6月15日、共働き子育て層向けのウェブメディア「日経DUAL」に次の記事が公開されました。WANが資金援助した、子育てと政治を考えるイベントの様子がリポートされています。

7月予定の参院選を前に子育てと政治を考える
~保育園不足を政治の優先課題にしよう!
http://dual.nikkei.co.jp/article.aspx?id=8598&page=1

下記は「日経DUAL」掲載記事に大幅加筆したものです。「個人的なことは政治的なこと」という、
半世紀前からフェミニストが主張してきたことが、今、働きながら子育てしたいと願う層に必要とされているのです。

約120名が参加した

中央:治部れんげさん 左:三浦まりさん 右:川上未映子さん

■タイトル:
7月予定の参院選を前に子育てと政治を考える
~保育園不足を政治の優先課題にしよう!

■本文:
 こんにちは、治部れんげです。7月に予定される参議院選挙を前に、今回は子育てと政治について考えます。

 5月22日(日)の午後、東京・四ツ谷にある上智大学で「保育園落ちた!選挙攻略法」と題したイベントが開かれました。イベントは二部構成になっており、第一部は政治学者、小説家によるパネルディスカッション、第二部は国会議員が参加者の質問に答えました。私も一部に登壇したので当日の様子をレポートします。参加者は約120名、「子育てと政治」というテーマのため、子連れの方も多かったです。イベントの開催にあたり、WANが資金助成を行いました。

 最初に小説家で詩人の川上未映子さんがお話しました。川上さんには『きみは赤ちゃん』などの著作があり、ご自身が子育て中です。川上さんはメディアの取材で「どうしたら幸せに子育てができますか」と聞かれることが多いそうですが、あえて「ハッピーな子育てという枠を、いったん外してほしい」と言います。「子育ては過酷でしんどいのが当たり前。キラキラと素敵なイメージとのギャップに苦しむ人が多い」という言葉に、うなずく人がたくさんいました。

川上さんは、子どもの親として「おかしい」と思ったことには積極的に意見を言いましょう、と呼びかけました。ご自身が社会問題について行政に電話して意見を述べた経験から「大変だし悔しいし、しんどいけれど、つなげていきましょう。やり方は色々あるので、自信をなくさないで」と参加者を励ましていました。

次に私がお話しました。まずは「個人的なことは政治的なこと」という話をしました。働く母親から、ひとりで家事育児をするのが辛い、という話をよく聞きます。これは本人の能力の問題ではありません。父親が家事育児に参加できないこと、その背景にある長時間労働等の社会問題があります。個人の悩みを社会構造につなげて考えよう、ということは、半世紀前にフェミニストが提案したこと発想で、それは今も必要とされています。

また、政治を怖がらず意見を言ってほしい、ということもお伝えしました。保育園を増やして欲しい、と思う時、そこには税金の使い方に関する自分の考えがあらわれています。政治の本質はイデオロギーを語ることではなく、税金の使い道を考えることだ、と私は考えています。最後に、戦略的に伝えることの重要性をお話しました。後ほど詳しく記しますが、女性活躍の必要性は、与党の男性政治家にも浸透してきています。うまくコミュニケーションを取って味方を増やせば、状況は変えられるはずです。

第一部の最後は、上智大学教授で政治学者の三浦まり先生がお話しました。7月の参議院議員選挙では、争点のひとつが憲法改正だと言われています。子育てと政治を考える上では「憲法24条が大事です。自民党の改憲草案を見ると、家族が助け合うことが追加され、また13条からは個人という言葉が削除されています。結婚もカップルふたりの合意だけで成立するわけではなくなりそうです」と三浦先生は言います。

「家族は大事ということは、世界人権宣言にも書かれています。人権宣言には国家は家族を助けなくてはいけない、とも書いています。この発想には保育園の整備も含まれているでしょう。一方で自民党の改憲草案には、国家は家族を助けるということは書かれていません、みなさんは家族をどんな風にとらえていますか」。三浦先生の言葉は子育てと家族、政治がつながっていることを示唆しています。

民進党の山尾しおり議員

日本共産党の田村智子議員

 第二部は国会議員2名が登壇しました。最初に民進党の山尾しおり議員がお話をしました。山尾議員は「保育園落ちた、日本死ね」と題した匿名ブログを国会質問で取り上げました。きっかけは事務所で働く19歳のインターン生が、ブログをプリントアウトして持ってきたことでした。「山尾さん、私は東京で働いて子育てしようと思っているから、保育園に入れないと困ります」と言われたそうです。

