
この本を訳したいと思ったのは、これが私自身の助けになったので、同じような経験をしている人たちと共有したいと思ったからである。近年では、がんになった人の心の状態も注目されるようになり、心のケアに関しての情報も増えている。しかし、告知を経て手術や化学療法、放射線治療など、ひととおりの治療を終えた人たちが、その後どのような心理状態で日々過ごしていくのかの情報はほとんどない。「大きな山を越えたのだから大丈夫」と見なされ、医療からも周りの人からも、置き去りにされがちである。『ひとまずがんの治療を終えたあなたへ』は、こうした人たちのために書かれたものである。
本書は、命に関わる病気を患う人やその家族のカウンセリング経験と医療知識が豊富なフランシス・グッドハートさん(イギリスの臨床心理士)と、長年の友人で医療専門家の言葉を一般向けに解説することに長けているライターのルーシー・アトキンスさんとが、協力し合って生まれたという。専門用語をほとんど使わず、優しく語りかけるように書かれている。グッドハートさんがカウンセリングで出会った、年齢、性別、患った部位の異なる人びとの語りを巧みに使いながら、がんを経験した本人やその周りの人たちの気持ちに寄り添い、温かな言葉で力づけ、実践的なアドバイスをしてくれる。家族、友人、同僚、そして医療者に向けた助言も具体的で充実している。
章立ては次のとおりである。
第1章 不安
第2章 うつと気持ちの落ち込み
第3章 怒り
第4章 自尊心と自分の体のイメージ
第5章 周りの人との関係・パートナーとの関係とセックス
第6章 疲労
第7章 睡眠
第8章 リラックス
参考情報
各章では、治療を終えた人が経験するかもしれないそれぞれの気持ち・状態のメカニズムが事例を用いながら説明されている。こうした気持ち・状態は、治療を終えた直後のみでなく、何年も経ってから生じるかもしれない。やっと元の生活に戻れるというのに、なぜ気分が優れないのか。普段はなんともなくても、ちょっと体調を崩したとき、誰かががんで亡くなったと耳にしたとき、あるいは定期検診の日が近づいてくるとき、イライラしたり、不安になったりするのはなぜか。なぜいまだに疲労で何も手につかないのか。どうやって仕事に復帰していったらいいのか。
こうした気持ち・状態にあるときに、否定的な気持ちを抑え込んだり、無理に前向きになろうとするのは、かえって逆効果になるという。そうせずに、自分の気持ち・状態に向き合いながら対処していくための方法として、呼吸法、筋弛緩法、マインドフルネス、記録をする、話す時間を設ける、目標に向けた「はしご」を作って少しずつ進めるといったものが紹介されている。これらの対処法は、「がんの経験」に特有なものではなく、一般的に使われているものである。しかし、がんの治療を終えた人自らが、方法を調べて試行錯誤しながら取り組むのはまず不可能であろう。本書では、有用だとわかっている方法のエッセンスを、がんを経験した人を念頭に置きながらかみ砕き、すぐに実践できるようにまとめてくれている。
不安、怒り、気持ちの落ち込み、自尊心の低下、眠れない、周りの人との関係がしっくり行かない、といったことは、がんになった経験の有無に関わらず、誰にでも起こりえるものだろう。したがって、本書に書かれていることは、がんになっていない人にも役立つものである。私自身、病気とは直接関係ないことで、本書で紹介された対処方法を使うことがある。たとえば、仕事のことで落ち込んだ時、「あ、これは、人がどう思っているかを勝手に想像する罠」にはまっていると気づいて、それに対して疑問を投げかけると、気分が楽になり、また進むことができる。
本書のタイトルに「がん」という文字が入っているため、自分には関係ないと思ったり、こんな本を読んだら病気を招くのではと考えて、敬遠されてしまうかもしれないが、がんを経験した人にとっては無二の友となり、なっていない人にとっては、日々気分よく暮らしていくためのヒントがたくさん詰まった本だと思う。ぜひ、気軽に手にとっていただきたい。
(共訳者 釜野さおり)
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