2011.10.28 Fri
江戸東京博物館でヴェネツィア展(9/23-12/11)を開催しています。
http://www.go-venezia.com/due_dame_veneziane.html
行きたい!と思いながら早くも1ヶ月経ちました。このままでは例によって、気がついたときには終わっていた!なんてことになりかねません。行かなくちゃ!!
そう思った理由はなんといっても、故矢島翠さんの『ヴェネツィア暮らし』を読んだからです。しかも、柴田元幸さんに頼まれて、『モンキー・ビジネス』に矢島さんのこの本について「モンキー批評」というエッセイを書いたからです。そのうえ、『モンキー・ビジネス』のこの号が、終刊号になってしまったからです(もう1号出る予定とか)。
矢島さんは故加藤周一さんの最後の妻だった女性。加藤さんを見送ったあと、残念ながら、この夏、亡くなられました。「モンキー批評」とは、すでに古典となった作品のうち、愛してやまない小品を選んで再掲し、それについて書くように、という柴田さんからの依頼です。多くのひとに忘れられているけれど、甦って読者の目に触れてもらいたいテキスト、として、わたしは矢島さんのこの作品を選びました。それにしても矢島さんといい、故田原節子さん(田原惣一郎さんの妻)といい、ブリリアントな能力を持った女性が、ヒーローのような男性を伴侶にすると、どうして脇役にまわってしまうんでしょうねえ。
ヴェネツィア展のポスターには、ヴィットーレ・カルパッチョ(誰だ?イタリア料理の前菜を想起してるのは?)が描いた「二人のヴェネツィア女」が印刷されています。そこに「世界でもっとも美しい板絵 ジョン・ラスキン(批評家)」という文句が印刷してあります。そのラスキンのせりふも、矢島さんにかかると、一転、こうなります—「独断的なラスキンが世界で一番美しい絵だとたたえた、あの有名な『二人のヴェネツィア女』」、と。そこから彼女の、この絵についての謎解きが始まります。
「奥のやや若い、くすんだ黄いろの服の女は、手にハンカチを持って肘を手すりに置き、手前の、凝ったぬいとりのある暗色の袖に赤い裳の女は、少し腰をかがめて二匹の犬をかまいながら、しかし二人とも、画面の外にある、何かわからないものをみつめている。・・・何なのだろう、日常的なもの、あるいはできごとで、これほど、二人の女の注意を、同時に強く、惹きつけることができるのは?入ってきた客を値ぶみする遊女の目と思われてもしかたないほど、まじまじと、客観的に、観察している彼女たちの視線の先にあるものは?」
そして、こう続きます。
「私たちが二人のヴェネツィア女を無遠慮に見ているように、別の視線が、絵に心奪われている私たちの不用意な姿を、20世紀末の書割りのなかにおいて、まじまじとみつめていないとはかぎらない。—」
ね? 見にいかないわけにはいかないでしょう?
『モンキー・ビジネス』に書いたわたしの原稿、「テキストのヴェネツィア、読む悦楽」を編者と版元のご厚意により、全文引用させていただくことができました。以下に掲載します。これを読んでさらにそそられたら、ぜひ会期中に江戸東京博へ、どうぞ。
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テキストのヴェネツィア、読む悦楽 上野千鶴子
小説を読んでも、おもしろいと思ったことがめったにない。評判の作品に手を出してみたあとには、時間の浪費、と毒づきたくなることがしばしばである。書かれたことの嘘くささと想像力の限界、そして粗雑な文体に、鼻白む思いをすることが多いからだが、まれに読みとおして感興を覚える作品に出会うと、宝くじに当たった気分になる。
そう感じるのは、わたしが社会学者であるからだろうか。
社会学者とは、その職業的アイデンティティに賭けていうが、「想像力より現実のほうが、もっと豊かだ」と信じる人種である。若いころ、本を読みあさったあとに「天が下に新しきものはなにもなし」と傲岸不遜にも思ったが、そのあと、世の中に出てみれば、世界にはわたしの知らない未知があふれていた。歴史のなかにも、人間の想像力の射程を越える現実がひしめいていた。いったい誰が、ホロコーストを想像しえただろうか。自分がとりわけ想像力の乏しい人間だとは思わないが、人間の想像力などしょせん身の丈を越えない、と思うようになった。
