アートの窓

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イトー・ターリ「放射能に色がついていないからいいのかもしれない…と深い溜息…をつく…」パフォーマンス

2012.01.01 Sun

2011年12月17日(土)東京都小金井市のGALLERY BROCKENにて、会田恵陶器展オープニングイベントとして行なわれたイトー・ターリさんのパフォーマンスのレポートと、福島県伊達市在住の陶芸家 会田恵さんのインタビューです。

イトー・ターリ「放射能に色がついていないからいいのかもしれない…と深い溜息…をつく…」レポート

 

ギャラリーの壁にはターリさんが10月、11月に撮影した川俣町山木屋地区と飯館村の映像が映し出される。そこは福島第一原発から20キロ圏外、「計画的避難地域」に指定された地域。

無着色のゴムのスーツのターリさんは、映像の前でキーボードを打ち続ける。

ガイガーカウンターの計測音。映像を撃ち抜くように、塗りつぶすように連続音が続く。 色づく山々、人気のない公園、夕日に輝くすすきの原……のどかな秋景色に不穏なものが重なる。

タマネギを抱えて座るターリさん。

ひとつ手に取っては、青味を帯びた乳白色の塗料を塗る。 皮を剥き、皮の内側にも外側にもていねいに塗る。

たまねぎのちくちくする空気がここまで届いてくる。

ふるさと福島に起きたことを思う。 ちくちくする空気のせいばかりではなく、鼻の奥がツンとする。

無着色のゴムのジャケットを着るターリさん。このジャケットが体現するものは何だろう。

無色透明、匂いも温度も重さもなく、私たちの生活を根こそぎ脅かすもの。あるいは、私たちの恐怖心だろうか。

場面は暗転し、青い光を放つ怪物が暗闇から姿を現す。

便利で快適な日々の生活の中に、私たちはこんな怪物を飼っていた。その力をコントロールできるとかいかぶっていた。

青い光は、見るものの内側に向けられたサーチライトのようにも思える。

 

 

赤いLEDの線をジャケットの中から身体に這わせるターリさん。線は発光し空間全体を赤く染める。

映像は自分撮りのカメラに切り替わり、ターリさん自身を映す。コンクリートの壁が合わせ鏡の様な奥行きを持ち、発光体となったターリさんが奥へ、奥へ、奥へと連なる。

胸を打つ美しい光。私たちを脅かす危険な光であっても、いつまでも眺めていたいと思う。

カメラはアップと引きをランダムにくり返す。どこで誰が操作しているのかわからない。実像と映像が交錯し、お互いを追い立てるように見える。

 

発光体となったターリさんは、床に貼られたゴムの膜を剥がし、床と膜の間に潜り込む。

膜が繭のように見える。蛍のように発光する蚕。

 

蚕の静寂を破るように飛行機の爆音が近づく。上空の壁には嘉手納飛行場が映し出される。

そうだ、福島と沖縄はつながっている。

私の実家は原発から60kmの福島市にある。

1号機の爆発直後、電話で父は開口一番にこう言った。

「沖縄の人の気持ちわかるぅ。だって、わたしら、東京の人の便利のために、こんなにおっかない思いしてんだぁ」

〝東京の人〟には私も含まれる。

安全を信じていなかったが、問題に向き合わず、素通りしていた。 何も言わない、何もしないことで、私も加害に加担していた。 悔しさがこみ上げてくる。

 

場面は再び暗転。

ジャケットを脱いだターリさんは、爪で床面をこすり、へばりついているゴムを引き剥がす手がかりを探す。
浮き上がったゴムの縁を思いっきり引っ張り、尻もちをつく。
手探りで、素手で、力づくで、ゴムを引き剥がす。

 

福島を覆い尽くした何ベクレルもの物質を、引っ剥がしたい。

本当のことを覆い隠している膜を、引っ剥がしたい。

何も言わず何もしてこなかった自分も、今までの価値観も、引っ剥がしたい。

〝引っ剥がす〟という行為に触発されて、私の中にメッセージがつぎつぎと浮かんだ。

 

