昨年末、目の手術で都内の大学病院に入院しました。病院の中で使われていることばを注意しながら見聞きしていると、世間一般とずれていることばが多いことに気づきました。

 その1例です。
 待合室で待っていると、患者を呼ぶアナウンスが次々に聞こえてきます。
「××ユリコさん、2番からドクシンにおはいりください」と聞こえます。
「ドクシン」てなんだろうと思っていると、次のアナウンスです。
「△山サトシさん、2番からゴシンにおはいりください。」
「独身」と「誤診」? いったいなんでしょう? しばらく悩んでいると次は、「○川ハジメさん、2番からハッシンにおはいりください」 と次の人を呼んでいます。「ハッシン」?
あ、そうか、「5シン」「6シン」「8シン」と何かの順番か番号らしいです。そして、「ドクシン」ではなく「ロクシン」の聞き間違いだったのです。ドクシンということばなら知っているれど「ロクシン」なんてことばはないから、聞き間違えるのも無理はないのです。 2番から入ったところにある診察室か診察箇所の番号らしい。きっと2番の入り口を入ると「1シン」「2シン」「5シン」などと呼ぶ場所があるのでしょう。

 それにしても「ゴシンにおはいりください」はおかしくないでしょうか。病院の診察を受ける側からすれば、どうしたって「誤診」と思ってしまうでしょう?「誤診のためにおはいりください」なんて言われたら入りたくなくなります。まるでブラックジョークです。

 わたしは4番の近くで待つように言われていました。4番の部屋の前では、中から女性の検査士が出てきて、1人ずつ名前を呼んでいました。わたしの番が来て4番の部屋に入り、瞳孔の検査を受けました。その部屋は1人ずつ呼ばれて入り、1人の検査技師が対応していました。

 「これで終わりです、お疲れ様でした」と言われて、思い切って聞いてみました。「2番、ゴシンにお入りください、とアナウンスしていますが、ゴシンというのはどういうことですか」と。
 検査士はそんな質問は予想外だったらしく一瞬固まりました。そして、「遠藤さんは2番で呼ばれたのではないでしょ?」と逆に詰問してきました。2番の患者でもないのに変なことをきくねと言わんばかりです。
 わたしとしては自分の想像が正しいかどうか確認したいので、「2番のゴシンって2番の部屋の5番の診察室ということなんですか」としつこく聞いてみました。
 「あ、ゴシンはね、2番の部屋に1から8までの診察台があってその5番ということ。診察台のこと」
 やっと真相がわかりました。半分ぐらい想像が当たっていたので安心したのですが、彼女の不機嫌を治してもらおうと必死に笑顔を作りながら「でも、ゴシンてわかりにくいですよね」と、言ってみました。
 「5診か誤診かわかりませんね」「誤診と勘違いされるおそれもありそうですね」をふくませて言ったつもりです。しかし、彼女は、「ゴシン」の二重構造については全く反応を示さず、さっと身をひるがえして部屋の奥へ消えました。

 5番目の診察台のことを、毎日毎日「ゴシン、ゴシン」と言っていると、言う人は「5診」以外の同音語のことは思い浮かべないらしい。聞く人も初めは奇異に感じても慣れてしまって何も感じない、もはやブラックジョークの段階でもないのです。

 「ゴシン」などと縮めないで「5番の診察台にお入りください」と言えば、何の問題も起こりません。「ゴシン」という人は「5番のシンサツダイ」では長すぎる、この忙しい時に、少しでも短いことばを使いたい、ということかもしれません。それをまた、忙しい人たちだからことばを縮めるのも仕方がない、とつい私たちも優しく認めてしまいます。でも、その優しさは禁物です。「ゴシン」「ロクシン」などと縮めて平気で使っている人たちには、専門家のことばは患者はわからなくてもいい、という専門家意識というのもありそうな気がします。『5バンのシンサツダイ』と「ゴシン」とでは7音節しか違わない。何秒も違わない。患者も「わかることばを使ってください」と言った方がいいのです。

 そして、「ゴシン(=誤診)におはいりください」なんて言われたら患者はどう思うかと、その想像力さえ働いていないとしたら……ますます、医療現場に対して寒々しい気持ちになってしまうのです。