょ』かもがわ出版、2011年)のタイトルである。

今、こう言えるひとが強い。

アメリカ在住の彼女は、ひさしく米国でヒロシマの惨禍を訴えて、反核運動をつづけてきた。こういうひとにとっては、フクシマは、ヒロシマ、ナガサキにつづく三度めの被曝だ。それに第五福竜丸をつけ加えることもできる。これだけの犠牲を払い、これだけ高くつく授業料を払って、いまだに歴史から学ばないとしたら、度しがたいおろかものだ。

米谷さんから引用を。

「原発の事故は起こるべくして起こったのである。私は為政者、関係者の愚かさに絶望的になった。」

もひとつ米谷さんから引用を。

「金に目が眩むと…原爆の核と原発の核が同じく危険であるとおもえなくなるのだろうか?」

ただただ、米谷さんの引用を。

「政府と企業とメディアがつるむとその国は滅びる。」(『だから、言ったでしょっ!』から)

だから、米谷さんが言ったとおり、日本は滅びへの道を歩んだ。

「だから、言ったでしょ」と米谷さんに海の向こうで言われても、それに応えることのできなかった、自分たちの非力と無力に唇をかみしめる。そしてこのおろかさがこれからもまだこの国でつづくとしたら・・・苦い後悔と底なしの絶望に、身をさいなまれよう。

震災後、いくつかのメディアから原稿の依頼がきた。

「3.11以後に読むべき50冊の本」「3.11であなたが変わったこと」「3.11で変わってほしいこと、変わってほしくないこと」・・・何かと変化を追いかけるメディアは、「3.11」以前と以後とで、時間を分割しようとする。だが、「変わった」「想定外だった」「間違っていた」という変化の言説より、「やっぱり」「思った通り」「だから、言ったでしょ」というひとびとのゆるがない立場を信じよう。3.11以前と以後とで、ふるまいや発言を変える必要のないひとびとの言うことだけを信じよう、とわたしは思うようになった。

こういうひとびとにとって、3.11は事件ではない。予見できた、なのに防ぐことができなかった、ことで否応なしに直面せざるをえない、おのれの無力と非力の証なのだ。

原発は危険だ、でなければなぜ、あんなへんぴな土地に立地する?

それだけでも、「安全神話」を否定するにはじゅうぶんだった。

反原発派のひとたちのあいだでは、原発が絶対安全なら、皇居につくればよい、広大な土地があるのだから、と、あるいは川崎の臨界地帯につくればよい、大口電力消費地と近ければ送電線のロスもないのだから、と早い時期から言われてきた。立地だけでなく、検査データの改竄、たびかさなる事故隠し、情報の隠蔽、カネによる誘導、労働者の使い捨て・・・ありとあらゆる徴候が、「原発は危険だ」と指し示していたはずなのだ。ほんとうに絶対安全ならば・・・どれも必要のないことばかりだった。

「万が一の危険は?」「想定以上の危機に対しては?」という問いに対して、「ありえないことは、考えないことにしています」という思考停止を、わたしたちは許してきた。

この気分は、「敗けることは、考えないことにしています」と思考停止のまま、敗戦へとつきすすんだ戦時中の日本を思い起こさせる。神風は吹かず、天皇は神を廃業し、神国日本は壊滅した。あとになってみれば自明と思えるような敗戦へのプロセスへ、だれもが口を閉ざしたままなだれこんでいった。まるでレミングの集団自殺のように。敗戦の検証ものの番組を見る度に、わたしはいつでも吐き気をおさえられない。まさか、こんなばかげたことが、現実に起きてしまうなんて、信じられない・・・だが、現実なのだ。予想できる破局へと、ひとびとが引き返せない道を歩み続けたのは。そしてだれも、それを止められなかったのは。

8.15と3.11とに、日本は二度の敗戦を迎えた。一度めは、みずからのおろかさによって。二度めもまた、みずからのおろかさによって。そしてその両者に核エネルギーが関わり、ひとと国土を壊滅的に破壊した。

わたしは、「やっぱり」派のほうに属する。

だが、わたしは何をしただろうか?

3.11以後に、孫正義さんのように何人かの政財界のリーダーや研究者が、誤りを認めた。また高橋源一郎さんのように何人かの知識人や文化人が、何もしなかったことに反省をあらわした。それに対して、冷笑を浴びせるひともいた。

反省はやらないよりやったほうがよい。それもできるだけ、痛切な、骨を噛むような反省を。

ナチスが登場したときに、「何もしなかった」ニーメラーという牧師が、九死に一生を得て生き残った戦後に書いた、有名な回想がある。

「ナチスが共産主義者を襲ったとき、自分は少し不安であったが、自分は共産主義者ではなかったので、何も行動に出なかった。次にナチスは社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者ではなかったから何も行動に出なかった。それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人などをどんどん攻撃し、そのたび自分の不安は増したが、なおも行動に出ることはなかった。それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。そこで自分は行動に出たが、そのときはすでに手遅れだった」。(吉田敏浩『ルポ 戦争協力拒否』岩波新書)

「何もしなかった」ことは無罪ではない。「不作為の罪」という罪なのだ。

本稿の依頼は「脱原発社会への提言」というものだ。あまりにも複雑な核開発の技術は、「絶対安全です」という推進派の言い分も、「いや、安全ではない」という阻止派の言い分も、どちらも専門家の言い分を信じるほかない。

代替エネルギーを何に求めればよいか、発電コストや供給の安定性はどうか、電力供給のしくみを地域独占の国策会社にまかせることの是非、発電と送電の分離の可否、供給の多様化や細分化の可能性・・・等々については、わたしよりも専門家たちがもっと明晰な提案をしてくれるだろう。何を書いても、わたしは彼らの説を受け売りするにすぎない。

だが、社会学者として、いうべきことはある。

(以下略)

『脱原発社会を創る30人の提言』(コモンズ、2011年) http://www.commonsonline.co.jp/








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タグ:脱原発 / 上野千鶴子