2012.03.21 Wed
ちょっと古くなりましたが…共同通信に頼まれて「年始評論」用の原稿を書きました。各地の地方紙(信濃毎日、四國、神戸、沖縄タイムス、琉球新報、宮崎日日、岐阜、長崎、岩手日報、新潟日報、愛媛、北日本)に掲載されました。震災、原発事故、世論調査、橋下人気などをからめて、最近の動向を論じたものです。地方紙はみなさまのお目に触れることがあまりありませんので、以下に転載します。
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日々の営みだけが明日を築く—千年に一度の厄災を転機に
千年に一度の災厄の年が明けた。それも天災と人災とが入り交じった複合大災害だ。それが完全に「想定外」ではなかったことが、わたしたちの気持ちを一層暗くした。まだ喪も明けぬ今春は、おめでとうという気分にもなれない人たちが多かろう。
大津波は千年に一度、原発事故の確率は2万年に一度、と言われた。生きているあいだには起きまいという安心は根拠がないことが暴かれ、現にわたしたちはリスクとともに生きていることを腹の底から味わった。
識者の多くは「文明の射程を超える危険を抱えた原発をただちに停止するのは理論的に当然の結論」と主張する。直後の緊急出版が相次いだが、事故に直面して宗旨変えをした人々だけではなく、事故を予測した研究者たちも多い。そのなかには、何年も前の本を再刊したものもある。これらの書物には、「あれほど警告したのに」という苦渋がにじむ。
他方、世論調査にあらわれる民意は妙なねじれを示している。4月のある世論調査では脱原発を支持する人々は約4割。やがて事故や汚染のレベルが想定以上に深刻なことがあきらかになるにつれて、6月には7割が脱原発に回った。少なからぬ識者が、自明と見えた答えを支持しない人々の態度に不審を表明し、多数派に転じた後は民意が選挙に反映しないことをいぶかしんだ。
政権もまた迷走した。脱原発の旗幟を鮮明にした菅直人首相は不人気なまま職を去った。後任の野田佳彦首相は原発輸出に舵を切り、エネルギー政策については言葉を濁す。権力構造に伴う慣性が働けば、現状維持が続くだろう。既得権益集団はそれを狙っているようにも見える。
識者と民意と政治とのあいだにねじれと齟齬が起きているように見える。識者は民意を解釈しかねているし、政治は民意を反映しているとは思えない。誰もが変化を望みながらその変化の方向が見えない焦りを感じる一方で、現状追認と思考停止に利益を見いだす人々もたしかにいる。
それにしてもよくわからないのが、民意と言われるものがこんなにも短期間に変化することだ。もし原発事故がもっと早く収束していたら…民意は忘れたい過去をもっと簡単に忘れようとしたのだろうか。
民意は大阪で改革のヒーローを権力の座に押し上げもした。衰退と閉塞の日本をリセットしたい、そんな欲望が徘徊している。いっそ戦争でも起きればいいのに、地震でみんなチャラになればいいのに…そういう不穏な欲望だ。その願いどおり、千年に一度の災厄、2万年に一度の事故は起きた。
そして見よ、社会はリセットなどされない。日本は変わらなくてはならない。だがそれは思考停止と白紙委任とによってではない。自分たちの運命を自分たちで決める倦まずたゆまぬ日々の営みだけが、わたしたちの明日を築いていくことを忘れてはならない。
これだけの災厄を千年に一度、2万年に一度の転機にしないなどということがあってよいものだろうか。(結)
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