そんなわたしが好んで読むのは、したがって体験や周到なリサーチにもとづくルポ、ノンフィクション、エッセイである。テクストには、コンテンツのみならずナラティブという側面がある。ナラティブは、物語であり、語り口だ。それは芸であり、技術であり、それ自体が遂行的なパフォーマンスである。ノンフィクションだって粗雑なテクストは読みたくないが、同じような文体のクォリティを持った作品なら、フィクション(つくりばなし)より、ノンフィクション・ジャンルの作品のほうが、ずっとよい。わたしには数々の「文学賞」の対象がフィクションに偏っているのがふしぎでならない。どうやら文学の世界には、小説、批評、エッセイと序列がつけられているようなのだが、言語をメディアとした作品なら、物語、ルポ、評論、思想書、紀行文等々のジャンルを問わず、そのテキストの質を問えばじゅうぶんではないか。その意味では、池澤夏樹個人編集の『世界文学全集』(2007-2011年、河出書房新社)に、日本から1点だけかれが採用した作品が、石牟礼道子さんの『苦界浄土』であったことは、見識と言ってよい。
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ここに練り絹のような感触を持ったエッセイがある。読む悦楽をこれほど味わわせてくれる書物はない。
作者は矢島翠さん、故加藤周一の妻だったひとの、『ヴェネツィア暮らし』(朝日新聞社、1987年/平凡社ライブラリー、1994年)である。
共同通信社初の海外女性駐在員としてニューヨーク滞在中に、当時フランス人女性と結婚していた加藤さんと出会い、熱烈な恋愛の末に、離婚して再婚したという。その後、海外の大学を転々として教えた夫に同伴し、高齢で亡くなるまでの加藤さんを杖のように支えた。映画評を書いたこともあり、その高い文章力で知られる矢島さんが、結婚してから筆を折ったのがふしぎである。
本書は、彼女の数少ない著書のうち、結婚後、ヴェネツィア大学の客員教授として赴任する夫に随行して、水都ヴェネツィアで1年を暮らした経験にもとづく、文字どおり「珠玉のような」エッセイ集である。「珠玉のような」という常套句を使いたくはないが、ほんとうに掌中珠をころがす思いで、なんども反芻し、くりかえし読みたい思いに駆られる、数少ないテクストのひとつである。
イタリアもののエッセイストとして知られる須賀敦子さんは、矢島さんの友人でもある。須賀さんには、著作集もあり、ファンも多いが、寡作の矢島さんを知る読者は少ない。
矢島さんの著作には、古いワインのような熟成感がある。たなごころでグラスをあたため、舌のうえでころがしながら嘗めるように一口ずつ味わう。読み終わるのが惜しいような、ゆっくりした時間が流れる。しごとの必要に迫られて速読が身についたわたしには、まれな読書体験だ。
おとなのための極上のエンタメと言ってよい。いな、エンタメというジャンルが、プロットを追いかけるミステリーや大衆小説のためにあるとすれば、本書をエンタメと呼ぶのはふさわしくない。だが、読書体験がそれ自身のための自己充足的なもの、読み終わったからといってことさらにメッセージをうけとるわけではない、ただ読書のための読書である点では、エンタメと共通している。その「ぜいたくさ」に、極上からB級、C級までのグレードがあるにすぎない。
なにより、本書は、ヴェネツィア旅行を計画しているひとには、なんの役にも立たない。旅行ガイドではないからである。なかには本書を旅行ガイドとして利用したいと思う読者もいるだろう。だが、同じ場所を訪れても、あなたが経験するものは同じではない。ヴェネツィアから帰ってきた旅行者が、本書を読んだとしたら、じぶんはいったい何を見てきたのか、と悔し涙に暮れるだろう。
だが、どちらの読み方もまちがっている。本書が描くのは、矢島翠というひとりの個性が経験したヴェネツィア、彼女の言語的遂行のそとには、どこにもない世界だからだ。
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本書からどの部分を採録しようか、迷いに迷って、結局採用したのは冒頭の1章だった。どれかひとつを選ぶ苦行に耐えることができず、結局、本書の出だしを持ってくるのがいちばんだと感じたからだ。わたしがその冒頭の1行で魅了されたように、他の読者も、この1行から彼女の世界に導き入れられればよい、と思ったからだ。
のっけから本書はこう始まる。
「ヴェネツィアは、天上の釣り人に釣りあげられて、アドリア海の奥の生簀に、そっと入れられた魚に似ている。」
だれがヴェネツィアについて、こんな比喩を使っただろうか。それだけで、読者は天上からの鳥瞰図から、急速にフォーカスするヴェネツィアのスポットに引き入れられる。
このひとの比喩の卓抜さは枚挙にいとまがない。