パフォーマンス後ターリさんに促され、会田恵さんが「こんな酷い目にあっているんだから、原発は全部止めなきゃいけない。そのために東京で個展をして、脱原発の署名を集めるために来ました」と話し始めると、会場は会田さんの話に聞き入った。

「実際に遊具の塗装を〝ひっぺがす〟という膨大な労力をかけた除染作業が行われている。しかし、どのぐらいの効果が期待できるのだろうか」

「ひと月でも空気がきれいな保養地で過ごすことが、被ばく量を減らすのに効果があると聞いた。そのために予算を使ってほしい」

「避難することに後ろめたさを感じる人は少なくなく、何も告げずに転居する人もいて、被災者が分断されるということが起こっている。」

会田さんから、東京にはなかなか伝わって来ない福島からの生の声を聞くことができた。

それを受けて、会場からターリさんのパフォーマンスに対する感想が次々に述べられた。

「福島の問題は沖縄の問題につながっている」

「〝引っ剥がす〟という行為を私はこう感じた」

「私たちは変容しなければと感じた」など、多くの参加者が熱い思いを語った。

 

会田恵さんインタビュー

会田恵さんとイトー・ターリさんは古くからの友人。会田さんの前夫で写真家の故会田健一郎さんが福島市に開いた「ギャラリーK」で、オランダから帰国後まもないターリさんがパフォーマンスを行なうなど、25年来の交流が今回のオープニングイベントにつながる。 パフォーマンス翌日、会田さんをたずね、お話をうかがった。

 

陶芸との出会い

会田さんの前夫の健一郎さんは若い時から「自分は最終的に焼きものをやりたい」と言っていた。それで一緒にやろうということになり、陶芸を始めた。作陶は最初から最後までひとり。自分が作りたいものにどうやって近づけていくかだから、朝早く起きて先に陶房に入った方が勝ちというのがあって、どんどんエスカレートしていき、夜中に入ったりしていた。

陶芸は独学で学んだ。この青(左)にはコバルトがちょっと入っている。〝この黒(信楽の土)にはこの釉薬〟というのがやっと定着し、安定して出せるようになったという。  渦巻きのモチーフ(右下)についてたずねると、「山菜のワラビやコゴミが好き」と言う会田さんの作品は、福島の自然に培われたものと感じた。

 

伊達市霊山町について

会田恵さんは生まれも育ちも福島市内。結婚し移り住んだのが宮城県伊具郡丸森町筆甫(ひっぽ)。〝こんなところに人家があるの〟というぐらいの山の中で、月が出ないと漆黒の闇。星空が素晴らしく、〝宮沢賢治の世界〟だと思った。

しかし、バブルのとき立ち退くことになり、住むところを探して福島県伊達市霊山町に落ち着いた。16戸ある集落の一番奥の家というのが気に入った。どんなに騒いでもいいし、筆甫と同じ漆黒の闇があり、蛍が生息する沢がある。

会田さんは、このパフォーマンスのための撮影にも同行した。映像にあった山木屋小学校の校舎をのぞくと、一年生の教室の黒板に〝入学おめでとう〟とあり、10人ほどの新入生の似顔絵が描いてある。しかし日付は4月21日で止まり、鉢植えが茶色く枯れていた。「死んでしまった訳じゃないが、人が居るべきところに居れないというのは本当に悲しい。こんなことしちゃいけないと思う。人の生活を奪うような、誰にもそんな権利ないよね。」

会田さんの言葉が、ターリさんのパフォーマンスとともに、多くの人に届くようにと願います。

*会田恵さんの関連記事はこちらからご覧になれます。
福島で今、思うこと 会田恵  〜福島で〝ものづくり〟をしている女性たちからの緊急メッセージ①

(写真・文/A-WAN すずきまり)

カテゴリー:アートトピックス

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