2012.01.17 Tue
1月14-15日と脱原発世界会議@パシフィコ横浜が開催されました。参加者は1日め5千人、2日め5千5百人で、のべ10500人。1日めに同時に行われたデモの参加者が5千人。トータルで30カ国合計15,500人にのぼるビッグ・イベントとなりました。WANも賛同団体として参加しました。
http://npfree.jp/
若い人の多い、動員で来たとは思えない、参加者でした。どのブースもどの会場も、熱気にあふれていました。
上野は2日めのファイナル・イベントに参加して、スピーチしました。
ITを駆使した会場の報道は、すべてプログラムからUStreamのアーカイブに入ってごらんになることができます。上野のスピーチもそこでごらんになれます。
19777707\”http://www.ustream.tv/recorded/19777707
以下、当日のスピーチ原稿をご紹介いたします。ほんの4分ほどの短いものです。
***************
この会議は「脱原発世界会議」っていうんですね。
「脱原発」、ってきもちわるいことばです。
昔から「反原発」、「反核」、ということばがあったのに、いつから使えなくなったんでしょう?
でも、しかたがないんです、「脱」はそこを経過してとおりすぎた、という意味。日本はまだ通り過ぎてさえいません。
日本は汚れてしまいました。
日本はこれまで5回の被曝(ヒロシマ、ナガサキ、第五福竜丸、JCO、そしてフクシマ)を経験しました。そのうち3回までは被害者でした。最後の1回は汚染の加害者になってしまいました。もはやだれをも責めることができません。わたしたちが地球とイノチを汚しました。わたしたちは汚れました。
もうたくさんです。こんなことはもうやめましょう。
この会議でもうひとつ違和感のあったことばがあります。ニッポン、ニッポン、このクニ、クニのかたち、ということばが連発されたことです。
この会議は「脱原発世界会議」であって、「脱原発日本会議」ではありません。
その理由はふたつあります。
第1に、日本1国で脱原発をしても、朝鮮半島や中国が沿岸部に原発をつくれば、そしてそれが万が一事故を起こせば、汚染は日本にも飛んできます。汚染に国境はありません。チェルノブイリ事故で汚染がヨーロッパ全土に拡大したことが、ヨーロッパをひとつにしたともいえます。
第2に、原子力の平和利用と軍事利用とはウラオモテであることをわたしたちは学びました。日本1国が「非核三原則」(核兵器をつくらない、持たない、持ちこませない)を持っていても、他の国が核兵器を持っていたら元も子もありません。ましてや他の国の核の傘のもとに入るのは論外です。東西冷戦が終わった現在、アメリカのオバマ大統領はノーベル平和賞を受賞したのですから、核兵器が「非人道兵器」であることを認めてください。ヒロシマに訪問して、謝罪してください。
脱原発も、脱核兵器も、1国だけではできません。だからこそ「国際連帯」が必要なんです。だからこそ、わたしたちは国境を越えて、ここにつどったのです。
この2日間、いくつかのセッションに参加して、わたしが感じた成果を申し上げましょう。3つあります。
1つは大丈夫、私たちは原発がなくてもやっていける、ということです。
2つめは、大丈夫、原発に代わる代替エネルギーや再生可能エネルギーは確実にある、ということです。
3つめ、大丈夫かどうかわからないのが、わたしたちがそれを決められるかどうか、です。
この会議を計画し、実現にこぎつけた実行委員会のみなさんがいらっしゃいます。その方たちに感謝を表したいと思います。
最初にこの計画を聞いたとき、無謀だと思いました。準備期間があまりに足りない、パシフィコ横浜という使用料金の高い、大会場を借りて、満杯に出来るんだろうか、と心配しました。あまりに無謀だから協力しないではいられませんでした。その結果がこれです。会場は満杯に埋まりました。
埋めたのはわたしたちです。
わたしたち自身に拍手を送りましょう。
この会議をちゃんと報道しないメディアは、許さないからね。
3番目の答えがこれです。
ここにいるわたしたちが、わたしたちの未来を決めます。
ごいっしょに行動しましょう。
***************
カテゴリー:ブログ