読書の悦楽を味わわせてくれるこのような文章は、ほとんどその全文を引用したい思いにかられるが、ここではそのなかからいくつかを、ひたすら引用しつづけよう。
たとえば、静謐を愛する繊細な心情。
「針1本落ちても聞こえそうな—という静けさを、都会のなかで味わうのは、何年ぶりのことだろうか。ヴェネツィア暮らしをはじめた日々、その静けさは限りなく甘美に思われた。(中略)車のないまちは、これほどにもすばらしい場所だったのだろうか。」
その繊細さを裏切るような、辛辣でいくらかはすっぱな人間観察。
「ゴンドラの乗客は、舟のうえからヴェネツィアのまちを見るだけでなく、自分たちも見られている。ことに男女二人だけの客は、リアルト橋やアッカデーミアの橋の上にたたずむ人々の、注目の的となる。あの二人は、どういう間柄だろうか。女はどうも、素人ではなさそうだ。来ている毛皮も、あまり上等じゃないな。橋の上からの視線を十分意識して、舞台の上の女優のようにいきいきして来る女の表情。まんざらでもなさそうな男の顔。凍てつく風にさらされる冬場でさえ、毛皮のコートを着込み、厚い毛布にくるまって敢えてゴンドラに乗り込む男女がいるのは、ヴェネツィアという本舞台のうえで二人の関係を顕示したい、という欲望からかもしれない。」
度肝を抜かれるような比喩の卓抜さと、不敵な反骨精神。
「数あるティントレットの絵のなかでも、特に私を憂鬱な思いにさせるのは、サン・ロッコに入ればまず目を惹く『受胎告知』である。これではまるで、天上のペンタゴンが計画した奇襲作戦ではないか。過ぎしヴェトナム戦争の北爆さえ思わせる。聖霊の鳩がレーダーとなってマリアの位置を教え、大天使ガブリエルと無数の小天使が編隊を組んで、田舎家にただひとりいる処女の頭上に襲いかかる。暗い画面からは、ほとんど爆音に近いはばたきがひびいてきそうだ。」
そして社会学者顔負けの、飽くなき好奇心と、皮肉な社会批評眼。
「流れていく。もちろん、流れていく。このまま、すぐ、窓の外の運河に合流するのだろうか?水の上のまちでは、旅行者として訪れた場合でも、日に何度か、水洗のレヴァーを押すときには、自分がつくったささやかな流れの行く末について、思いをはせずにはいられない。(中略)水の行く末についての無粋な質問をはえぬきのヴェネツィア人にしてみたとき、その答は意外だった。
「おや、考えてもみなかった。ここの下水は、どうなっているんだろう。」
そのとき、ヴェネツィアにとっては不名誉な<たれ流し>の疑いが一層濃くなったのは、事実である。このまちに住んでいて、下水が気にならないことなどあるものか。外国人の手前、しらばくれているにちがいない。」
歴史、文芸、芸術、音楽、映画などに対する深い造詣と、それを生きた経験にする繊細で豊かな感受性。それに加えて辛辣さと皮肉、そして不逞な精神。それらをあますところなく伝えるすぐれた言語感覚。パートナーの加藤周一さんを「知の巨人」と呼んだひとがいたが、これほどの才女を、なんと呼べばよいのだろう。
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これだけの文章巧者が、筆を折って久しいことがふしぎでならない。
かつて表現者であった才能ある女性が、とりわけ同じように表現者である伴侶を得るとともに、脇役に廻ることがしばしばだが、彼女もその例に漏れないのだろうか。そのような女性にとって、伴侶の死は、痛手にはちがいないが、一面で解放でもあるはずだ。わたしの編集者魂はうずいて、このひとにもういちど書物を書いてもらいたい、とせがむ。わたし自身の読む悦楽のために。
87年刊の『ヴェネツィア暮らし』から4半世紀。94年には平凡社ライブラリーから再刊されたが、絶版になって手に入らない。この女性は老境に入って、何を感じ、何を経験したのだろうか。伴侶と共にした経験、伴侶を失ってからの経験を、どのように味わっているのだろうか。書いてもらいたいことはいくらでもある。世の編集者が、このひとを放っておくのは、目が節穴だと思う。
平凡社ライブラリー版に須賀敦子さんが解説を書いている。
「私はこの書き手の尋常ではない知識のひろさと深さ、そして正確さにまず感心した。対象を忍耐ぶかくじっくり見定める著者の、まれな教養と素質が、爽やかな理性に支えられてその章にも光を放っている」
そして「自分がこれまで、このまちについて考え、書いたことどもがすべて色褪せ、まるいい加減な編み手がぐさぐさに編んでしまった不格好なセーターに見えてしまったほどだ」とまで、謙遜する。
だが、くらべるに及ばない。
