発達障害かも知れない子どもと育つということ。35
転校させたい!
1か月お休みをいただいたうえに、原稿がさらに遅くなってしまった。すみません。なんだか本当に疲れていて、ぐったり。
スクールカウンセラーに、かなり率直に「転校も視野にいれては?」と提案されてしまった。あー、やっぱりそう思います?という気持ちである。「学校が変われば、変わるんじゃないかなぁ。もちろん100パーセントの保障はないけど」。
「学年が変わって、クラスが変わって担任が変われば、事態はうまくいくと思います? でもクラスが変わっても、同じ学年のメンバーでシャッフルされるだけなんですよね? 今年はもう諦めて、クラス替えを1年間、指折り数えて待っていました。でもまた同じようなクラス編成に経験不足の担任になったら、こんな状態がまた1年続くってことなんでしょうか?」と聞いたときの答え。
自分のうちの子を棚に上げて申し訳ないけれど、もう娘の学年には発達障害を含め困難を抱えている子どもが多すぎる。どのクラスをみても、「発達障害の子がいないクラスなんてない!」と学校側が切れるくらいに。「臨床心理士に、発達障害の子と一緒にしないように頼んだほうがいいといわれた」といったら、学校側が「1クラスに何人もいる」といっていたから確かなんだろう。自分の目から見てもそう思う(通級している子も多数いる)。
「言葉は選ぶけど、あの小学校は『難しい』から」と。クラスでは先生と交換日記をしている保護者もいるようだが(発達障害でかなりの困難を抱えている子)、うちの子は放置されているだけ。授業もあんまり成り立っていないし、この1年間はなーんにも勉強してこなかった。親としては基礎的な計算力をつけて欲しいのだけど、授業中にやる量が少なすぎて、5分でプリントやったらおしまい。あとはボーっとしている(というか、するしかない。追加のプリントも何もない。カウンセラーさんも「もう少し工夫してくれればいいのにね」とはいうけれど、そんなことを先生には求められないし)。結果として生徒同士が騒いで、授業中は収集がつかない。そうでなくても、男の子たちからの暴力や、暴言。「今日も泣いた」「叩かれた」「死ねっていわれた」「物とられた」――娘の訴えを聞いていると、気が重くなる一方。怪我をさせられて帰ってきても何も連絡はない(学童のほうから心配した伝言がくる)。こちらから学校に電話して、事情を聴いて、「またあいつとあいつとあいつかよ(失礼)」と心の中で毒づいて終わり。
もう少し地域を選べば、落ち着いた小学校はある。似たようなライフスタイルのひとが多いところを選んで引っ越せば、とのこと。でも家を買い直すというのはそう簡単にできる選択ではない。うちの娘だってできないことは、多々ある。ただ落ち着かないクラスだと、そういうことが嫌がらせのターゲットに発展しがちなのだろう。
「落ち着いた小学校なら、あっちゃんも手をかけてもらって、平和にすごせるんじゃないかなぁ?」と。中学校まであと少しと我慢しながら過ごすのか、もう思い切って家を売るのか。転校するためには転居が付いてくるのもつらい。毎日楽しく学校で過ごしてもらいたいだけなのだが、もう疲れ果てた。
「転校したい?」と聞くと、「でも女の子の友達と離れたくない」との答え。そりゃそうだよね。でもママはもう本当に何のために学校に通わせなきゃいけないのかから、わからなくなってきていますよ。
2016.02.25 Thu
カテゴリー:発達障害かも知れない子供と育つということ / 連続エッセイ
タグ:子育て・教育
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