2011.05.29 Sun
★日本のフェミニズム:第2回/『フェミニズム理論』★2011/5/21
「“理論”ってとっつきにくいですよね。」と講義が始まりました。けっきょく、“リクツ(理屈)”といいかえれば近しくかんじるのかな、と思いました。
かつて江原由美子先生は、“家事労働”というコトバを用いて、経済学の教授にこういわれたのだそうです。
「江原先生、お気持ちはわかります。でも“家事労働”はマチガイ。“家事”は“余暇”です。訂正してください。」
「…じゃ、子どもを産んで育てる。これはどうです。“生産的”でしょう?」
「いいえ。育児は“消費”です」
フェミニズム側の理論と、経済学側の理論、両者の違いを浮き彫りにするエピソート。
フェミニストとしては、経済学の見解は、近代の資本主義的な枠組みにとらわれ、人間の節理を度外視した“ヘリクツ”にみえるけど、経済学からみれば、経済学の言葉を使うくせに経済学をわきまえない“ヘリクツ”でがまんならない。
「理論」というと誰もが認めるニュートラルなロジック、というかんじがするけど、立場が対立する人がきくと、要するに「屁理屈」なんだろうな、と思いました。だから『フェミニズム理論』は、向こう岸からみれば≪オンナのへリクツ≫、“片腹痛い女のタワゴト”、と感じる人がけっこういるのでしょう。
そして、そう感じるのは、いわゆる“オヤジ”、ばかりでもなく…。女性の立場から近代的価値観のゆがみを批判してきた70年代のフェミニズムは、80年代に入り、非先進国、非白人の女性、また、セクシャルマイノリティの人たちから、「あなたの想定する“女”って誰ですか」と批判を受けて、猛省を開始。
江原先生曰く、「フェミニズムは女性の立場の多様さに気付き、どんどん“イイヒト”になったんですね」。
ひとくちに「フェミニズム」といっても、立場ごとに共通性もあれば相違もある。フェミニズムは目配りの“イイヒト”として洗練されながら、「フェミニズム(ス)」と複数形を用いるようになった。いろんな立場の「リクツ」を、お互いに知ろうとつとめた。
そうした動きの傍らで、90年代を経てグローバリゼーションが拡大。雇用状況が解体して社会の秩序感覚が崩れてくると、フェミニズム(ス)は“古き良き伝統”や“よき家庭の崩壊”を主張する思潮と目され、スケープゴートに。
バックラッシュってよくいうけど、でも、攻撃したいのは「フェミニズム(ス)」の、ちょっと目についた一部だけなんじゃないかなぁ。だって、女性がフェミニズムの成果、就労も教育も返上して家にこもって、「養ってください」「外貨は稼ぎません」なんていったら、あせりそうだもん。
「強すぎず、弱すぎず。家庭にこもらず外貨は稼ぎ、収益は家に入れ、家族の世話も続け、隣人となかよく、そんなほどよいフェミニズム(ス)を続けて欲しい」って感じかも。あ~めんどくさい!
しかし、なんで“オヤジ”は“オヤジ(ス)”と複数形に思えないんだろ。目配りが足りないのかな‥と、ますます“イイヒト”になりそうでした。
杵渕里果(受講生)
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