このひとの『ヴェネツィア暮らし』がだれにとってもどんな旅行案内書としても役に立たないように、読み手としてのわたしには、はっきりわかるからだ、ヴェネツィアになんど訪れても、矢島さんの「ヴェネツィア」には、けっして出会えない、と。だから旅心をそそられるよりも、本書を任意の頁から開いて、テキストを何度でも反芻する。
ここにあるのは、テキストのなかのヴェネツィア、矢島翠という稀有の書き手を得て、遂行的な言語行為のうちに生み落とされた、どこにもないヴェネツィアだからだ。
同じ感想を、べつのテキストについて持ったことがある。石牟礼道子さんの『苦界浄土』を読んで、あの本が公害汚染以前の水俣の土着的な暮らしの復元であり、記録であると思いこんだひとは多い。水俣は、むかし、こうだったのだと。だが、いくら時代をさかのぼっても、あの水俣にはきっと出会えないだろう。あのテキストの中で使われた方言は、水俣弁というものですらない。その謎は、石牟礼さんの生涯にわたるプロデューサーともいうべき渡辺京二さんの発言を聞いて、ふかく得心した。かれは、あれは水俣弁というものではない、ミチコ弁としか言いようのないものだ、と証言したのだ。
『苦界浄土』に描かれた水俣が、どこにもない水俣、ミチコ弁によって遂行的に生み落とされたテキストのなかにしかない水俣だということを知っても、あの本の値打ちは少しもそこなわれない。それどころか、あの過酷な体験が、これほどのテキスト上の達成を生んだことを、まれな幸運としてことほぎたいくらいだ。
同じように、ヴェネツィアに行っても、矢島翠の「ヴェネツィア」には出会えない。ゴンドラに乗っても、リアルト橋にたたずんでも、足跡をたどって周辺の島々へ、ムラーノ、ブラーノ、サン・ミケーレと足を伸ばしても、けっしてあのヴェネツィアにはたどりつけない。それどころか、実際に自分が訪れたヴェネツィアとの落差に、愕然とするばかりだ。だから、旅心をそそられるよりも、いっそ安楽椅子にすわって、書物をひもとくほうがましだ。それはテキストのなかにしか、存在しないからだ。そしてこのテキストのヴェネツィアが、たぐいまれな日本語で書かれていることを、わたしはひそかにことほぐ。この日本語の達成をこころゆくまで舌でころがすように味わえるのは、日本語を母語にするもののほかにいないからだ。あるいは日本語を母語に近く習得した者たちにしか。
だからこのヴェネツィアは、矢島さんが日本語使用者のために贈ってくれたヴェネツィアだ。
さて、もういちど、任意の頁から、彼女のヴェネツィアを訪れてみることにしよう・・・・
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本書の最終章であとがきにかえて、彼女はこう書く。
「「いつかヴェネツィアに一緒に行こうね」と、私はことがばわかるようになりはじめた小さな日本の子供に話しかける。お前が大きくなったとき、まだ日本から、二人で、自由に旅行ができるものなら、ヴェネツィアに行こう。(中略)
そのときまちがまだ破壊されず、沈みもせず、まぼろしのようなはなやかさで水の上にあるものなら—そのとき私はまだ、人間を信じることができる。」
この祈りのようなことばには、なにがしか不吉な予言者のような声音が混ざっている。9.11のあとで、そして3.11のあとで、わたしたちは、「まだ日本から、自由に旅行ができるものなら」という条件が、からくも保たれた奇跡のように思えるからだ。ヴェネツィアは世界遺産になったが、まちは温暖化で水没するかもしれない。あのまちが「破壊されず、沈みもしない」でありつづけるかどうかは、わからない。だが、ヴェネツィアについて、このようなテキストが書かれ、そして読まれているというそのことじたいに、わたしは思うのだ、「まだ、人間を信じることができる」と。
(出典:柴田元幸責任編集『Monkey Business(モンキー・ビジネス)』2011 Summer, vol.14, Village Books: 246-255)
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以下のブログも、矢島さんのこの作品について参考になります。
時黒二郎ブログ「森のことば、ことばの森」loggia52.exblog.jp
矢島翠『ヴェネツィア暮らし』をめぐって
http://loggia52.exblog.jp/14367254/
http://loggia52.exblog.jp/14380823/
http://loggia52.exblog.jp/14384144/
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