上野研究室

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10月「他人と住む若者たち」古市憲寿

2011.08.05 Fri

上野ゼミに行ってきました。
古市憲寿

上野ゼミがはじまった。
2011年春、上野先生が東大を退職した。前々から噂はされていたけど、定年を前に意外とあっさり辞めてしまった。よく用事もなく研究室に行ってはお茶を飲んだりしていたので、寂しいなあと思っていたら、今度はWANで上野ゼミを始めるという。そこで一回目の発表をさせてもらうことになった。

でもさ、何を発表していいのか悩んだ。だってウェブで公開するっていうんだもん。いや、どうせ僕なんかの映像がインターネットの片隅で公開されたところでどうせアクセスは3回(しかも全部自分)みたいな感じだろうけど、研究者らしい無駄な自意識が働いてしまった。はじめは起業家をテーマにした発表にしようと思ったのだけど、論文誌に投稿している関係もあって、結局「シェアする若者たち」をテーマに発表することになった。

堅めに問題意識と研究意識を書くと以下のような感じである。題名は「シェアハウスの可能性と限界:都市部に住む若者たちを事例として」って感じだろうか。

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問題意識と研究目的
若年層を中心にシェアハウスやルームシェアなど「他人と住む」居住スタイルに注目が集まっている。たとえば『NANA』や『パレード』などシェアを題材とした作品が多く誕生し、また三浦展のように「シェア」型の社会に過剰な期待をかける論者も存在する。確かに近代家族がもはや自明でないとされる時代において、シェアは様々な可能性を孕んだ居住形態として考察に値する対象であると考えられる。

また若年層に対する居住政策が貧困な日本において、シェア型の居住形態が今まで一般的でなかったことこそを問うことも可能だろう。しかしながら、久保田裕之など一部の社会学者による研究をのぞきシェアの実態はそれほど明らかにされている訳ではない。

そこで本研究では、主にインタビューとアンケート調査を通して、シェアの実態に迫りながら、その可能性と限界を、主に以下の点に注目しながら考察していく。すなわち(1)シェアは既存の居住形態、近代家族のオルタナティヴにどこまでなりうるものなのだろうか。それとも、ただ若者が一時期だけ楽しむ居住形態として捉えるべきなのだろうか。そして、(2)そもそもなぜ「シェア」はここまで騒がれているのだろうか。
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詳しくは映像を見て欲しいが(って誰も見ないんだった)、まだ調べ途中って感じの内容だ。研究会の間は和気藹々とみなさん質問してくれたが、後から紙でもらった感想には辛辣な意見ばかり書いてあった。「こんなの雑誌で3ページくらいの特集記事にしかならないんじゃない」とか「シェアハウスを研究する意味がわからない」とか。

とまあ、一見和やかに見えて水面下ではキリキリしたやり取りがされていたWAN版上野ゼミ。映像を編集したり、ウェブを作ってくれたりしているのはWANのスタッフの人たち。みんな他に仕事をしながらだったりして、色々と大変そうで、実際、準備の過程で色々なトラブルもあった。でも、何はともあれこうやって始まったわけだ。

ゼミの後、スタッフの人たちは上野さんの部屋に集まって作戦会議を遅くまでしていた。老若男女が一緒に新しいことを始めようとしている。その姿はちょっといいなあと思ってしまった。というわけで、スタートしたウェブ版の上野ゼミ。一応、参加者の一人として、うまくいくといいなあと思っている(って、他人任せでごめんなさい)。

■古市憲寿 1985年生まれ。社会学者。東京大学大学院博士課程、慶應SFC研究所訪問研究員、有限会社ゼント執行役。著書に『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)、『希望難民ご一行様』(光文社)、上野千鶴子との共著に『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります』(光文社新書)がある。

カテゴリー:レジュメ

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