私は森崎和江の名を谷川雁から聞いた。
「不明を愧(は)じていうのだが、私は何ひとつ知らなかった。どうして森崎和江は
谷川雁といっしょに暮らすようになったのか。それがなぜ炭坑町だったのだろう。
やがて谷川雁だけ東京に出てきて、森崎はひとり炭坑町に残った。そこにある
必然性は何だったのか」(あとがきP314)
森崎和江は当時、日本の植民地であった朝鮮(現・韓国)で生まれ、多感な時期を
彼の地で過ごし、17歳で日本に渡ってきた。それからの生涯は(太平洋)戦争を
はさみ、植民地で育った「原罪意識」に悩むなか、早稲田在学中の弟の自死に遭う。
「生きるとは何か」「いのちとは」を問いつづけているときに出会ったのが谷川雁で
あった。そして安保改定阻止国民会議が結成され三池争議がはじまった1958年、
筑豊の小さな炭坑町に移りすみ、谷川雁、上野英信らの活動に参加。
職業や地域、性などによって分断された人々を結ぶ場として創刊されたのが
雑誌『サークル村』であった。
炭坑をはじめ男社会が女性を排除しようとする風潮のなか、森崎は女性だけの
交流誌「無名通信」を出す。そんなある日、ガリ切りを手伝ってくれていた娘さんが
仲間の坑夫に強姦され殺されるという事件が起こった。
組織の問題だと提唱する森崎に対し、大正行動隊を組織する谷川雁は破廉恥罪
だと片付けようとした。つまり彼の言動力によって事を政治的におさめようとしたの
である。
これが森崎・谷川間の亀裂を決定的にさせるのだが、森崎はこのような労働者に
おけるジェンダーの問題を契機に、海外売春婦や方言をつかって働く女たちの
聞きとりをはじめる。
これまで森崎和江は大きな社会が崩壊するのを二度、見てきた。
一つは植民地であり、もう一つは炭鉱の消滅である。
彼女は取材中、こう語った。
「昭和期を生きた植民二世の私にとって、女が商品であることは驚愕でした」
炭坑町にひとり残った森崎は、地下労働者に学びつつ、列島各地の集落で
働く人々に接し、性とエロスや女たちの苦しみに真正面から向き合い、
『からゆきさん』『第三の性ーーはるかなるエロス』『いのち、響きあう』等を
著していくのだった。(著者 内田聖子)
2016.03.23 Wed
カテゴリー:著者・編集者からの紹介
タグ:DV・性暴力・ハラスメント / セクシュアリティ / くらし・生活 / 本