デヴィッド・ボウイの死を1月10日、Facebookで知った。イーグルスのグレン・フライも1月18日に消えた。「Hotel California」を何度聴いたことか。70年代のロックスターたちがいなくなった。69歳と67歳の死は、あまりに早すぎる。

 大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」。舞台は太平洋戦争中の日本統治下・ジャワ島の日本軍俘虜収容所。日本軍に空挺降下し、輸送機を襲撃した末に俘虜となった陸軍少佐ジャック・セリアズをデヴィッド・ボウイが演じていた。朝鮮人軍属カネモト(ジョニー大倉)が起こした事件を、軍曹ハラ(ビートたけし)が処理する辛い場面も出てくるが、キャロルのジョニー大倉もまた2年前、63歳で消えてしまった。

 ドキュメンタリー番組「ノンフィクション劇場」(日本テレビ)は1962年~1968年まで続いた。大島渚の「忘れられた皇軍」(1963年8月16日放送)を見てハッと謎が解ける思いをしたことがある。
 子どもの頃、白衣に杖をつく傷痍軍人がアコーディオンを弾き、軍歌を歌い、募金を求めて電車に乗ってきた。そんな傷痍軍人がだんだん減っていくなか、最後まで残った人たちがいた。なんでだろうと思った。「平和条約国籍離脱者」、1952年、サンフランシスコ講和条約発効後、「日本国籍」を離脱させられた在日朝鮮人だったのだ。戦前は「日本国民」として召集され、戦地で負傷したにもかかわらず、講和条約を機に「入管特例法」のもと、日本国籍を剥奪され、「軍人恩給」も傷病手当もなく、やむなく生活のため街角に立っていたことを知る。日本と違い、ドイツは国籍取得を本人の選択に任せたというのに。

 戦後まもなく、父が時々、家に見知らぬ男の人をつれてきてご飯をいっしょに食べた。「村はずれに住むバタヤをしている朝鮮の人だ」と父が話してくれた。二人は気が合うのか賑やかに話が弾んでいた。

 そんなこともあったのに、私は何も知らなかったのだ。大阪の中学で仲のいい同級生がいた。いっしょに勉強したり、本を読んだり、遊んだりする、いい女友だちだった。中学卒業後、彼女は名古屋へ就職。ある日、ふらりと家へやってきた。「初めてのお給料でこの絵を買ったの。あんたにあげる。飾ってね」とミレーの「晩鐘」の複製画を手渡された。額縁に添えられた手紙には、それまでの日本名ではなく、朝鮮名が書かれていた。彼女は何もいわなかったが、何も知らなかった私の「無知」を、そのとき心底、恥じた。あの日の彼女の晴れやかな顔とともに今も忘れられない思い出だ。そして数年後、彼女は「北」へ帰国したと、人づてに聞いた。




 金時鐘著『朝鮮と日本に生きる――済州島から猪飼野へ』は第42回(2015年)大佛次郎賞を受賞した作品。流麗な言葉で書かれる『さらされるものとさらすもの』などでよく知られる詩人だ。
 受賞の言葉に「望んだこともない青天の霹靂の「解放」に出あって、感性の泉でもあった日本語から隔絶されたものになってしまった」こと、そして「私の日本での<在日>暮らしは情感過多な日本語から抜けでることを、日本語への私の報復に据えたのです」と。「その滑りの悪い日本語での思い出語りを読み取ってくださったことを感謝申し上げます」と語っておられた。



 1929年、釜山生まれ。日本の植民地統治下で日本語をすすんで学ぶ。1945年、解放と独立。だが米ソ冷戦下の48年4月3日、「済州島四・三事件」が起こり、若い「サフェジュイジャ(社会主義者)」として参加、追われる身となる。同年8月15日「大韓民国」、9月9日「朝鮮民主主義人民共和国」が38度線を挟んで樹立。翌49年、「父のあらんかぎりの奔走」によって日本へ脱出。以後、大阪・猪飼野で暮らすことになる。自らにとって「在日を生きる」意味をずっと問い続ける軌跡が本書に刻まれている。「朝鮮と日本という二つの固有の文化圏に結わえられ、その両方の紐にからまって、自己の存在空間を重ねあわせている」と。1998年、金大中大統領就任を機に「朝鮮籍」だった同氏に臨時パスポートが発給され、49年ぶりの済州島で父母の墓にぬかずくことができたという。

朝鮮通信使


 江戸時代、朝鮮王朝から日本に派遣された外交使節団「朝鮮通信使」のユネスコ(国連教育科学文化機関)世界記憶遺産への登録をめざす日韓の関係者が、両国の資料を「朝鮮通信使に関する記録 17~19世紀の日韓間の平和構築と文化交流の歴史」として申請することを、1月29日、長崎県対馬市で合意、署名した。日本側の「朝鮮通信使 縁地連絡協議会」と韓国側の「釜山文化財団」が、2017年の登録を目標に3月、ユネスコ本部に、ともに申請する。

 朝鮮通信使は鎖国の200年間に12回、朝鮮と日本との間を公式に往来した。李氏朝鮮と江戸幕府を仲介した対馬藩にあって外交官の役割を果たしたのが近江出身の雨森芳洲だ。芳洲の書『交隣提醒』五十四条に「誠信と申し候は、互に欺かず、争わず、真実を以て交わり候」とある。

「誠信の交わり」とは「信(よしみ)を通(かよ)わせる」の意。 この言葉と、このニュースと金時鐘氏の受賞と、ひとつながりの希望として深く胸に刻みたいと思う。