2012.07.21 Sat
月刊誌『潮』に頼まれてこんなエッセイを書きました。コラムの名前が「波音」。そこに「津波」について書くのもできすぎですが。とても心に響いたエピソードだったので、ぜひともご紹介したいと思って書いたものです。
以下本文*********************
「津波てんでんこ」
三陸地方はくりかえし津波に見舞われた土地だった。明治29年(1896年)の明治三陸大津波は、震度8以上の地震にひきつづいて、高さ38メートルという観測史上最大の記録がある。昭和8年(1933年)の昭和三陸津波では、震度8以上の地震のあとに、28メートルの津波が襲来。津波のあと、宮城県は「海嘯(かいしょう)罹災地(りさいち)建築取締規則」を制定して、津波の危険があるところには建築を禁止、住宅の建設には知事の認可を必要とし、倉庫や工場を建てる場合には「非住家 ココニスンデハ キケンデス」の表示を義務付けたという。
吉村昭は70年にルポ『三陸海岸大津波』を出版。当時85歳だった男性が10歳のときに経験した津波の記憶をたずねている。寿命の短い社会では、一生のあいだに2度も3度も経験することではなさそうだが、土地の古老の記憶には被災の惨禍(さんか)が残っており、土地によっては、津波の到達した高さに石碑(せきひ)が建てられているところもあるし、当時の村のリーダーの英断で、海抜の高い土地に村落毎移転したおかげで、一戸も津波の被害に遭わなかった村もあると聞く。
たまたま今回の津波は、1000年に一度と言われる記録的な猛威(もうい)をふるうものだった。同じ規模の津波は、平安時代の貞(じょう)観(がん)11年(869年)に起きた。それだって「貞観津波」と名づけられて、古文書には残っていることを、地質学や地震学の専門家たちは知っていた。
地球の寿命にとっては1000年など、ほんの1瞬。津波だってくしゃみをしたぐらいに過ぎない。原発事故が起きる確率は2万年に一度、という専門家が、千年単位の地殻(ちかく)の変動を「想定外」と主張する根拠はないだろう。それどころか核燃料廃棄物の処理には、数万年の時間がかかるという。毒性の強い高放射性廃棄物は、ガラスで固化したあとに、地中深く埋めるしかないとされるが、埋めた土地に地震や噴火は起きないだろうか。専門家がもっと心配するのは、「危険、掘りかえすな!」と警告を発していても、数万年後の人類が、書かれた文字を読めるとは限らないことだ。後の人類が、宝探しの気分で「核の墓」を暴いたら…想像するだにおそろしい。
津波の伝承は残っていなかったわけではない。土地のひとたちは「津波てんでんこ」と言い伝えてきた。一刻も早く逃げるが勝ちだから、他人のことなどかまっていられない、てんでんばらばらに逃げなさい、という意味だと知らされた。
だが、ある震災ボランティアが聞いた解釈はちがった。
「津波てんでんこ」は、不信のことばではなく、信頼のことばだ、という。津波の報を聞いて、子どもや親が心配で家に戻り、津波に呑(の)まれた人たちがたくさんいる。教師に従って死んだ生徒たちもいる。行政の指定した避難所に向かったばかりに、生きられなかった人たちもいる。「津波てんでんこ」とは、家族も友人も、それぞれがそれぞれの判断できっと生きのびてくれる、だからわたしも自分のことだけ考えて逃げ延びよう、きっときっと生きて再会できる…という相手に対する信頼と期待のことばだと。
戦災や天変地異を、命からがら逃げ延びてきた人たちの実感だろう。わたしはあの子をただ他人の助けを待つだけの、上からの指示に従うだけの人間には育てなかった、だからわたしは安心して逃げられる…それが「津波てんでんこ」だと聞いて、このことばの印象が一変した。
思えば危機管理とは、前例のない事態にどう対処するか、の決断と行為の連続である。わたしたちの社会が、「津波てんでんこ」と自主的に判断できる人材を育ててこなかったツケが、現場の対応にあらわれているように思えてならない。
『潮』2012年7月号 ずいひつ「波音」p36~37
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