2012.02.04 Sat
1991年のキム・ハクスンさんの提訴から20年。日本軍「慰安婦」問題は解決を見ないまま、毎週水曜日にソウルの日本大使館前で被害者女性たちを含めておこなわれる通称「水曜デモ」が1000回を迎えました。そのあいだ、雨の日も雪の日も、酷暑のなかも街頭に立ってきた高齢の生存者の方々を思うと、心が痛みます。
1000回記念の日本での共同アクションは、霞ヶ関の外務省を「人間の鎖」で囲もう、というもの。呼びかけたのは「日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010」。600人いれば囲める、というところに1300人が集まりました。それに連携して日本の各地でも共同行動がおこなわれました。
WANではその映像を全国から集めて、オリジナルニュースコンテンツを制作し、配信中です。同時にソウル日本大使館前でおこなわれた抗議集会の模様も、取材してトップページで映像配信しています。マスメディアが決して放映しない映像を、WANがお届けします。
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ふたつの映像のうち、日本版を先にごらんになるほうが背景がわかって理解しやすいと思います。韓国版には、取材してきた理事の岡野八代さんのていねいな解説がついています。併せてお読みください。
なにしろ、若い人のなかには「慰安婦って何?」というひともいるくらい。「学校で習わなかった」と言います。「慰安婦」の事実を歴史の教科書に載せるか載せないか、をめぐるこの15年ばかりの攻防を覚えておられる方もいらっしゃることでしょう。こちらも現在進行形で、ちっとも解決しておりません。
元「慰安婦」の女性たちは高齢化し、韓国で名乗り出た生存者200名以上のうち、存命中の方は60余名、約3分の1となりました。これでは日本政府は被害者が死にたえるのを待っているのか、と言われてもしかたがありません。
外務省前のアクションには、性別、年齢、背景の多様性のあるたくさんの方が参加しておられました。若い人が多かったのが印象的でした。やむにやまれぬ思いで、わたしも参加してきました。
政権交代が起きたとき、自民党政権下ではまったく不可能だった特別立法を期待するひとびともいましたが、よりあい所帯の民主党の態度は、これまでの自民党政権と変わっていません。
が、20年経ってみると、状況はすこしずつ動いています。
韓国の李明博大統領が日韓関係史上はじめて韓国政府として日本に正式の抗議をしたのは、その前に、「慰安婦」問題を放置するのは憲法違反だという韓国の法廷の違憲判決を受けてのことですが、これまで「65年日韓条約で解決済み」という日韓両国政府の共同シナリオは、ここにきて初めて崩れました。それに日本政府がうろたえたことは報道されているとおりです。
日本政府が「未来志向型」のアジアとの関係を築きたいと思うなら、アジアの諸国からの信頼を回復しなければなりません。そのためにも、喉に刺さったとげのような「慰安婦」問題の解決は避けて通ることはできません。
90年代の初め、元「慰安婦」の女性たちの叫びを聞いて、わが身に受けた痛みのように感じた日本の女たち、このひとたちの思いになんとか応えたいと切迫した思いを持った日本の女たちの気分を、わたしはくっきりと覚えています。その思いは着地点を失ったまま、今日を迎えました。
20年、紆余曲折がありました。20年、傷ついたひとたちも裏切られたひとたちもいました。20年、このあいだに何があったのか、そろそろ歴史の検証にかけてもよいだけの時間が経ちました。
ここらでもういちど、解決へ向けて仕切り直しをできないだろうか…そのためにあらゆる機会をとらえたい、そういう思いです。
今回の配信が、その動きのひとつになりますように。
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