発達障害かも知れない子どもと育つということ。No.35  最近、娘にイライラすることが、劇的に減った。というのも、娘がある呪文を覚えたからである。それは、「はい」と「ごめんなさい」。

 今まで何かをいって、娘が「はい」といったことは、一度もなかった。わかっているのか、わかっていないのか、何度も何度も同じことをいっては、「聞いているの?」と念押しする。それでもダンマリ、の繰り返し(いわれたことは、ほぼやらない)。最後は、「わかってる! わかってる! わかってる!」と娘がギャーギャーと泣き叫んで、癇癪を起して終わり。

 それが、出来ないことがあっても、とりあえず何かをいうと「はい!」というようになった。何ということ。なんだか娘が人間に思えてくる(本音をいうと、酷いかもしれないが、反応が返ってこない「壁」みたいな存在だなと感じることが多々あった。テニスのボールを打つと、そのまま跳ね返ってくるだけ、というような。正直いって、人並み以上に手間は掛かるのに無反応で、本当に子育てって虚しいなと思うことも多かった)。

 そして「ごめんなさい」をいうようになった。いつもいつも、同じことを注意される。だんまり。無反応。逆切れのループ。それが、「何度も食べた食器は流しに下げなさいっていったよね?」というと、「ごめんなさい」。「どうしてゴミを床に散らかしているの?」「ごめんなさい」。ひとは、謝罪をされると、ここまで「まぁいいかなぁ」と許せる気持ちになれるのかと驚く。娘と心が通っているような錯覚。錯覚かもしれないけれど、それでいい。

 本人は「思っていなくても、ごめんねっていうと、それでうまくいくことがあるんだよね?」といっている。でもとにかく本当に悪いと思っているか思っていないかは、重要ではないのだ。相手がどう思うのか、ということが大切。

 療育先で見ていると、「ごめんなさい」が軽すぎて、いったそばから同じことをするという理由で、「ごめんなさい」が聞こえると、イライラするというお母さんもいる。でも、適切な「ごめんなさい」が、ここまで気持ちを軽くするとは。

 決して自分の非を認めず、謝ったことなど皆無の父を、娘は超えたと思う。