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SR(社会的責任)をめぐる冒険:その9

2014.02.05 Wed

 またまた、予定よりもアップが遅れてしまいました(スミマセン)。今回は、4月から始まる龍谷大学大学院での学びと、わたしのSRに関する研究計画のお話をする予定だったのですが、あれからトンと進まず、このエッセイの記事をどうしたものかなぁ…と思っておりました。そこで、今回は方向をちょっと変えて、2013年12月に、愛知大学の「コミュニティ・ビジネス論」の授業へゲスト講師として招かれた際、SRについて講義をしたお話を引っ張り出してみることにします。

 

 「コミュニティ・ビジネス論」の中の一コマをいただての、わたしの講義のテーマは「CSRからSR(すべての組織の社会的責任)へ」。1時間ほど、日本でのCSRの成り立ちからこれまでの発展の経緯、CSRからSRへの動きなどをお話ししました。このテーマに初めて触れるという学生さんが割といらっしゃったのですが、自分が話したいことのボリュームもかなり多く、講義がザックリしすぎたかな、と反省するほど、中身を詰め込んでお話ししてしまいました。とはいえ、授業後に提出していただいたコメントシートには、案の定(?)というか嬉しいことに、質問がいくつも書かれていました!

 

 その、質問の内容を見て今度はギックリ。けっこう鋭く、興味深い質問をいただきました。結局、わたしからの回答は書面でお渡しすることになったのですが、できたら、いただいたご質問をもとに、学生の皆さんとディスカッションをしてみたいな、と思ったくらいです。回答の作成にあたってはわたしも一生懸命考えたので、恥ずかしげもなく今回、そのQ&Aの一部をここでご紹介します(あ、だけど再度読んでいたら自分の回答を手直ししたくなってきた・・・ので少し加筆訂正ありです<(_ _)>)。できるだけ短い文章で、答えや善悪を決めつけないように回答を作ったつもりですが、皆さまが同じことを学生から尋ねられたら、どのようにお答えになるでしょうか。

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Q:「わたしも“持続可能な社会”に興味があり、研究しているのですが、中村先生の考える“持続可能な社会”とはどのようなものでしょうか。」

 A:わたしが考える「持続可能な社会」とは、一つに、多様な人々の暮らしが、できるだけWin-Winを保ちながら存続し、その際に生じるいくつもの対立を力や暴力でなく解決していく社会です。もう一つ、地球資源が大きく損なわれ、次代の人々の暮らしが立ち行かなくなるような状態にしないよう、工夫を重ねていく社会のことです。現在は、持続可能な社会と言うには状況も取り組みも不足していると考えています。

 

Q:「持続可能性の追求として、具体的にどのような活動をしているのでしょうか。」

 A:組織の中では・・・「男女共同参画」をテーマとしたNPO活動そのものが、多様な人々が暮らしやすい社会づくり(持続可能な社会づくり)につながる活動の一つだと捉えています。個人としては・・・日常的に、環境の持続可能性に貢献できるような消費・利用・廃棄を心がけています。対価を払う消費は、何よりもそれらを提供・販売している企業活動に賛同する意思表明とも言え、良質な企業に生き残ってもらうための投票行動につながります。利用・廃棄については例えば、できるだけ地元の人が経営するお店で対話をしながら商品を買う、自転車や歩き、公共交通機関で移動する、ゴミが少なくなるような工夫をするなど、小さなことを心がけるようにしています。その他の活動として、持続可能性に貢献していると思う団体の支援・応援などもあります(寄付をする、会員・賛助会員になる、ボランティア活動に参加するなど)。とはいえ、人は無駄なことを楽しむ存在だとも思いますので、ときおり自分がしている無駄なことの影響を考えて、できるところからそれを省く、ということになりますが。小さなことですが、その積み重ねは変化を生むと思っています。

 

Q:「自社の利益のみを考えるブラック企業はまだまだ存在しますが、この問題の解決は、本当に可能だと思いますか?」「世にあふれる、いわゆるブラック企業は、現在どのような社会的責任をはたしているのか?」

 A:「ブラック企業」については、わたしも関心を持っていますが、定義も事例もさまざまあり、紙面でお答えするのはとても難しい問題だと思います。まず、この問題には何をもって「解決」と呼んでいいのでしょうか?わたし自身は、悲観的かもしれませんが、組織は人が動かすものである以上、私利私欲を追求しようとする振る舞いは基本的に無くならず、他者の人権や環境に全く配慮のない、行き過ぎた振る舞いも常に起こりうると思います。「ブラック企業」についていえば、労働の搾取に対する厳しい眼差しや法的な制裁がその悪行を正していくことはもちろん必要ですが、労働において個人の不利益が生じた際の解決、紛争の処理や被害者の救済の手立てが十分なことが、どの組織にどのような立場で働いていても保障されることが大切だと思います。自分を守るために、労働者がどのような権利を持っているのか自ら知っていることも大切です。

 後半の質問に関連して、今「ブラック企業」と呼ばれる会社で実際に働き続ける人がおり、その企業の商品やサービスが売れているのはなぜなのでしょう。「社会的責任」には多様な側面があります。どの側面をどういった基準で評価するかは、その組織や消費者、ステークホルダーの選択です。日本のCSRは「環境型」とも呼ばれ、人権や社会的側面への配慮が非常に少ない傾向がありました(今もですが)。ブラック企業が、はたして何らかの社会的責任を果たしていると言えるのか、言えないのかは、そのサービスを受け取るわたしたち一人ひとりの判断にも委ねられているのではないでしょうか。わたしは、労働者を劣悪な状況に置いたままの企業が「社会的責任を果たしている」とは言えないと思っています。

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 ・・・こんな感じです。少しは先生っぽいでしょうか?良い子ちゃん過ぎ?わたしもそうかなぁ、と思いましたが、回答を作っている時間は、学生の皆さんと対話をしているような明るい心持ちでした。未来を明るく変える話をすることは、いつでも楽しいですよね。

 最後に後日談ですが、わたしを招いてくださった先生が、15回の全講義を終えて、この授業を特に心にとめている学生さんが何人かいると伺い、本当に嬉しく思いました。「自分が就職活動をするとき、エントリーする会社のCSRレポートを読んでみます」という発言もあったとか。また、こうした機会があればいいなぁと思います。もちろん、学生へ向けてでなくとも、わたしは仲間とISO26000(SRに関する国際ガイドライン規格)の勉強会を名古屋で継続しています。ご関心がある方はぜひ、お声がけくだされば幸いです。(中村奈津子)

タグ:SR(社会的責任)をめぐる冒険