上野研究室

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発情装置 エロスのシナリオ    ~“からくり”を知るとき~

2012.01.10 Tue

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. エロチシズムとは「発情をもたらす文化的な装置(シナリオ)」のことであり、それ以上でもそれ以下でもない。エロチシズムを過度に神秘化する必要はないばかりか、その種の態度は裸体の記号学にとってかえって妨げとなる。裸体の記号性とは男性にとっては女性の身体の記号性であり、女性にとっては自己身体の記号性である。裸体の記号性をジェンダー抜きに論じることはナンセンスである。「身体が危険」なのは「女性身体が男性主体にとって危険」であることの男性中心的な表現なのである。

どのような装置も、からくりがわかってしまえばその神秘性は剥ぎとられる。性と人格との結びつきは、近代パラグラムというべきものであること。女性=身体性=自然性=私秘性という近代のからくり、すなわち、性と身体とを公領域から排除し、「見えない」領域に押し込め、身体はすでに私秘性という制度によってコード化されていること。そして、性と愛は人間の本能に深く埋め込まれていて、時代や人種を越えて不変だと思われている。が、事実はそうでないこと。
表紙を飾るニキ・ド・サンファルの作品、巨大な女神ホーン。ニキは、色艶やかな女神像をいくつも創造し、それを集合的にナナと名付けた。「ナナ」という名づけ方が示すのは、「ナナ」そのものが女性がとりえる多様性の表れだというメッセージである。

時代や文化に応じた性愛の多種多様さをみると、人間が自然ではなくて文化に属するもの、しかも事情が変わればあっけなく変化する生き物であることがわかる。女の見果てぬ夢が夢でなくなる日、からくりを見破った人間がつくった文化がまた人を変えていく。それが、パンドラの箱の、最後に残った希望なのである。

堀 紀美子








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