
ひさかたぶりにクスッと笑いながら本を読む。津野海太郎著『百歳までの読書術』(本の雑誌社)。
軽妙で若い人の文かと見紛うリズム感あふれる文体。劇団黒テントの演出家。晶文社の編集責任者。「季刊 本とコンピュータ」編集長。和光大学を経て現在は評論家。今年、喜寿を迎えた。まさに21世紀の老人だ。
「百歳まであと何冊読めるだろう?」。そのキャリアからおびただしい数の著者の名前が、本にまつわる思い出とともにポンポンと出てくる。幸田露伴、正宗白鳥、花田清輝、中野重治、石川淳、大岡昇平などなど。
つられて思い出した。子どもの頃、夢中になって読んだ本。若い頃、わけもわからず背伸びして本棚に飾った本。悩んで迷って苦しんでいたとき、まるで活字が屹立してくるかのように、探していた言葉が目の前に現れ、息もつかさず読みすすめた本のことなどを。
わくわくしながら読んだ岩波少年文庫の『ロビンソン・クルーソー』『モンテ・クリスト伯』『小公子』『小公女』、そして『赤毛のアン』シリーズ。大人になると、やっぱり女性作家の小説や評論を次々と、身に引き寄せて納得する思いで読んでいた気がする。文中に、ユーモア作家・佐々木邦の『苦心の学友』やフランスの詩人・アンドレ・プルドンの『シュルレアリスム宣言』の名を見つけて「あら、おんなじ本、もってる」と、ついうれしくなった。
「正しい読書」なんてあるの? 姿勢を正して読む。速読ではなくゆっくりと。繰り返し音読する。読んだことは覚える。最後まで読み通す。複数の本を並行して読まない。こんなこと、とってもできないわ。
そういう「巨大な知的風景(学問・読書の姿勢)」が歴史のなかからひっそり消えていったという。なにがそれを消したのか?
15世紀なかばの活版印刷革命。18世紀からの産業革命と印刷製本の発達。20世紀の流通革命による大量販売と大量消費。そして世紀末から21世紀の今も、ますますスピードアップするネット革命と。まさにそのとおり。いまやOPAC(Online Public Access Catalogue)の時代。ネットを通じて誰もが自由に検索可能。電子化された蔵書目録で、どの図書館でも読みたい本を見つけることができる。
そして人は歳をとるほど、老いのスピードもぐんぐん増してくる。
「人間の老いについてどんなふうに書くことになるのかしらん?」と著者は問う。そこで森於莵の『耄碌寸前』、鶴見俊輔の『老いの生きかた』、松田道雄遺稿集『幸運な医者』、城山三郎『どうせ、あちらへは手ぶらで行く』などの本を上手に紹介してくれる。詳細は読んでのお楽しみ。
でも、こんなにうまく、上の世代の人たちみたいに歳はとれないなあ。
歳とともに、もの忘れがひどくなるのはいわずもがな。漢字を忘れて書けなくなる。それが老化の証拠? いやいや、そうじゃない。もともと難しい漢字が書けない、読めなかった私、それを老化のせいにしちゃいけない。
中学生の頃、夏目漱石を読んでいて、「兎も角」や「而して」とか「然るに」「爾来」が読めなくて、「ウサギもツノってなに?」と尋ねて笑われたことがある。娘に父親から届いたメールに「塗炭の苦しみ」とあったらしい。「ねぇ、塗る炭ってなんのこと?」とまじめに聞かれたことだって笑えない。
それでも苦手な漢字を駆使して20代、ある人に200通もラブレターを書いたっけ。もらった返事は70通。のちに屋根裏にしまいこんでネズミに齧られ、ぼろぼろになって捨ててしまったけれど。
著者は1984年、親指シフトで知られる富士通の専用ワープロ機OASYSを使い始めたという。キーボードの配列が独特で両手の親指を使い、他の機種より入力が3倍は速い。私もその頃、ワープロの師匠からその手ほどきを受けた。
初めての本の原稿を400枚、手書きで書き終えた。「これをワープロで打ち直しなさい」と師匠に言われ、「そんなぁ、一年もかかるぅ」と半泣きになったが、2週間で仕上げてワープロをマスターした。爾来、いまもパソコンはOASYSしか使えない。絶滅危惧種で値段も高い。でも仕事には手放せない。噂によれば全国にもへんな少数派がいて「親指友の会」というのがあるらしい。
著者は言う、「私の漢字忘れ現象は、長年にわたるコンピュータへの過度の依存に由来するものなのか、それとも我が身を舞台に、目下、すさまじい速度で進行しつつある老化プロセスの一部なのだろうか。私のそれにはコンピュータ依存と老化の二枚底があることになる」。同感だ。
「人はひとりで死ぬのではない。おなじ時代をいっしょに生きた友だちとともに、ひとかたまりになって、順々に、サッサと消えてゆくのだ」と淡々と巻末を結ぶ。
いのちは天からのいただきもの。百歳まで本を読めるかどうかわからないけど、本とともに、友といっしょに歳を重ねる旅というのも、「うん、なかなかいいんじゃないの?」と、今は思っている。
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