上野研究室

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在宅ひとり死ができれば ちづこのブログNo.52

2013.07.12 Fri

朝日新聞のオピニオン欄で、「団塊世代の老後」について取材を受けました。以下が掲載記事。転載します。

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私たち団塊の世代の高齢化は以前から予測されていたことです。危機感をあおるのは施設と病院が限界にきているから。日本は今や人口減少社会。地方はもとより、都市部でも住宅余り現象が起きています。施設はもういりません。
都市の高齢者には、これまでにない利点がいくつもあります。まず持ち家率が高い。雇用者比率が高く、貯蓄率も貯蓄額も高い。それに介護・看護・医療資源に恵まれています。人口集積も高いので、事業者にとっては移動に時間がかからず、効率がいい。
配偶者を見送って単身になったあとも、子世代との同居を選ばず、住み慣れたわが家で介護を受け、訪問看護や医療の支援も受けて在宅ひとり死ができればよいのです。1人で死んだからといって孤独死と呼ばれる必要はありません。
超高齢社会の「死」の臨床の常識は大きく変わってきています。いま、死は予見できる、ゆっくり死です。医療の介入よりは抑制のほうが大事だと説く医者も増えてきました。たとえ容態が急変しても、119番する前に訪問看護師や主治医に連絡したらよい。そのためにはご本人の意思と、ご家族の納得が必要ですが。
死の直前まで暮らしを支える介護力さえあれば、在宅ひとり死は可能です。ただし現在の介護保険の利用上限額は、独居高齢者の看取りが可能なようには設計されていません。足りない分は、自己負担でサービスを買ってもらえばよい。払える人には払ってもらい、払えない人には資産で死後精算してもらい、それでも払えない経済弱者には、終末期の短期集中ケアにかかる高額費用の減免措置を設けたらよい。たとえそういう制度を導入したとしても、病院死や施設死よりも、医療・介護の総額社会保障費は抑制できるはずです。
高齢者に貯蓄を放出してもらえば、それだけ介護や看護・医療の市場も拡大し、雇用機会も増える。介護労働者が足りない、という話はウソです。現に介護の資格を持っている人の半分は働いていない。労働条件が悪すぎるからです。条件さえ改善すれば志望者はいるはずです。
だから都市の高齢化がすすんでも何も困ることはない。ただし抵抗勢力は家族。高齢者の年金や資産を使わない、使わせないのが家族だからです。
私は富山県出身ですが、今は全国でも福祉先進地の東京都武蔵野市に住んでいます。医療資源も介護資源もある。交通も便利で文化や自然にも恵まれている。これからは福祉サービスで住民が自治体を選ぶ時代でしょう。
団塊世代には市民運動の経験者が多く、権利意識も強い。政治がきちんと対応しなければ、そのうち老人党を立ち上げて社会運動を起こすかもしれませんよ。(聴き手 萩一晶)(『朝日新聞』「耕論」2013.6.12付け)

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タグ:高齢社会 / 上野千鶴子