2015.02.14 Sat
朝日新聞北陸版に、「北陸六味」という連載エッセイのコーナーを持っています。
最近書いた原稿をご紹介。立命館大学大学院で持っているゼミでのやりとりです。
教師って商売はおもしろい、と思える瞬間でした。
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バカヤローを言いたい相手
社会学には「クレイム申し立て」という概念がある。社会問題とは、あらかじめそこにわかりやすいかたちであるものではなく、誰かが「それはおかしい」「問題だ」とクレイムをつけることによって初めて作り出される、という考え方のことだ。世の中には「モンスター・クレイマー」などという呼び方もあって、何かとケチをつける困ったひとのことを指すようだが、クレイムに限らず、自己主張することがこの社会ではきらわれるらしい。
だが、セクシュアルハラスメントにしても、ドメスティックバイオレンスにしても、クレイム申し立てをする人がいたからこそ、問題として取り扱われるようになった。どちらもカタカナであるのは偶然ではない。それまでそれぞれ「いたずら」とか「痴話(ちわ)喧嘩(げんか)」とか呼ばれていたことがらを、人権問題だとクレイム申し立てしたのが外国で、日本はそれを輸入したからだ。それ以来、世の中がぎすぎすしてね、とイヤがる人もいるようだが、救われたひとたちがどんなに多いことか。「痴漢は犯罪です」という標語を東京の地下鉄のなかで見つけたときの感動といったら!
だから、セクハラが増えたかどうかを問うのはあまり意味がない。わかるのはセクハラだと申し立てる人たちが増えた、ということだけだから。そしてそれは女性の人権感覚が鋭敏になってきているという証でもある。
それまで問題だと思われてきていないことを問題だと認めさせるにはたいへんな努力がいる。立命館大学のわたしのゼミには社会人受講生が多いが、そのなかに、過労死遺族会の関係者がいる。彼女も夫の死を受け入れられなくて、過労死認定を求めて闘ってきた女性だ。権利はクレイム申し立てをしない限り、向こうから歩いてやってはこない。
ゼミでのやりとりのことだ。「クレイム申し立てって……」よくわからない、という彼女に、ゼミの受講生仲間がうむむ、と詰まったあげくにせっぱつまってこう説明した。
「つまり……あんたがバカヤローを言いたい相手ってことだよ」
「それなら言いたい相手はたくさんいる。いちばんにバカヤローを言いたいのは、死んだあのひとよ」
夫を過労死で失ってから25年経っていた。そのあいだ、自分自身だけでなく、他の過労死遺族のために、過労死認定を求めて支援を続けてきた。認定を配慮して、「バカヤローを言いたい思いを抑えてきた」のだ……と彼女は言った。過労死認定のためには、過失が使用者側にあり、雇用者側にはないことを立証しなければならないからだ。
だが、なんで死んだのよ、死ぬほど苦しかったらなんで言ってくれなかったのよ、死ぬほど働く必要なんてないじゃないのよ……。バカヤローと言いたい思いが鬱積(うっせき)していたのだろう、彼女はその一言を25年目にゼミの仲間の前で吐いたのだ。
ゼミは一瞬、厳粛な雰囲気に包まれた。こういう一言を引き出す、温かさと信頼が仲間のあいだにあった。そして学問の用語を血のかよった道具にする智恵と心意気があった。こういう時だ、教師をやっていてよかった、と思えるのは。(朝日新聞北陸版「北陸六味」2月7日付け )
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タグ:DV・性暴力・ハラスメント / 上野千鶴子 / 女性の人権 / セクシュアル・ハラスメント
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