上野研究室

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大学院重点化政策はまちがいだった ちづこのブログNo.71

2014.05.10 Sat

毎年、朝日新聞出版から刊行される『大学ランキング』 2015年版が出ました。上野はそのなかで「学位授与ランキング」について取材を受けました。以下ご紹介。
わたしは大学院重点化政策はまちがいだった、と思っています。文科省は失敗だったことを認めて、軌道修正すべきです。

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「失政だったが優秀な研究を生んだ」

1990年代の大学院重点化政策は文部科学省の失政だった。大学院の増設によって院生を増やし、学位を授与したところで、就職口のない大学院修了者の構造的過剰供給状態をもたらした。博士号を持っていても路頭に迷う「高学歴ワーキングプア」だ。大学院重点化は、「高度の専門的知識・能力の育成」をもめざしており、専門職大学院を次々とつくったが、法科大学院の例に見るように、これも失敗だった。日本社会が院生の受け皿を増やしてくれるだろうという文科省の楽観的な予想は裏切られたのである。

日本の社会はメリトクラシー(資格社会)ではないからだ。企業、官庁、自治体は学位を持つ者より、学部卒を選好する。修士号、博士号の取得者を採用しても、学位は評価の対象にならず、給与体系は学卒何年目と同じ。ようするに学位の価値を認めていないのである。

「就職先がない大学院生に自己責任を問うのは酷」

一方、大学院は定員充足を迫られ、受け入れのハードルを下げたところ、さまざまなレベルの大学院生が生まれた。英語文献はおろか、日本語の専門書も満足に読めない者もいる。研究者としての資質を疑わざるをえない者もいる。これでは、進学しても学位取得までの道のりは遠い。一部の大学で学位の粗製濫造が起こっているとも聞く。大学院生にすれば、苦労して学位を取っても就職先がない。

大学院生の供給が過剰となり、就職難と研究者養成のレベル低下が起こった。今日の事態は十分に予想されたことである。しかし、国は何ら責任をとろうとしない。文部科学省は失政を認めて、速やかに戦後処理をすべきである。

では、どうしたらいいか。大学院の定員を絞るしかない。撤退あるいは縮小すればいい。法科大学院の一部で定員割れが起き、司法試験合格率低迷を打開するため統廃合が進んでいる。これに倣って、大学院も淘汰したほうがよいだろう。

大学院重点化政策のいちばんの被害者は大学院生である。彼らの自己責任を問う向きもあるが、それは酷である。政治の都合で増やした大学院、その失政を大学院生のせいにするのは責任転嫁以外のなにものでもない。

文科省は当初、大学院重点化政策に際して、博士号の学位取得期間に5年という目安を立てていた。博士号の取得期間は分野によってばらつきがある。理系と文系でも違うし、人文系と社会科学系でも違う。学位の要求水準によっても差が出る。学位授与のハードルを下げた場合、「この程度の論文で学位が取れるのか」という情報はただちに世界的に流通するから、学位論文の品質管理も重要だ。

しかし、それは同時に研究者としての就職活動が難しくなることを意味する。学位が研究歴の到達点であったドイツ型から、キャリアのスタートラインの資格条件となったアメリカ型への転換にともなって、学位がないと就職活動すらできなくなった。学位がなかなか取れないまま、年齢を重ねてしまい、非常勤をつないでその日暮らしを送る者もいる。

学位の品質管理のきびしい大学ほど学位取得のハードルが上がり、就活市場で不利になるというディレンマもある。なかには、ゴールの見えない博士論文に取り組むよりも、目前のテーマでてっとり早くメディアで発信する若手もいる。研究者としてスタート地点にも立っていない彼らを、安易に消費するメディアにも責任がある。まずは、博士号をとってからだ。

「博士論文に対して出版助成を積極的に行う」

学位は、授与した大学名で評価が違うわけではないが、結果として、旧帝大系の大学院修了者のほうが、論文の生産性が高く、キャリアパスにつながるケースが多い。こうした大学のよいところは、大学院生の定員が相対的に大きいことである。2ケタ以上いれば、ピア(同じ分野に取り組む同輩の研究者)から知的な影響を受けられる。互いの研究情報を交換して批判しあったり、徹底的に議論を交わしたり、励ましあったりできるピアの教育力は、教員のそれに劣らず大きい。

一方、小規模大学で定員が少なく、ピアが1人、2人の環境で研究を続けるのは、よほど強い意志を持たないとむずかしい。また、地方大学ではなく首都圏の大学にいることは、学位論文を刊行するため、編集者や出版社へのアクセスが大きいことも、有利な点だ。

ところで、大学院重点化政策ではよいこともあった。学位取得へのプレッシャーが強まるなかで、もっとも生産性の高い年齢に大きなテーマに取り組むことで、内容の充実した学位論文が次々に生み出されたことだ。最近の社会学分野での成果には、佐藤雅浩(小樽商科大准教授)の『精神疾患言説の歴史社会学(2013年、新曜社)、福岡愛子の『日本人の文革認識』(14年、同)などがある。いずれも博士論文がもとになったものだ。就職していればこれだけの重厚な著作は書けなかっただろう。

大学院生にとっては学位のみならず、単著があることは、ジョブ・ハンティングの上で大きな武器になる。しかし、出版不況のもとで本は売れず、ましてや人文書の出版を引き受けてくれる版元は少ない。大学は「製造物責任」を果たす上で、学位授与の証として博士論文に対する出版助成を積極的に行うべきだろう。

アカデミック・マーケットのよいところは、業績評価の公平性が期待できることだ。職がなくても単著があれば、大学院生に大いに励みとなり、レベルも向上する。大学院重点化政策の失政を大学がフォローする意味でも検討してほしい。

『大学ランキング 2015年版』 「特集 大学入試はどうなる」
週刊朝日 進学MOOK 朝日新聞出版 2014年4月25日






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タグ:子育て・教育 / 上野千鶴子