毎日読書日記(3/31付け)から。字数の関係で涙を呑んで削った箇所を、復元してお届けします。集団的自衛権を可能にするこの3月29日からの「戦争法」施行に合わせようと、このテーマにしました。

「帰還兵を苦しめる戦場の記憶」

デイヴィッド・フィンケル『帰還兵はなぜ自殺するのか』亜紀書房
佐藤雅浩『精神疾患の歴史社会学』新曜社
スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ/三浦みどり訳『戦争は女の顔をしていない』群像社、2008年

 安倍政権の戦争法が昨年9月19日に成立した。それから毎月19日に、命日みたいに抗議デモが行われている。参加者は「あきらめない」と叫んでいる。戦争法の施行はこの3月末から。政権としては一刻も早く自衛隊を戦地に派遣して、既成事実をつくりたいだろう。わたしたちは戦後初めて「兵士の死」を経験するのだろうか?あまりのおぞましさに想像するのも苦しい。
 兵士は生きて帰ってきても、平和に戻れない。ご無事でお帰りなさい、終わり、というわけにいかないのが、いったん兵士になった者の「戦後」だ。なぜなら彼らは戦場という常軌を逸した非日常の記憶と共に生きていかなければならないからだ。その消え去ろうとしない記憶に苦しめられる元兵士を「戦争神経症」の名で呼ぶ。せっかく九死に一生を得て戻ってきたのに、平和の中で、自ら命を絶つ者たちがいる。フィンケルの『帰還兵はなぜ自殺するのか』によれば、アフガニスタンとイラクに派遣された兵士は約200万人、うち50万人がPTSDに苦しみ、毎年240人以上の帰還兵が自殺している。
ある日戦地へ行った夫が帰ってくる。夫は抑鬱と暴力とで人が変わったようになっている。妻には愛する夫の変貌がどうしても理解できない。夫は精神科に通い、苦しみ抜いて、その苦しみから解放されるために死を選ぶ。米陸軍には自殺防止会議がある。 自殺対策は軍の重要課題なのだ。海の向こうの話ばかりではない。日本でもイラク派遣の自衛官のうちすでに28人が自殺している。国民の平均自殺率を超える異常な数字だ。戦死者は出さなかったのに自殺者を出したのだ。こんな苛酷な現場にわたしたちは若者を送り出すのか?
 思えばPTSDという概念が広まる契機になったのは、ベトナム帰還兵士を扱ったアラン・ヤングの『PTSDの医療人類学』(みすず書房、2001年)だった。日本軍は「戦争神経症」という概念を知っていたが、それをひた隠しにした。皇軍兵士にはそんな惰弱な精神は許されなかったからだ。「神経衰弱」から「鬱病」までの日本近代の精神疾患言説のうち、それと知られていたのに大衆化することを阻まれた唯一の例外が「戦争神経症」であることを論証したのが、佐藤雅浩の労作、『精神疾患の歴史社会学』である。
 昨年のノーベル文学賞受賞者、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』は、独ソ戦に参加した赤軍女性兵士の記憶を辿ったものだ。ソ連軍やパルチザンに100万人以上の女性兵士がいたことは忘れられた。なぜなら語ってはならなかったからだ。生きて帰ってきた男性兵士は英雄だが、女性兵士は「あばずれ」「男まさり」で、結婚相手には不向きだった。彼女たちは勲章を隠し、戦傷病の支援も受けず、ひたすら過去を隠して生きてきた。戦後30年以上経ってインタビューに訪れたアレクシェーヴィチに、元女性兵士たちは堰を切ったように封印した記憶を語り出す。そこにあるのに聞かなければ届かない、その声をあらしめたアレクシェーヴィチは、ロシア語圏の石牟礼道子ともいうべき存在だ。
彼女のもうひとつの著作『チェルノブイリの祈り』に「解説」を書いた広河隆一はこう言う。「私たちはいつか、フクシマで...アレクシェービッチを生み出すだろうか?」水俣は石牟礼道子の文学を生んだ。どんな苦難の体験も、いつかは思想を生む。生き延びて、死者たちの声を甦らせる者たちもいる。戦争と災厄からわたしたちはあれだけの文学や思想を生んだのに、まだ足りないとでもいうかのように。