和光大学GF読書会から2015年度後期活動を報告します。本読書会は、井上輝子・和光大学名誉教授を中心に活動する会です。今期は、10月に山川菊栄『おんな二代の記』を読んだ後、高群逸枝『火の国の女の日記』を全巻読了するなど、女性史研究上重要な2人の個人史を読みました。 活動のなかで特に時間をかけた高群逸枝の個人史について、読書会の中ででた感想や意見をもとに報告します。 高群の『火の国の女の日記』は、執筆中に逸枝が没したために、後半3部を夫・憲三によって執筆された自伝です。逸枝本人の記述から読み取れる逸枝像、夫の手による逸枝像、さらに夫婦関係について、読書会では熱いディスカッションを重ねました。「逸枝像は、編集者でもあった憲三によって創りあげられた部分があったのではないか」、「逸枝自身に、夫のシナリオにそって生きようと努めたり、そのことによる生き苦しさはなかったのか」、など逸枝像を捉えることのむずかしさをメンバーが共通に感じました。「観音の子」と自ら言い、夫にもそう評された逸枝でしたが、「自由で開放的なアナキストとしての側面とどう共存させたのか」と逸枝像の複雑さへの戸惑いもありました。なかでも在野の研究者・逸枝と、妻を献身的に支えたとされてきた憲三の夫婦関係について、さまざまな意見や感想がでました。森の中で世間から隔絶された環境でのストイックな二人の生活ぶりを読むにつれ、「生き苦しさはなかったのか」と生活状況を慮るなかで、むしろ「DVの要素が見て取れる」との指摘があり、その指摘は説得的で、新たな逸枝像をみた思いでした。あるいは「逸枝の『家庭』の捉え方の背景に両親の影響をみてとれる」との意見もありました。日記を読む以前に「進歩的」で魅力的にみえた夫婦像でしたが、それは編集者(夫)の切り取った「現実」を逸枝が構成してみせた一側面であることが見えてきました。しかしそうはいっても、研究者として大成し、アナキストとして論戦した逸枝は、構成された自画像を自らが積極的に選びとる意志の強さをもつ人であったと解釈でき、逸枝の新たな魅力を再発見できました。 このように2015年度後期の読書会では、多くの参考文献を手助けとし、逸枝像を巡って意見を交換しあい、刺激的に活動しました。次年度の2016年度前期には、高群逸枝像の解釈を深める目的をもって、公開ブックトークを開催します。加納実紀代さんを講師に迎えて、さらに逸枝像を探求する予定です。