上野研究室

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「報道」検証より「慰安婦」検証を ちづこのブログNo.78

2014.12.03 Wed

『週刊金曜日』(10月7日号)「慰安婦特集」掲載記事が、『週刊金曜日臨時増刊号 特別編集「従軍慰安婦」問題』(10月29発売)に再録されました。編集部のご厚意によって、ここに転載させていただきます。(なお、河野洋平氏インタビューは、紙幅の関係で削除した部分を復元して引用してあります。)

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「報道」検証より、「慰安婦」検証を
上野千鶴子(社会学者)
リード文(編集部)
『朝日』報道検証をきっかけに「慰安婦」問題を再び国民的課題に。
「河野談話」が吉田証言に依拠していない、という事実が証明されてもひるまず、その「見直し」を口にする保守政治家たち。今、あらためて必要なのは、「慰安婦」問題そのものの検証ではないのか?

本文
『朝日新聞』叩きがとまらない。水に落ちた犬をさらに叩くようならちもない見出しが躍る保守系メディアを見ていると、この国のメディアの劣化を痛感せざるをえない。はじめに結論ありき、で筋書きどおりの物語を仕立て上げるのは、何も『朝日』に限ったことではない。『朝日』叩きをしているメディア自らが同じことをしており、そのなかには根拠のないねつ造や誤報も含まれるのに、それに対して訂正も謝罪もしないのは、同罪だろう。
『朝日』は昨今のメディア状況を見誤ったと思う。吉田清治証言の信頼性が低いことはかなり以前から関係者の常識になっていた。だが吉田証言が登場した当時には、それを報道したメディアは『朝日』のほかにもたくさんあったのだから、『朝日』だけが検証記事を書く理由はない。それだけではない。なぜ、この時期だったのか?

保守派のデマゴーグ
メディアの『朝日』叩きを見ていると、日本の大衆メディアの右傾化がここまで進行していたのか、とあらためて震撼するとともに、ニューメディアと称されるインターネット上においても、「勝ち馬に乗る」保守化と右傾化がとどまるところを知らずに進行していたことを思い知らされる。今やネット上の言論のほうが、はるかに保守的で暴力的と化している。
とつぜんの検証記事を最初に目にしたときのわたしの感想は、違和感だった。「慰安婦」が「強制連行」かどうかは、もともと慰安婦問題の専門家のあいだでは枝葉末節の問題にすぎなかった。どのような方法で動員されたにせよ、戦場で拘禁下における強制性労働に従事させられたという事実は覆らない。慰安婦の「強制性」を「強制連行」の有無に矮小化しようとするのは、長年にわたる安倍晋三ら反対派の常套手段で、今さらのように吉田証言の信憑性について検証するのは、すすんで彼らの土俵に乗るような愚かな行為だからだ。
その心配はみごとに的中した。安倍首相の発言を聞いていると、「連行」の強制性が否定された(実際には否定されたわけではない、証明されないだけである)だけで、「慰安婦」の強制性そのものも否定しかねないような発言があいついでいる。9分の真実と1分の疑惑のうち、1分の疑惑をもとに嵩にかかって残りの9分の真実も葬り去ろうとするのが、デマゴーグのやり口である。
保守派は『朝日』の検証記事をもとに、「河野談話」の見直しを口にしている。「河野談話」が吉田証言に依拠していない、という事実が証明されてもひるまない。政権は「河野談話」を維持する、と言い続けているが、今や「河野談話」が維持される唯一の理由は、国際圧力のみだ。だが、そうした「国際圧力」が、虚偽の「自虐報道」で形成されたと言いつのることで、「河野談話」の信頼性は堀り崩される。保守派はそれにある程度成功した。今や彼らのストーリーのもとでは、日本は『朝日』による虚偽の報道によって、軍隊性奴隷制をつくった加害国として国際的な汚名を着せられ、それに抗弁もゆるされずに耐えるほかない“悲劇の主人公”となっている。日本にそのような濡れ衣を着せた「犯人」は『朝日』なのだから、「万死に値する」となるだろう。わかりやすいストーリーなので、説得されるひともいるかもしれない。
「河野談話」の見直しが政府でとりあげられた頃、『毎日新聞』(2014年7月9日付け夕刊)だけが、河野洋平氏本人のインタビューに成功した。「見直し」が日韓関係を悪化させるのではないか、という懸念に対して氏はこう答えている。
「談話の公表から20年間…多少のヤマはありましたが両国は大変良い方向に進んでいたのです。それが、あっという間にここまで関係が悪化してしまった。私の先輩世代の日韓の政治家や日韓交流に関わる方々が大変な苦心をして積み上げてきたものがいっぺんに壊された。驚きを通り越して、信じられない思いです。」
現政権についてはこう語る。
「非常に難しく、いっぺんには良くならない。まず「してはならないことはしない」を徹底すべきです。今は「したら必ず状況が悪くなる」ことをしています。昨年末の安倍晋三首相の靖国神社参拝もそうですし、日本の植民地支配や侵略を認めた村山談話(95年)見直しの声など歴史修正主義的な動きが無用のあつれきを生んでいます。だから、まずは国内の政治状況を変えないと。(中略)集団的自衛権が閣議決定され、多くの人が「どうすればこの流れが止まるのか」と言うのですが、有権者が選挙で自民党をあれだけ支持した以上、どうにもならない。「野党がだらしない」「公明党が押し切られた」という批判も筋違いです。野党の議席が少ないのは有権者の判断です。…結局、有権者が政治を変えるしかありません。それには今の政治・政権への不信感や不満を決して忘れないことです。世論調査などを通じて『今の政治は民意とずれている、次の選挙は大変ですよ』と政権にメッセージを送り続ける。内閣支持率が大きく下がれば政権だってぎょっとしますよ。これに尽きます。」
自民党員だったことのある政治家が、「有権者が政治を変えるしかありません」とまで発言している。

