保育園落ちた日本死ね!!

何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。
昨日見事に保育園落ちたわ。
どうすんだよ 私 活躍出来ねーじゃねーか。
子供産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
何が少子化だよクソ。
子供産んだはいいけど希望通りに保育園預けるのはほぼ無理だからって言ってて子供産むやつなんかいねーよ。
不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ。
オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。
エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ。
有名なデザイナーに払う金あるなら保育園作れよ。
どうすんだよ 会社やめなくちゃならねーだろ。
ふざけんな日本。

これすごい詩だと思いませんか。
 
まず力と勢いがある。そのリズム感がいい。読者はこのリズムに乗って作者と怒りを共有できる。最近の大傑作だと思います。保育行政やオリンピックの無駄遣いはここでは言いません。ひごろ、ジェンダーとことばを考えている者として、日本語のジェンダー規範を軽々と超えたことばづかいの作品として感嘆のあまり、以下書いてみたくなりました。

「何なんだよ日本」の出だしがいい。「何なんだよ」で怒り全開、読者はまず作者がなぜそんなに怒っているのか、吸い付けられます。もっと端的に「何なんだよアベ」といってもよさそうですが、そこは作者は自制している。アベを支持している人にもこの怒りを知ってほしいしからです。この最初の啖呵がきいています。次の「一億総活躍社会じゃねーのかよ」もいわゆる男言葉のちょっとくだけた形を使って、尋常でない怒りを表明しています。

「見事に落ちたわ」の「わ」も要注意です。「おいしいわ」と、かつての女性が詠嘆して言ったような上昇調のことばではありません。商売がうまくいかなくて「さっぱりですわ」のようにつかう「わ」です。下降調のイントネーションです。ここには作者の絶望が読み取れます。

「どうすんだよ 私~~」で、作者の自称詞が示されます。「何なんだよ」「~~じゃねーのかよ」の文体に対して「私」はちょっと違和感がありますが、女性である作者は「俺」も「僕」も使いにくくて、ほかに自称詞は見当たらなかったのでしょう。ここには女性は男性に比べて自分の言葉が選びにくいという、日本語のジェンダーの制約が働いています。読者としては、それまでの文体から、もしかして男性の投稿かとここまでは想像していたかもしれないのですが、ここで女性だと確認します。

「何が少子化だよクソ。」の「クソ」も衝撃的です。どうにもやりきれない憤懣を「クソ」という短いののしり語でパシッと言い切ります。ものすごいパンチです。女性は男の使うそんな乱暴なはしたないことばを使ってはいけないと、縛られていたジェンダー規範なんかそれこそ「くそくらえ」です。そんなことを気にしていたら、作者の怒りはおさまらないし、感情も伝わりません。

「不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ。」の前半は逆説です。本当は不倫も賄賂も許せないとは思っています、でも、それよりも、もっともっと今の働く母親には保育園が必要なのです。だから、後半で「保育園増やせよ」と命令形を使います。日本語では命令形は男性専用で女性は使わないとされています。そんな日本語の常識に構っていられません。このせっぱつまったとき、「保育園増やしてください、お願いします」と言っていてもらちがかない。そんな世間的でおかみにすんなりと受け入れてもれらえるような丁寧な言い方では、聞いてもらえないこともわかっているのです。

 さらに続けて、「エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ。」「有名なデザイナーに払う金あるなら保育園作れよ。」と「保育園作れよ」を繰り返します。ここも命令形です。

 何が何でも保育園がないと困る、お願いでは聞いてもらえない、もう「作れよ」と命令するしかないのです。 最後は「ふざけんな日本。」と捨てぜりふです。この啖呵もきいています。すっきりしたいさぎよいしめくくりです。

 3月12日の朝日新聞の天声人語は「荒っぽい口ぶりに批判もあったが、母親らの間で共感する声が響き合った」と書いています。「荒っぽい口ぶりに批判した」のはどういう人かしりませんが、その荒っぽさを批判するよりも何よりも、保育園に落ちた母親の怒りに同調した人の方がはるかに多かったのです。むしろ、その荒っぽさの迫力にぐっときて共鳴したのだと思います。一昔前だったら、女性が荒っぽい男言葉をつかうのはおかしい、「女らしさ」が失われる、と嘆いたり非難したりした人が少なからずいたでしょう。今回はそういう声を出すことすらはばかられた、それよりも、よく言ってくれた、私もそう思うという多くの女性の熱い共感があった。3月14日の毎日新聞には「同感だ。全く同感だ」という71歳の熊本の主婦の投書が出ています。わたしはこのブログに日本語のジェンダー規範が緩んできている明るい兆しを見出して、よく言ってくれたと、作者に感謝しています。

 そして、わたしがいまいちばん気がかりなのは、この作者のお子さんの保育園が3月中に決まるかどうかです。そして、4月以降彼女が会社で働き続けられるかどうかです。これだけ共感を生んだメッセージを発してもそれが報われないとしたら、まさに「日本死ね!」です。

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 はじめまして。新しく連載エッセイを書くことになりました遠藤織枝です。
 日本語教育と日本語研究を初めて、55年になります。30年前に最初に出した本が『気になる言葉―日本語再検討』(南雲堂1987)でした。夫のことを主人というのはやめようと、明治以降の文献をあさりながら力を入れて書きました。補佐的仕事をする人を「女房役」というのはおかしい、女房は補佐する人ではないから。「○○女史」は、女性を揶揄した呼称として使われているからよくない、などと女性が使うことば、女性を表すことばについて、がんばって書いています。その後中国の女文字の研究、昭和が生んだことば、介護の言葉の平易化など、範囲が広がってきていますが、いまでも、いろいろな面で気になっている言葉は尽きません。その思いを連載で書く場を与えてくださってほんとに感謝しています。
 タイトルは初心を忘れないために「やはり気になることば」にします。
 どうぞよろしくお願いします。