2013.05.15 Wed
竹村和子さんの最後の遺著、『境界を撹乱する』(岩波書店)が本日刊行。編集と解説はうえの。彼女の作品はこれ以上1点も増えない。時間が経つにつれて不在が心に沁みる。帯には「あなたを忘れない」…彼女の論文タイトルを解説のタイトルにもらった。解説は、自分でいうのもなんだが、力が入った。
以下は解説の冒頭から。再録を版元に許可していただいた。続きを読みたい方は、本を求めてほしい。
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あなたを忘れない
上野千鶴子
竹村和子とは誰か?
本書は竹村和子さんの最後の遺著となる。2011年12月13日、57歳でその才能を惜しまれながら急逝した竹村さんの作品は、これ以降1点も増えない。その最後の著書を読者に送り届ける責任を背負ったことを、光栄に思う。
書名の『境界を撹乱する』は、彼女がつけたものではない。すべての編集作業は本人の没後に行われた。本書の刊行を、彼女はつよくのぞんでいたが、病の進行が早く、書名や構成についてたちいった相談をする余裕もなく、彼女は旅立った。わたしたち後に遺された者は、彼女の遺志を忖度しながら前にすすむほかなかったが、このタイトルがふさわしいことに、彼女の理解者の多くは同意されることであろう。まず何よりも、彼女自身がこのフレーズをしばしば文中に用いているように、彼女の愛用のフレーズであり、次に彼女自身が学問分野、ジェンダー、セクシュアリティ、アイデンティティの境界の撹乱者でありつづけたからである。
竹村和子はアメリカ文学研究者だった、と言ってよいだろうか?没後、遺された未整理の原稿のうち、文学研究関係の論文は『文学力の挑戦—ファミリー・欲望・テロリズム』(研究社、2012年)として刊行され、アメリカ文学研究者である小林富久子さんの解説がつけられている。無類の映画好きだった彼女の映像批評関連の論文は『彼女は何を視ているのか—映像表現と欲望の深淵』(作品社、2012年)として刊行され、編集にたずさわった同じくアメリカ文学者、新田啓子さんの解説と、彼女の闘病を最期まで支えぬいたフェミニスト・カウンセラー河野貴代美さんの「あとがき」がついている。前者は病床にあって最後まで本人が校正に心を砕いたものであり、刊行は予告されていた。後者は計画半ばにして本人が不在となり、新田さん、河野さんらが編集委員会をたちあげて一周忌に刊行にこぎつけたものである。「未完のまま途絶せねばならかなった映像論集を、考えうる最良の形でまとめたもの」と編者のひとり、新田さんが解説で自負するとおり、「美しい本を作ってほしい」という本人の遺言はかなえられた。
ならばそのどちらでもない本書に収録した論文は、専門外の残余なのだろうか。否、わたしは彼女を文学研究者である以上に、フェミニズム思想家であったと呼びたい。日本におけるフロイトの最良の理解者であり批判者、バトラーの翻訳者であり解説者、フーコーの言説理論やデリダとスピヴァクの脱構築理論を自家薬籠中のものとし、マルクス理論やネグリのマルチチュード論までを土俵に載せ、文学、哲学、修辞学、心理学、社会学を縦横に越境するこの女性の専門分野を、いったい何と名づければよいだろうか?
彼女が『愛について—アイデンティティと欲望の政治学』(岩波書店、2002年)で日本の思想界に鮮烈にデビューしたとき、それを分類するどのような専門分野もなかったはずなのだ、ただ「フェミニズム思想」と呼ぶ以外に。彼女はこの本でお茶の水大学から学位を授与されているが、それは「文学博士」ではなく、「学術博士」という称号である。学位を授与する者たちがこの論文の分類に苦慮したであろうこと、この論文が文学でもなく哲学でもなく、心理学にも社会学にも分類されず、だがそれらを超えてそれらすべてであり、アイデンティティとジェンダーとセクシュアリティと欲望とについて、現代思想の最前線で縦横に論じたものだからである。
その意味で本書は、『愛について』[竹村2002]のまっすぐな延長上にある、彼女の本領の存分に発揮された思想書である。本書を読めば、わたしたちがどんな思想家を喪ったかが、読者には了解されるであろう。
思えば文学批評とは迂遠な自己表現の方法である。文学研究は、それにもまして制約の多い表現の手段である。竹村さんは文学研究者以上の存在だった。彼女は文学を愛好したが、文学とは彼女が世界と自分について考えるための素材だったからであり、それを分析するための最良のツールを、必要とあれば、現代思想のありとあらゆる分野から—フーコー、デリダ、ラカン、スピヴァク、バトラーなどなど—借りてくるのをためらわなかった。それを「フェミニズム思想」と呼ぶのは、彼女の業績を狭いカテゴリーに封じ込めるためではない。フェミニズム思想とは、たんに「おんながつくった思想」の別名にすぎない。それを20世紀の後半になぜおんながつくったかといえば、この世を成り立たせている巨大な謎のひとつ、ジェンダーとセクシュアリティについて、おんながそれを解く切迫した必要を持っていたからだ。(続く)
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