1991年の衝撃
朝日新聞は慰安婦問題をめぐる報道の検証のための第三者委員会を発足させた。顔ぶれを見るとその多くがジャーナリズム関係者で、慰安婦問題の専門家はひとりもいない。朝日新聞がいまやるべきなのは、「慰安婦報道」の検証ではなく、「慰安婦問題」そのものの歴史的検証ではないのか?
この問題を「報道検証」に矮小化してはならない。もし報道ジャーナリズムが「事実」にもとづいてなされるものならば、まずなされるべきは、事実の検証だ。「名誉毀損」訴訟だって事実無根なら名誉毀損に当たるが、事実と認定されれば、名誉毀損にはならない。「慰安婦」について、何が真実なのか?その歴史的検証こそが、報道に値する。
1991年「慰安婦」被害者の女性たちの証言が初めて歴史の表舞台に登場したとき、多くの人たちがそれに衝撃を受けた。あの当時、日本国民のあいだにあった、何かしたい、せずにはいられない、という気分を思い出す。たとえどんな批判を受けようとも、「女性のためのアジア平和国民基金」に5億7千万円近い浄財を寄せた多くの国民の気持ちも同じだっただろう。あのときの熱気は着地点を得られないまま、この問題は隘路に入った。
あれから20余年。そのあとに生まれた世代が成人に達する年齢になった。「慰安婦」問題って何?といちいち説明しなければわからない人たちも増えた。生存者の映像や証言を見聞きしたことのない人たちも多い。記憶の継承は、くりかえしくりかえし、同じことを反復しなければ忘れられてしまう。もしくはまちがった記憶が、容易にその上に上書きされてしまう。わたしたちは今でも記憶をめぐる戦争を闘っている。そしてその闘いにおいては、どちらかといえば劣勢に立っている。
『朝日』の慰安婦報道検証のおかげで、膠着状態にあった慰安婦問題が、もういちど国民的課題として動き出す可能性が生まれないだろうか。「慰安婦」報道が何だったかの検証よりももっと大切なのは、「慰安婦」とはいったい何だったかの検証だ。朝日はこの問題を「社内問題」で終わらせるべきではない。むしろ使命感をもって「『慰安婦』とは何だったか」の検証報道(・・・・)—報道検証(・・・・)ではなく—に全紙をあげてとりくむべきではないのか?萎縮せずに、これでもか、と「慰安婦」報道キャンペーンを打てばよい。加害者、被害者を含めて、生存者の証言を何度でもとりあげればよい。まだ間に合ううちに。そして有無を言わせぬ事実を示すことで、反対派を黙らせるべきだろう。
そしてその事実の検証とは、何より日本が被害者の女性たちに対して謝罪の機会を失わないためにこそ、必要なのだ。
李明博前大統領は政権の末期に拙劣な政治行動をとったけれど、彼が慰安婦問題について語った発言には同意できる。
「このまま『慰安婦』の被害者たちが死に絶えてしまえば、日本は彼女たちに謝罪することで名誉を回復する機会を永遠に失うだろう」と。(文中一部敬称略)






カテゴリー:ブログ

タグ:慰安婦 / DV・性暴力・ハラスメント / 上野千鶴子

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