2011.11.14 Mon
〜10月29日(土)、東京ウィメンズプラザホールにて行われた「連連影展FAV( Feminist Active documentary Video festa・※1)」主催の「女たちが女たちを女たちのために撮影した3.11後」という上映+トーク+歌のイベントに参加し、そこで知ったこと、感じたことをレポートします〜
10月27日から経産省前で続いている「原発いらない福島の女たち〜100人の座り込み」アクション最終日の夕刻、「原発はいらない!」の黄色いシールを衣服やかばんに着けた参加者を多数見かける中、『福島からのメッセージ』(撮影・編集 うららさとこ せやまのりこ)の上映で幕が開いた。
「自分の暮らし以外のことを考えないと、自分の暮らしは守れない。」 ――田村市船引き「福祉のまちづくりの会」代表 鈴木絹江さん
『福島からのメッセージ』は、7月初旬に福島県の南相馬市と田村市にある二つの障害者支援の事業所を訪ね、被災された方々のお話を記録したもの。
中でも田村市船引町で障害者自立支援を行う「福祉のまちづくりの会」代表の鈴木絹江さんの存在と言葉が心に響いた。
ピアカウンセラーで車いすユーザーでもある絹江さんは、「地震の時はどこに逃げても地震だから、逃げない」と決めていた。しかし原発事故直後、妊娠中のヘルパーさん3人を真っ先に避難させ、ガソリン不足に追い討ちをかけられた絹江さんも事業所の利用者とヘルパー10数人を連れて新潟に一時避難。
そのとき、「もう帰れないだろう」と支援者が善意でアパートをいくつか見つけてくれたことがとても辛かったと言う。「彼らが善意であることはわかっている。しかし、戻らないという決断をして出てきていない。決断なんてできない。」
自給自足の生活をめざして夫とともに船引に移住した絹江さんは、「電気がなくても暮らせる自信がある。だからこそ原発にはすごい怒りをもっている」そして「原発に対して声をあげてこなかった自分はなんなのかな、というところにどうしても行き着いてしまう」と映像の中で唯一声を詰まらせる。「人の生き方を変えないとこの難局は乗り越えられないということはわかる。でも〝やるぞ〜〟とまだ思えない。グブグブと水の中でもがいて、まだ底についていないという感じ。すごい無力感なんだろうね。原発や、社会に対して。私ひとりじゃあどうしようもないんだという…」「頑張るためには未来がないとね。未来ってなんだろうなって思うね…」
場面は急きょ追加編集された「原発いらない福島の女たち」アクションが続く経産省前に移り、絹江さんの声が覚悟に変わる。
「人は最終的にはお金じゃないから、お金で賠償すればいいという問題ではなくて、努力しながら築いてきた生活の場が一番危険なわけだから、そういうものを奪われるというのはすごく悲しいね。それはお金やものでは購えない、代えられない」「私たちは賢くなって、無知のままではいられない。無関心のままではいけないんだ。自分の守りたい生活があるんだったら、もっと自分の家のこと以外の問題にも賢くなっていく、学んでいかないと、本当の自分の暮らしは守っていけない。」「自分の暮らしだけを守るということじゃなくて、自分の暮らし以外のことを考えないから、自分の暮らしも守れないということが起きちゃったわけだよね。そういうことを今回のことで気がついた。」
上映後、10数年前から鈴木絹江さんと交流があった撮影・編集のせやまのりこさんは、「『福島の辛さを聴かなくてはならない』という思いで制作した。出演された皆さんは長時間にわたって、いかに生活が壊されたかということをお話くださった。そのことを共有する、より添うということはなかなか難しいという厳しい言葉もいただいたが、『まずは聞く』という思いです。原発という難しい状況を抱えた福島とどう向き合っていけばいいのか、自分の問題としてこれからも考えていきたい」と語った。
映像を見ながら私は、教育ジャーナリスト 青木悦さんの言葉を思い出した。それは6月15日の「震災復興基礎所得保障と生活再建のための現物支給を政府に要求する院内集会 第2回」でのこと。青木さんは「『危ないから逃げてください』と言われることが辛かった」と、福島の人々の言葉を伝えた。「逃げろ、逃げろ」と言われて逃げられる人ばかりではない。悪いことをしたわけでもない人がどうして全て捨てて逃げなければならないのか。
青木さんは2012年夏、青木さんのおつれあいのお母さんが暮らす福島に「帰る」(※2)。
私の実家も原発から60kmの福島市にある。震災後「東京でしばらくゆっくりしたら」と何度電話しても応じなかった父母が、「原発に反対するバスツアーがあるけど」というと即決で申込み、「東京に福島の声を届けよう!6.11脱原発100万人アクションバスツアー」の皆さんと上京した。 父75歳、母73歳。「おじいさんだってちゃんと怒んねくっちゃね」と父。老親の血圧を心配しつつ、二人の後ろから私も日比谷の通りを歩いた。
あまりに大きな理不尽に見舞われてなかなか前を向けない。「見たくないものは見えない」と無関心を装いたくなるときもある。もう3.11以前には戻れないのだとわかっていても、なかなか便利で快適なものを手放せない。震災直後の食料品不足のとき買い込んだ乾物や20リットルの温泉水(飲めない)が今も戸棚をふさいでいる。そんな整理できない自分のまま8カ月が過ぎようとしているとき、この映像に出会えてよかったと思う。
身近な友人や仲間と一緒に『福島からのメッセージ』に耳を傾け、これからのことを考えるきっかけになるようなことが何かできればと思う。
(A-WAN すずき)
〜参加レポート NO.2へつづく〜
※ 1 「連連影展FAV(Feminist Active documentary Video festa)」とは、タブーや規制ばかりのメディアでは放送されないが、等身大にそして雄弁に語りかけてくる映像をフェミニストの視点であつめた神出鬼没な映画祭
※2 詳しくは青木さんの近著『やさしく生きたい 私を育ててくれた戦後教育と四万十川』(けやき出版 2011年)をご覧ください。
カテゴリー:アートトピックス