発達障害かも知れない子どもと育つということ。36

最近、読んで大いに勇気づけられた本がある。ジェニファー・シニアの『子育てのパラドックス―「親になること」は人生をどう変えるのか』である。書店で本を見かけたことはあったが、手に取ったことはなかった。まず邦題がよくない。そのまま『喜びはあるが、楽しくはなし―近代において親であることのパラドクス』にして欲しかった。そう。子育ては、喜びはあるかもしれないが、楽しくはないかもしれない。いや、まさにその通り。この本の面白さはそこにあるのに、それが邦題では伝わらない。こんな本当のことを誰もいってくれてこなかったことに、改めて驚いた。

 「赤ん坊がどこから来るかは知っていましたが、どんなふうかは知りませんでした」。1975年の「親の危機」と題された論説に載っていた母親の言葉である。「子持ちの人々が子どものいない人々よりも幸せなわけではない、むしろずっと不幸なケースもある」という調査の発見がある。

 また別の調査によれば、子どもたちが巣立ったあとの家の母親は不幸ではないらしい。女性の幸福にとって仕事はよい影響をもたらすが、子どもがそのプラスの効果を打ち消してしまう傾向があるという。

 2004年、ノーベル経済学賞受賞者ダニエル・カーネマンを含む5人の研究者によれば、子どもの世話の喜びは、19項目のうち16位だそうだ。食事の支度よりも下。テレビを見ることよりも下。昼寝や買い物や家事よりも下。マシュー・キリングスワークの研究では、「一緒にいて楽しい人のリスト」のうち「自分の子ども」はかなり下位であるという。「友人と過ごすほうが配偶者といるより楽しい。配偶者はほかの身内よりはましで、身内は顔見知り程度の知り合いよりまし。知り合いは自分の親よりましで、自分の親は自分の子どもよりまし。子どもと過ごす楽しさは、見知らぬ人々といるのと変わらない」。

 誤解しないで欲しい。こうした調査結果を羅列することは、子どもがいると不幸になると主張することと同義ではない。作者は、子育ては「ハイ・コスト/ハイ・リターンの活動」になったのだという。子育てから喜びも得るだろうけれども、日常生活には退屈なことも大変なことも多々あるということだ。いやもう本当にまさにその通り。

 子育ては細切れの時間をたくさん作る。それも女性のほうが圧倒的に多い。調査によれば、母親がマルチタスク状態で過ごす時間は、父親よりも平均して週に10時間多く、この余分な時間は主に家事や子どもの世話に使われているのだという。時間を分断し、細切れにすることは、生産性が低下するだけではなく、混乱や切迫感も産む。「どんなに穏やかな瞬間にも、プレッシャーがまったくない状況でも、つねに噴きこぼれそうになっている鍋がどこかにあるような気がしてしまう」。

 ああ、本当にそう。まさにその通り。と思いながら読んで、気持ちがすっとした。なによりも、パソコンが普及し、Wi-Fiやスマートフォンがあるおかげで、私たちはつねに仕事に介入され、縛られている。そんな条件で子育てをしてきた時期なんて、人類史上なかったはず。本当にその通り。働いているお母さんにとっては、子育てに専念できる時間など、本当に少ないのだ。つねにあれもこれも気を配り、日常生活に仕事が介入して来るうえに、そもそもひとのケアをするということ自体が、マルチタスクの状態である。自分のペースではなく、子どものペースに合わせて、いっときも子どもから目が離せない(とくに落ち着きのない子)。

 シングルマザーの時間の細切れ度は、共働きの母親の比ではない。両方経験したからこそわかるが、ひとりでずっと子どもを見続け、そして仕事もするという二人一役は、共働きの母親時代の数倍もの苦労である。2倍どころではない。噴きこぼれそうな鍋は、5つくらいはある感じ。こればかりは体験してみないとわからないだろうと思う。

 でも誰もがそうなのだなぁと思ったら、なんとなくホッとした。状況がかわらなくても、状況を認識するだけで、かなり気が楽になることがある。