上野研究室

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危機管理のできない国、ニッポン ちづこのブログNo.33

2012.08.14 Tue

京都に縁が深くなったら、地元の京都新聞から原稿を依頼されました。こんな原稿を書きましたのでおすそわけ。
東電がTV会議の映像記録を一部だけ、それも加工して公開しました。これが公共団体なら情報公開請求の対象になるはずのところ。私企業だから情報管理が可能です。とはいえ、1兆円以上の公費を投じて、日本政府は東電の筆頭株主になったはず。ほとんど「国営企業」になった東電に、政府は「情報公開」を命令できないのでしょうか。

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危機管理のできない国、ニッポン(「現代のことば」京都新聞2012年7月11日夕刊掲載)
ほぞを噛む思いである。
米国提供の放射能汚染マップの情報が、またしても官僚機構の内部で、にぎりつぶされたことだ。放射性物質の拡散を予測するSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報がどこへ消えたかについても、わたしたちは釈然としない思いを持ってきた。設備はある、予算もかけた、情報はある。SPEEDIを所管する文部科学省から運営を委託された原子力安全技術センターは情報を、文科省や経済産業省原子力安全・保安院、原子力安全委員会、そして福島県庁にも提供した。ところが、官邸は昨年3月23日までその存在を知らなかった、という。
福島第一原発から半径10キロ、20キロと、しろうと政治家たちが、愚直にコンパスを回しているときに、放射能の飛散には風向きが影響すること、そのためのSPEEDIという情報があること…を進言する専門家は、原子力安全委員会にはいなかったのか。提供された情報は、情報を受けとった各部門で公表されず避難対策に生かされなかった。互いに管轄を押しつけあう責任回避の姿が浮き彫りになった。つまり自分のこととは考えなかった。福島県庁の職員も同じだった。あとになって、その理由を、「予測値だから信頼性に乏しいと思った」と強弁した。
同じことが米国情報についても起こった。今回は米軍機による実測値である。信頼性がないとは言えない。米国はデータを外務省に提供し、外務省を通じて文科省と保安院とに渡った。複数の部局の複数の担当者はいずれもこの情報を共有せず、担当大臣にも伝えず、官邸にも提供しなかった。長期にわたって取材を続け、この事実をすっぱぬいた全国紙A新聞は、「政府が放置」と書く。政府という人格があるわけではない。各省の責任者名を特定すべきだろう。文科省の関係者は「米軍が発表すべきだと思った」と言う。
危機管理とは危機という前例のない事態に対処することをいう。危機にあたって、管轄や前例を配慮し、責任逃れをする人々。こういう人々が官僚と言われる人たちであり、税金で養われている人たちなのだ。これが民間企業なら、と考えてみよう、組織に損害を与えた担当者は責めを負って処分の対象となる。日本政府という組織の最大の組織目標は、国民の生命と安全を守ることだ。その組織目標を自覚している公僕ならば、自分がその担当の場で、何をすべきかを自分のアタマで考えて判断するのが当然だろう。だが、SPEEDI問題と今回の米国データ問題とで、官僚と呼ばれる人々は、自分で考え自分で判断できる人材ではない、そういう人々を選抜し、雇用し、使ってきたことがあらわになった。
それにしても米国には爆発直後に測量機の航行を命じた誰かがいた。日本の上空を米軍機が自由に航行する事実にも改めて衝撃を受けるが、こういう迅速な意思決定と技術力にも隔日の感がある。
日本という国は・・・カネもある、技術もある、情報もある、だが、人材がいない。ほぞを噛む思いである。

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タグ:上野千鶴子