上野研究室

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教育委員会は不要か? ちづこのブログNo.48

2013.05.16 Thu

こんなエッセイを「京都新聞」に書きました。念頭にあるのは、もち、ハシモトとかアベとかいう困ったひとたち。コメント欄がついたんだけど、どんなレスが来るかしらん?

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教育委員会廃止を言う前に…
いじめや自殺、体罰など学校現場での不祥事の続出で、教育委員会の評判がわるい。自治体の首長のなかには、橋下徹大阪市長のように教育委員会の廃止を唱え、教育行政の首長主導を主張するひともあらわれた。教育改革に熱心な安倍首相も、橋下説に同調しているようだ。
教育委員会が機能していないのはたしかだが、だからといってそれを廃止するなんて、短絡的な結論に持っていっていいのだろうか?それより教育委員会をほんらいの姿にもどして、きちんと機能させるようにするほうが先じゃないのか?
教育委員会の歴史は占領軍の教育改革にさかのぼる。子どもを軍国少年少女に洗脳するような戦前の国民学校教育への反省から、教育の政治からの中立性を保つために、地方政府とは独立した教育委員会を設置した。当初のアメリカ方式では教育委員公選制。議員を選ぶのと同じように、立候補して選挙で教育委員を選ぶ。この教育委員会が、教員の採用、配置、異動から教科書の選定まで行うことになっていたから、地方自治と教育の民主化は担保されるようになっていたのだ。公選制の結果、選挙と運動に強い日教組系の教育委員が各地で次々に選ばれた。日教組は文部省(当時)の不倶戴天の敵。日教組憎しで、教育委員公選制を苦々しく思っていた政府は、占領軍が撤退すると早々と公選制を廃止し、自治体首長による任命制に変えた。これでもすでに教育の中立性はあやしくなったが、タテマエ上の独立は保たれた。教育長が自治体首長のイエスマンになり、教育委員会が退職学校長の受け皿になって、学校現場のことなかれと不祥事隠しに汲汲としはじめたのはそれからのことだ。
ちなみに全国の自治体でGHQ(連合国軍総司令部)が持ちこんだ新制高校の教育3原則、小学区制・総合制・男女共学をいちばん最後まで守り抜いたのが京都府である。
教育委員会をもとのとおり、任命制から準公選制へ変えようという運動は、わたしの知る限り、戦後2つの自治体でおこなわれた。東は東京都中野区、西は大阪府高槻市。1980年代のことだ。どちらも敗北したが、市民のなかには、教育を市民の手にとりもどそうという動きはあったのだ。
任命制より公選制がよいに決まっている。何よりやる気のある人が選ばれ、その選出の過程が透明になり、住民参加が保証される。自分の子どもがどんな教育を受けるか、親に選択権があるのはあたりまえだ。それに教育委員に第三者性が担保されることで、学校現場の不祥事隠しの体質にもメスが入る。教育委員会が機能していない、だから廃止しよう、となる前に、こんな体たらくの教育委員会をつくってしまった責任が問われるべきだろう。制度改革でできることは制度改革で。かつて文部省が目の敵にした日教組はもはやそんな力を失い、もっと柔軟になっている。それに文部行政には、市民のあいだに多様な抵抗勢力があったほうがよいのだ。でないと教育の政治主導に歯止めがかからなくなってしまう。教育委員会がかつて公選制であったことなどすっかり忘れてしまっている日本人は、それを思い出したほうがよい。(『京都新聞』「現代のことば」5月8日付け)

カテゴリー:ブログ

タグ:子育て・教育 / 上野千鶴子