「これをきっかけに、保育園問題に困っている方が声を上げてくれました。デモの時に使うカードをデザインしてくれた人。国会にベビーカーで来てくれた人。私はたまたま国会議員だったので、質問をしました。みんながそれぞれの立場でできる役割を果たすことで、少しずつ、動いてきています」(山尾議員)

私は、3月に開かれた民進党(当時は民主党)の待機児童対策会議に数回出席しています。ここで印象的だったのは、山尾議員が「無理のない範囲で、出来る人ができることをしましょう」と母親たちに繰り返し話す姿です。そこには「えらい議員の先生と陳情する国民」という構図ではなく、一緒に良い方向に変えていく、という発想が表れていました。山尾議員自身が待機児童問題を経験したために、当事者の気持ちが分かるのかもしれません。

次に共産党の田村智子議員がお話しました。田村議員は国や自治体の予算配分に触れながら、保育園不足の背景にある問題を解説しました。「民主党政権時代に公共事業が5兆円まで減らされたのが自民党政権になり7.9兆円まで増えてしまった」と田村議員は言います。公共事業を2.9兆円も増やす余地があるなら「子育て支援にもっとお金を使って」と要求することは正当なことに思えます。

特に都市部で深刻な保育園不足について、田村議員は「石原慎太郎都知事時代の認可保育園を作らない方針が影響している」と言います。2008年の金融危機で共働きが増えても、認可保育園を作らない方針を変えなかったため、今のような保育園不足を招いている、というのです。「他の公共事業と比べて保育は波及効果が大きい。親が働いて納税者になれること。子どもの早期教育は効果が高いことを考えれば、もっと保育に予算を割いてほしいというのは当然の要求です」という言葉には説得力がありました。

保育園不足の背景には保育士不足があることを、読者の皆さんもご存知だと思います。そして、資格を持っていても保育士として働かない/働けない人が多いのは、賃金が低いためです。これについて山尾議員は「保育士の平均月給は全産業平均と比べて11万円も低い。格差を縮めるため、月5万円上げることを提案している」と言います。

田村議員からは「1980年代からはGDP比で見た日本の子育て予算は欧州を上回っていました。その後、欧州では乳児のケア(保育)や幼児教育の意義、効果に関する議論が進み、予算を増やしました。日本も増やしてきたものの、国際比較でみると追いついていない状態です」という解説がありました。今後、日本で子育てと政治を考える上で必要なことが見えてきたように思います。

ピンクのウサギマスクがトレードマークの明日少女隊

左:元橋利恵さん 右:對馬果莉さん

 このイベントを企画・運営したのは、関西に住むふたりの大学院生、大坂大学大学院生の元橋利恵(もとはしりえ)さんと、同志社大学大学院生の對馬果莉(つしまかり)さん、そしてフェミニストアーティストグループの「明日少女隊」でした。元橋さんは企画の理由を次のように話します。

「高校や大学時代の子育て中の友達から『政治のことを知りたいのに、難しいし時間もないためわからない』という声をいくつも聞いた。次の夏に参議院選挙があることを知って、何か同じ世代の女性たちのために、情報を届ける企画ができないかと思いました。最もといってもいいほど、政治に声を届ける必要のある子育て世代の多くが、物理的にも心理的にも政治から遠ざけられているのを見て、社会的な支援が不十分なのだと思いました

 このイベントは託児サービスが充実していたことが印象的でした。私も4歳の娘を同行したところ、大学生がひとり付き添って遊んでくれたり、たまにシンポジウムの様子を見に来てくれたりして、とても手厚いなあと思いました。ありがたいなあと思っていたら、託児のアレンジをした對馬さんの次のようなコメントに、はっとさせられました。

 「イベントを準備しているときの最大のジレンマは、今回の企画では、保育士の待遇改善についても議論するのに、イベント託児で子どもたちを預かる保育士さんは、その議論に参加できないことでした。ケアする人は政治的な議論の場所に行くことが難しく、待機児童問題の本当の難しさはここにあるのだと実感しました。だからこそ、当事者ではない人たちが、一緒に声をあげなければならないと思いました」

本当にその通りですし、こういう視点を持つ若い方が企画したイベントは、やはり新鮮で楽しかったです。

 こうしたイベントに登壇してあらためて思うのは、フェミニストの主張は半世紀を経て、今なお、有効である、ということです。

女性の高学歴化が進み、法制度が整備されてきた1990年代後半~2000年以降、大卒女性の中には「自分は差別なんて感じない」という人も少なからずいます。就職時点での差別も、学校歴が高い女性ほど感じなくなっています。彼女たちの多くは「自分は能力があるから、今の仕事に就けている」と考えがちです。しかし、それは正しい自己認識なのでしょうか?

私はそうは思いません。なぜなら、平均的な男性より、学歴や就職に置いて優位だった若い女性たちも、就業を継続する中であることに気づくからです。それは「日本には女性差別が残っている」ということです。

業界によっては、今も女性従業員は少数派です。そういう中で働いて成果を上げれば「女を使った」と陰口をたたかれ、成果を上げなければ「だから女は使えない」と批判される。これは今も20~30代女性が非公式な場で打ち明ける悩みです。

たとえ職場で差別を感じなくても多くの場合「産むまでの平等」を保障されているにすぎません。女性は出産後に労働時間を減らすことが多いです。そこで直面するのは、ママ社員という二級市民扱いです。日本の企業社会はまだ、男女を問わずプライマリーケアギバーを一級市民として受け入れていないのです。

このように、自身が差別的な取り扱いに直面したり、家庭内労働の男女不平等を経験したりすると、多くの女性が気づきます。「変えなくちゃいけない」と。

こうした若い女性の驚きや気づきに接すると、共感すると同時に、私はいささか居心地の悪い思いも覚えます。中高年と若年のはざまの世代である私は、このように感じるからです。「その思いは、半世紀前からフェミニストがことばにして訴えてきたことなんですよ。彼女たちの声に、どうして今まで耳を傾けなかったの?」と。

私が言葉を尽くすより、証拠を見せることが説得力につながるでしょう。たとえば、以下の文章はいつ頃、書かれたものだと思いますか?

「『女の特性』が職業と結びつく限り、女性の最古の職業である娼婦も、母性を商品化する保母も、女性への抑圧という点(「それしか売れない」)では変わらない」

ここには、今、まさに政策課題になっている「保育士の報酬が安すぎて、なり手がいない」理由を、構造的に考えるヒントが書かれています。

「『日曜に夫婦でクッキング』してみても、それは週の残りの六日の疎外状況への、代替的慰謝にしかならない」

「(前略)…今、私たちの多くは自分たちの家庭生活を営んでいる。いま・ここでのささやかな解放がなければ、将来にわたっても全面的な解放なぞありえない(後略)」

これらの文章には、女性の「生きづらさ」を解消するためには、大きな言葉で語られる政策や制度の変更だけでは不十分であることが分かります。真の男女平等は女性が外で働くことだけでは達成できず、家庭内の不平等を解消する必要があるのです。
「女性が働くことを歓迎する」とか「僕は妻のキャリアを応援する」と口で言うのは、ちょっと気の利いた男性なら、普通にできています。問題は、(異性カップルの場合ですが)彼が自分の配偶者を家庭内でどの程度、解放しているのか、ということです。「君が働くことを僕は応援する」と言いつつ、妻が家事の大半を引き受ける状況を平気で見ていられる夫は、私に言わせれば“口先リベラル”です。

「現状の家庭の日々の変革の中にしか、ありうべき家庭は遠望されないと知るべきだろう」

これまでかぎかっこで引用してきた文章は、1982年刊行の『主婦論争を読むⅡ 全記録』(勁草書房、上野千鶴子編)の「解説 主婦の戦後史」で編者が記したものです。今から34年前に書かれたにも関わらず、その内容は今を生きる女性の抱く疑問や、葛藤や、もやもや感とつながっています。

5月22日に上智大学で開かれた子育てと政治を考えるイベントには、数多くの20代30代男女が参加しました。彼・彼女たちが、個人の尊厳と両性の本質的平等を大事にしながら、社会生活と家庭生活を営むには、フェミニストの知見が今もなお、有効です。そのことを、20代30代に届く言葉で紡ぐことが、今を生きるフェミニストには必要とされているのではないでしょうか